会いたいひとがいて、そのひとからお誘いのメール(メールだと名前で呼ばれて実際に会うと苗字で呼ばれるなんとも言えない感じが良い)来たんだけど、嫌な思い出がトラウマだったし、会いに行ってもまた傷つけられそうだから適当に理由をつけて断った。恋愛なんて楽しいことだけでいいのに、なんで?って感じ。ずっと会ってない。会いたいけど会えない。
むかし「あえて押しまくるってあるやん」って言った女の子がいた
可愛い可愛いって、可愛がりたくなるし、向こうは余裕があるっていうか、別に他にもいろいろ男に誘われたり、遊んだりしてるみたいだし、なんかやたらと焦るんだけど、ここは大人の余裕!ってそれができたらもっとうまくやってるし!っていうか。うぅー。
好きになると、毎日声を聞きたくなるし、毎日会いたくなる。この気持ちを100パー相手に伝えることができたらどんなにいいか。
ほかに男がいる女が求める誠実さってなんなんだろう。「君が他の男と寝ていても関係なく僕は君のことだけを見ているし、僕は君以外の女のことは好きにもならないし、何もしようとは思わない。」とか、自分を都合のいい男として一方的に傷つけてほしいっていうマゾヒズムのことを"誠実"って言うのかな。
僕が、セックスについてとか、恋愛とか、そういうのを読んで誰かが傷つくことを無視して書くのは、みんなには、それぞれ恋人とかいるから別にいいじゃん、っていうのがある。傷ついたら、そいつに甘えれば?って言いたくなるっていうか、うまくいえないけど。
でも、そういう傷ついたときに保険になるような誰かがいないのに、+のこと好き!っていうひとがいるなら(自惚れ)、そういうひとは傷つきっぱなしで、ケアする男がいないことを考えると、突き放してもいい人達だけを前提にして、奔放に書くのはよくないな。
つか、保険ありの前者にしろ、俺が「ほかに男いるくせに傷つくこと自体がウザい。」なんて思想なんて知る由もないわけだし、俺が拗ねて受動的に攻撃しても、誰も得しない。

オーケー。
もっと分かりやすく噛み砕いて素直に書くと、
ほかに男がいるだけで僕は傷ついている。そこまではいい。でも、その傷ついていることに気付いていないことに腹が立っている。その苛立ちを隠して(その事を相手に訴えても無視されるのは目に見えてる。現に今までそうだったし。くそ。)、仮に、その女の子にアプローチしたときに、僕に恋愛的な態度(「何度断られてもそれでも追いかけてほしいの♡」)を求めるのにイラっとする。お前何様?まじウザい、どっか行って。みたいな気持ちになる。まぁ、いいや。そこで千歩譲って、さらにアプローチするとする。その女から「でも+くん、私のこと本当は好きじゃないんでしょ?」的なこと言われた(的な態度をとられた)時には憤死してしまう。キレて、その矛先を相手に向けられない以上、自分を徹底的に傷つけてしまう。
でも、それは僕の感情や考えであって、ひとりで勝手に怒ってるように相手に思えるだけだし。客観的に。むしろ、そこは大人になるべき、っていうか、損して得取れ的な、骨を切らして肉を断つ的な、そういう何かが僕には必要だと思ってます。相手は僕がどう考えてるか感じてるかなんて終始わからないわけだし(分かろうとも思わない)、相手の望むようにしてあげないといけない。

どうにかして、想像力と感受性を自在に抑制したり解放できるようになりたい。
最近セックスはしたいけど、人と関わりを持つのにあんまり興味がわかなくて、セックスするために女の子に興味を持つか、セックスを諦めるかのどっちかなんだけど、こういうときってどうすればいいんだろう。
興味がないのもあるし、人と関わるコストみたいなのが意外と高くついて、時間的にも手間をかける必要もあるし、文字通り金銭的にもコストがかかる割に、結果は運任せみたいな部分も多くて、そういうのがハードルになってる。
そのうえ一人で遊ぶのが得意だし好きだし、人と遊んでるよりずっと楽しかったりするから(音楽聴きながら読書とか、音楽聴きながらジョギングとか、作文とか。)、無理する必要もないけど。

なんかうまい方法ないかなぁ。

まず、人と一緒の時を、一人で遊ぶときよりずっと楽しくすればいい。これがポジティブなやり方。ほかは、関わるコストを減らす。このへん、女の子とか恋愛関係になるとやたらと難しくなる。次が、セックスをするために関わる、って目的をきっちり決めて、割り切る。野郎と遊ぶときは、一人で遊ぶ時より楽しくなりそうにないときは、きちんと断る。
いずれにしろ、一緒にいたいって思えるひとじゃないのが根本的な問題かもしれない。
普通、好きだから一緒にいる→セックス、っていう流れなんだけど、セックスしたい→好きとか関係なく一緒にいる、だからダメなのか!そうか。好き→一緒にいる、のハードルが高すぎる。ってことは、一緒にいる→好きになる、ならokか!!俺頭いい!!

でも、鶏と卵の問題と同じで、好き→一緒、なのか、一緒→好き、なのかは謎。少なくとも一緒にいたいと思わせる何かが必要なんじゃね?ってことは、一緒にいたい理由がセックスしたい、でもokなの?理屈的にはそうなるけど、そういうのってあるんだろうか。
経験上、あるともいえるし、ないともいえるから、完璧ケースバイケースっぽい。でも、言えるのは、不思議と、セックスしてて違和感なくて楽しかったら、毎回好きになったし、そのへんの相性悪いと、人間関係としても上手くいかなかった。
うーむ。


結論、別にセックス目的でも、「こいつとエッチしたら楽しいに違いない」って直感できる相手なら、恋愛うんぬん別として、身体から入って精神に行くんでもokっぽい。
恋愛のことで悩むのはナンセンスだと思ってるんだけど、でもいま本気悩んでることを書いて、とりあえず、方向性を決めときたい。

たとえば

1.両思い
2.お互いの関係の距離がそれほど近くない(メールアドレスを知ってるくらい)
3.お互いにお互いのことが好きだって分かってる

っていう状態だとして、これって、女の子にいきなりメールしていいものなんだろうか?
あとは、お互いに距離を埋めるだけ、みたいな状況で、じれったい。
オーケー、たぶん、読んでるひとは、まずいきなりメールしてデートに誘うなんてことはしないで、ちょっとづつ仲良くなるべし。みたいなことを思うと思う。

でも、その環境が特殊で、例えば月に一度くらいしか会えないし、会ったとしても、それほど急激に仲良くなることが難しい。しかも、押しすぎたら押しすぎたで、例のごとく引かれてしまう。引かれてしまうし、引かれてしまうのはけっこう傷つくのだ。いや、この際、僕が傷つくとか、それは別にいいとして、押すタイミングがよくわからんし、押し過ぎてもうまくいかないし、引きすぎてもうまくいかないって、なんだよそれ!名人芸かよ!

で、さくっと仲良くなるのが難しいから、それで、時間をかけたせいで、僕の気持ちはともかく(このブログの熱心な読者なんてものが存在するとしたら、よく分かってくれるだろうけど、僕はけっこう一途なほうなのだ。)、彼女の気持ちがブレるのは避けたい。

どうすればいいんだろう。

もっと正直に書いとくと、こういう状態の関係がいくつかあって、メールアドレスを知ってる知ってない、とか、大っぴらに仲良くするのを見せるのに問題があるとか、細かい違いがあるくらいなんだけど、どうすればいいの。もう、ほんと面倒。あとはどっか二人で行って、時間を重ねるだけいいのに!って思う。

で、具体的にどうすればいいのか考えた(真剣に)んだけど、

1.2,3週間に一度のタイミングでメールで「お茶しようよー」って誘ってみる
2.会えたときに「お茶しようよー」って誘ってみる
3.今すぐメールで「お茶しようよー」って誘ってみる
4.会えたときに距離感を出来る限り詰めて日常的に普通のコミュニケーション目的のメールを交換するようにしていく
5.拉致ってホテルで強姦する

まじどうすればいいんだろう。その好きな女の子に、どれを選べばいいのか訊いてみればいいかな。

そもそも手間暇かけて恋愛するの好きじゃなくて、面倒だからっていうより、手間暇かけて、全然うまくいかなくてクラッシュ(クラブ出入禁止)したことがあるからで、もうどうすればいいんだ、俺。さっさとクロージング(仕事で使ってる用語)かけたいし、失注覚悟でダメなら次行く感じで数打てばいいか。
自分は記憶力(興味のあること限定)があり過ぎて、ダメなのかもしれないと思った。
嫌なことを忘れないのは、同じ失敗を繰り返さないためだと思うんだけど、過剰に反応してるっていうか、頭で考えて分かってても心が拒否するし、その時の痛みが焼き付いてて、どうしようもない。それを乗り越えないといけないんだろうけど。大げさだって思うだろうけど、アプローチして散々な結果になった女の子が、あとで寄ってきても恐怖心でパニックになってになって、造作なくその女の子が僕を拒否したときの思い出がよみがえって悲しくて、その子のことが嫌になる。その子の存在が酷いネガティブなイメージと直結するっていったら分りやすいかもしれない。
それでも、なんとかしなきゃいけない。これじゃいけない。しんどいんだけど。

だいいち、僕が傷つこうが傷つくまいが、その子達には他に男がいるんだし(きっとその女の子達は、ぼくがこうやって同じところで悲しい気持ちで物事を考えてるあいだ、誰か違う男に股がってるんだろうし)、怯えるなんて馬鹿げてて、シリアスになるのは滑稽だし、そういう意味で、相手を尊重せずに適当なノリで、紳士ぶった態度でカジュアルに接すればいいだけなんだけど。
もういちど書くけど視野が狭くなってる。

ひとを嫌いになるくらいなら、そのひとのことを一旦忘れたほうがいい。
ほとんどの人にとっては、適当に向き合われるほうが丁度いい距離なんだと思う。

でも、好きなひとに対してそういう冷静な態度を取るのは僕にはとても難しくて。

好きだからこそ、緊張するし、うんざりするし、傷つきやすくなって臆病にもなるし、わがままにもなるし、自分の考えとか気持ちとか痛みとかを分かってほしい。感情の波が大きい。

けれど、僕は全力で好き好きしたいから、そのへんがむずい。

でも、正解は冷静になることだから、冷静になろう。
どちらかが大きくならないといけない。
冷静になるほど馬鹿らしくなってきて、相手への気持ちが磨り減っていくことは分かりきってはいるんだけど。
それともただのゲーム感覚になるのか。この子の気持ちを右側に移動させて、こっちの子はこうやって甘やかす。みたいな。
恋愛の駆け引きがアホらしく感じるのを耐え切って我慢ならない女の子にアプローチすることについて考えていて、最近、仕事で「話が飛躍し過ぎてる」って言われて、頭の回転が早いわけではないんだけど、相手に、こうこうこうでこうだからこうでこうなんですよ、だからどうたらこうたら、どうのこうの、ってそれをやるのは仕事ならまだしもって感じなんだけど、でも、感情のある人間相手なんだし、がんばらなきゃなー。

つか、正直めんどうになるっていうか。遅かれ早かれ君は俺のことを好きになるし、俺も君のことを今よりずっと好きになるのは分かりきってるから、今すぐ仲良くなってさっさと話と関係をまとめて、一緒にいようよ、ってそれだけなんだけど。

いや、それだけなら許せるんだけど、なんで僕のときに、全然相手にしてなかったのに、全然好きじゃない相手には気軽に振舞って、挙句の果てに、そいつと酒とかの勢いで寝るとかマジで女=気持ち悪いっていうか、そういうのが面倒だし、うざ、じゃないや、ちょっとかったるいんだけど、それはしょうがないから、その分も補って行動できるほど大人にならなきゃいけないなぁー。内心では好きな気持ちと同じくらい軽蔑(from失望)する気持ちが広がってるんだけど、無神経だから、そういうのにも気づかないかもしれないなぁー。

同情してくれ、とは思わないけど、好きでも嫌いでもない適当な女とセックスフレンドだけの関係にしたくなる、その理由や感情を分かってくれるだろうか。


っていうか、っていうか、っていうか、っていうか、っていうか、っていうか、
正直、肌があれになってきてるし、いい加減セックスしないと、生活回らないし、モラルとか恋愛とかは別として、やらないとやってられない。生きていけない。どうすればいい。
もうみんな嫌い。どっか行けばいいんだ。
あぁ、そうだ、ここは匿名ブログだったんだ!と思い出して以下のリンク貼る。


アンアン膣特集
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51402824.html
アンアンのセックス特集も凄かったけど、今回もネタとしてのレベルを超えてて、ガチに実学の本になりつつある。

モテない女が膣を強化するスレッド
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/wmotenai/1259064065/
すげー笑えるんだけど、地味に使えそうなtipsが多い。


締り好き、締りlove、締り党の僕としては見逃せないですね。
つか、締りは、女の子に「締めて♡」って言えば、割と誰でも締りよくなるっていうか。結構前に「筋肉痛なんだけど」って朝言われたっていうか。
締り論の権威としては、締りは何種類かあって、単純にキツいだけ(評価:△)のと、もともと狭い(評価:◯)のとか、あと、ヒダヒダが入り口にあるうえに中で動かせる素質&テクニック(評価:◎)とか、本当に膣の良さにも種類が沢山あって、単純に、締り良い=良い膣、ではない!!


自分がどう見られたいかを決めるのは、本人だ。と思う。今日この頃。
(どう在りたいかを決めるのも、本人だ。と思う。今日この頃。)
でも、ここは匿名だし、それは免除される。

(今回の投稿で「締り」と書いた回数:8回)
素敵な人間だとか思われなくていいから女の子と一緒にいたい

端的に言ったら性的欲求不満
(たぶんこう書いている今僕のことを好きな女の子が僕じゃない男の子とセックスしているかもしれない)

好きじゃない女の子と寝るのをやめたからだ
(つまり女の子と寝るのをやめたからだ
もう2ヶ月以上経った)

肌がどんどん荒れている
(皮下にストレス性物質を注射するとこうなることが実証されているらしい)
(セックス以外に効用のある治療法はないんだろうか)

真意は言葉にならず
誰か(誰もが)醜い

僕のなかの女の子は「少しくらい嘘をついてもいいでしょ」と言う
そうかもしれない
そうじゃないかもしれない

とても疲れている
ずっと歩き続けてそれでも止まったらずぶ濡れのまま変わらない

かゆい
夜中にお腹が減って、でも作るのが面倒で、料理の妄想をしていて、その献立についてはともかく、その料理を一人で食べるわけじゃなくて、当然のように一緒に食べる相手がいる。

この前、ちょっと話した人は旦那がいて、結婚2年目で料理を食べてくれる相手ができてから料理をするようになったって言ってた。

本当は誰かと穏やかに、暖かく生活をしたいって望んでる(≠求めてる)のかもしれない。
『さよなら みどりちゃん』読んで、出てくるキャラクタで気に入ったのが主人公の女の子を好きな片想いの男の子だけで、他は全員胸くそ悪くなって、どれだけ自分がいい加減な恋愛をしてる連中が嫌いなのか分かった。
好きだった女の子の写真を3分くらい眺めていたら、顔が全然可愛くないことに気付いて、間違いなく顔で好きになったわけじゃないって確信した。
なんで好きだったのかよくわからない。もしかしたら、これが女性が全然冴えない容姿の男と付き合う例の現象なのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
たぶんあと2、3年したら何かの間違いだったって決めつけるか、美化するか、もしくは、忘れてもう思い出さないようになる。

なんであれ、自分の守備範囲が広がったことは確か。顔が可愛くなくても好きになったり愛おしいと思ったりすることがあるから(顔が可愛くなくても可愛い女の子はいる。ただ、中身が可愛くて、顔まで可愛かったら、やっぱりそれはむずい。)、何か心にひっかかるものがあれば拾いあげて愛でたりするようにしよう。それで、そのときは間違いなくその女の子に言葉でもって「好きだ」って言わないと気持ちに気付かないはずだからそうしよう。
僕は本当は言葉というものを信じていない。厳密にいうと、他人を信じてないからそれを使いたくないんだけど、感じ取れない(理解できない)ならそうするしかない。


例えば、愛おしいと思っている女の子に、メールに「君に会いたい」って心底からそう思って書いて送って、でもメールは返ってこないから、代わりに街中で声をかけた女性と勢いでセックスしたりする。

僕は間違っているのかな。

だから、次こそは、次こそは、っていつもそう思うんだけど。
誰かを好きになったりいっしょにいることができるほど強くもないし器量もないのに、いつも誰かを好きになり過ぎている。好きになり過ぎている。
あらゆる愛情を撥ね除けて超然として何もかもから解き放たれて飛び立ちたいのだ

お前は醜い
俺も醜い
お前らは醜い
僕たちは醜い

誰かが誰かにたいして惨めな妥協を愛しているふりをして誤摩化すのは汚いし
ただの性欲に糞みたい理由を付けて見栄で恋愛気取りの馴れ合いをしてでそれがさも良い生活ですみたいな顔をしてる連中も
年とりゃクズみたいなババアになるのに自分の価値を振り回してるやつらも
全部全部全部嫌だ

そこには誰もいなくて僕を傷つけそうなものは何も無い
何も見なくて済む
信じているものは利害関係と本能のみ
先に進むために、嫌でも通らなきゃいけないことがある。でも、そのほうがずっと楽だし、僕の知ってる強い人なら、きっとそうする。実際に今は楽な気分だ。
今まで何度も言ったことだけど、僕はタフになりたい。だから誰かのために立ち止まっている必要はない。失望しても、その人が、すべての人なわけじゃない。次はもっとましな結果になるはず。恋愛なんて就職の面接みたいなものだから、いちいち気にしないようにする。
ダメなら次、次もダメなら、その次。とにかく、気にしないようにしよう。
僕には僕のために用意されたもっと良い人や場所があるって、いつも心のどこかで感じている。僕は僕自身のためにもっとタフになりたい。
他人に何度も何度も拒まれることで、自分の思い通りになることがごくごく僅かでしかないことに、最近になって気付いた。
本当に本当にごくごく僅かだ。
それに、価値に対して盲でいることができなくなった。

じゃあ、過去はきっと沢山のことが思い通りになると思い込んでいて、そのうえ無価値なものに夢中になっていた、っていうことなのかもしれない。
でも、そのとき、比べることは難しいけれど、いまのこの気持ちよりかは楽しかった。

昨日、偶然、靴屋の髪の黒い女の子に出会った。
急に声が小さくなってしまうのは、僕が彼女を前にするときそうだったことで、それを彼女は僕にした。
それで彼女が僕のことを今でも好きなことも分かった。
ヤニで以前よりずっと黄色くなった歯と、彼女が恋人といたのを僕が見てしまったときの彼女の表情から察するに、彼女の結婚生活がうまくいってない(予想通り)ことも分かった。

けれど、もう気持ちが震えなかった。

一つは、そういったことに理不尽な失恋に何度も遭い過ぎたこと。
もう一つは、そういったことに慣れてしまったこと。
最後に、慣れてしまったことで、他人に期待することをやめてしまったこと。
失望のせいで傷ついて高慢な態度を取ることすら、もうやめにした。

僕はもっとシンプルな失恋のほうが良かった。
その人が自分のことを好きじゃないから、とか納得して消化できる、できる限りノーマルな失恋のほうが。

恋をすることは、根拠の有無に関係なく、それがうまくいくっていう自信と、無理のある幻想で異性の価値を上限なく心の中で押し上げていくことの両方があって、成立する。
そのどちらも僕は無くした。

また、誰かを好きになっても、今までとはすこし違っているんだと思う。
そのすこしの違いはとても決定的で大きなものかもしれない。


恋愛を通して、漠然として良い将来への感覚を失う、なんて馬鹿げてるかな。
鮮やかな楽しいことや素敵なことが無尽蔵に自分を待っている感覚を。

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