書くことについて(仮) 2/100
2008年4月11日 コミューンと記録メモと書くこと中学にあがった時、好きになった女の子はいわゆる’何でもできる’女の子だった。みんなが彼女のことを好きで、僕はいつも届かない気分だった。僕はその反対側にいるタイプで、彼女と席が隣あったとき、僕はいつも彼女に幼いいたずらばかりかけていた。僕は彼女に恋をしていた。初めての恋で、起きている間はずっと彼女のことをずっと考えていて、眠っている時はそこで彼女を待っていた。彼女が望むような連中の1人になりたかった。彼女が望むようにタイプになるためになんでもした。彼女が振り向いたのは僕の努力が始まって2年経ったころで、僕は自分自身を完璧に変えていた。僕が彼女を夢中に追いかけていたあいだ、僕のことを好きな女の子(彼女はまったく目立たない女の子だったけれど、彼女の目、憧れるように僕を見る目にずっと後になって気づいた。前者の女の子←僕←後者の女の子の向きが逆に変わっていた。)最初から最後までそういった感じだった。全員が妥協を許さず、お互いの気持ちのままに求める人を求めていた。中学にあがるまえ、僕の父親が倒れた。彼は18才で上京して、自力で会社を興して、その会社はバブルと一緒に潰れて、会社の後処理をし続けている最中に、過労と喫煙と食生活の三角の中で脳溢血で倒れた。彼は望むものを求めて、その先に半身の不自由を手に入れた。それでも、彼に憧れつづけていた。いま、父親はハードなリハビリのおかげで、健常者と変わらない健康と介護士の免許を手に入れている。そして、そして、僕の望むものは、。「あの女が来るっていうのよ。」控え室では、作家とその連れの男が煙草を吸っていた。「ねぇ、私はどこのいるの?」*****************************東急東横線、僕が6時間の遅刻をして渋谷の会社に向かっていた。急行渋谷行きに乗った。その時読んでいた本も思い出せる。その本はノンフィクションで、言葉を知らずに13年間ひとつの部屋の中で’育てられた’女の子の話だった。彼女はジーニーと呼ばれ、言語学者達の実験対象になっていた。最初、言語学者達はジーニーをひとつの実験対象として、見ていた。ジーニーの特別さは言葉で形容されない種類のものだった。ちょうどあるアスペルガー症候群の患者が、円周率の暗唱の世界記録を塗り替えたとき、インタビュアーに「なぜ、円周率の暗唱をしようと思ったのですか?」と尋ねられた時の回答が「円周率はそれ自体に愛される魅力があるからだ。」という答えだ。それがジーニーには備わっていた。言語学者達は彼女への科学的価値以上に、彼女の存在そのものに魅せられていく。その本の中のジーニーの写真、少し顔を傾けて、カメラを覗く目は無限に愛情を求める、無限の黒い闇だった。日吉駅の辺りで母親と母親に抱きかかえられた赤ん坊が電車に乗った。席で、本を読んでいた(たしか、最初の保護者にジーニーが預けられる場面だった。)僕は、顔をあげて、彼らを認識した。母親は僕の向かいに座って、子供をあやしていた。****************************その女性は携帯電話でその文章を読み終えて、会場に置かれた二つの椅子を凝視して、それから、自分の座る椅子からぐるっと周りを眺めた。髪が長くて、吊り目で陰鬱そうな顔をした20才の男の子、と。見付からず、携帯電話にもう一度の画面にもう一度目を降ろした。こんな種類の緊張は久しぶりだった。ずっと幼い頃から自分は慎重振る舞っていた。あらゆる人や視線から身を守って生きてきた。緊張して少し震えた白く細い手で、深い茶色に金と黒を混ぜたような髪(それはある角度からは濃い緑色にも見えた。)を梳いた。
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