メモ28

2006年12月30日 メモ コメント (3)
僕が人間が本来持つ純粋な残酷さを考えるとき
ニワトリのヒナをオスとメスに選り分ける職業について思い出す
オスのニワトリはどうなるのか尋ねるとその鑑定士は満面の笑みでこう答える
「良い肥料になるんですよ」

しかしもしあなたが自分が彼ではないと答えるなら
そのたびに「異常時の正常さ」について話したい
もしくは「正常時の異常さ」や「異常な正常さ」について
あなたがそこにいるならあなたは「そこにいるあなた」である

想像してみてほしい
全く違った親に違った場所で違った時代に育ったあなたはあなただろうか
自分で作りあげた自分自身というものがどれだけあるだろうか

これを読んでいる自分がありきたりな「善良な一般市民」の1人だと思い込んでいるあなたに声を大きくしてそう伝えたい
ほんの少しの弾みであなたは
何千万人もの人を殺す善良な人間に成り変るとしても
それは珍しいことではない

コメント

kaj
kaj
2006年12月30日12:58

う〜ん、困ったなぁ。
それ、私の「日常」です。

...ま、善良な一般市民か否かは置くとしても(笑)食い物にされるか喰う者になるかなんてのは、単なる偶然です。
だから、今、此処に「在る」事は恥じません。

立場が違う者のことに思いを馳せる事は出来たとしても、それが出来てしまう事により、私はそうでは無いという事を証明してしまうだけの事。

だから、私は私が良い...で、善しとしています。

Rin君
Rin君
2006年12月31日0:38

自分が心底嫌う最近の言葉の一つに「勝ち組・負け組み」があります。

これだけ豊かな国に生まれて、
生まれたらまずほとんど死なない国に育って、
そんな国に生まれた時点で既に全員「勝ち組」だろうと、
どうしても思ってしまう。

どうしてこの国がこれほど豊かでいられるのか。
何も吸い上げずに何かが蓄積されるとでも思っているのか。

一方で、
明日の自分の命になんの保証も与えられていない国の人たちを見下しながら、
また一方で、
この国の金にすがらざるを得ない他国民をもの笑いの種にしている、
そんな国の在り様をなんら変えることもできないまま、
「善良な一般市民」を称するのは、気が咎めます。

そしてもう一つ、嫌いな言葉、「本当の自分探し」。
それこそ、自己肥大妄想にかられた被害妄想と甘えの中で、
「全く違った親に違った場所で違った時代に育った」としても、
「自分で作りあげた自分自身」は何も変わらない
と思いこんでいるとしか思えない言葉です。

たった一つの「自分」を作り上げるために、
どれ程の事物が関係しているのか、
しかもそれが、多分の犠牲も含んでいると…
そんなことは、別に頭を使うまでもなく分かると思うのですが。
どうしても、「自分は被害者でありたい」と願ってしまう、
それが人間の悲しき性の一つ、なのでしょうかね。

yanaka
+
2006年12月31日9:14

>kajさんRinさん
僕が政治経済とか外交だの時事だのについて書きはじめたら、ストレス解消(OLが愚痴を吐き出すような)なんで、途中から(もしくは最初から)自分でも何書いてるのか良く解らなくなった文章なんですけど、丁寧なコメントありがとうございます。
なんかうまく伝えられないんですが、ずっと前から他人の持つ善悪や是非とか、自分のそれも含めて信頼できなかった、ということを書きたかったんです。

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