書くことについて(仮) 21/100
2008年6月16日 コミューンと記録メモと書くことそれから家に帰って、眠った。午前9時から午後3時まで寝て起きて、コーヒーを入れてぼんやりとしていると、メモに書いた小説の走り書きが見付かった。言葉の続きを考えだそうとして、ボールペンを片手に考え込んだ。そもそも、と僕は思った。なぜ彼女は小説を書き始めたんだろう。メモを置いて、コーンフレークをと牛乳を深い皿に注いで食べてから家を出て、自転車に乗って家の近くの本屋で彼女の本を探した。ハードカバーの小説が2冊(タイトルは『夜に踊れば』と『with a smile and a song』だ。)。彼女(つまり’山下のどか’が)がインタビューを受けた雑誌が1冊。試しにインタビューを受けたほうの本を手に取ってみると、片面全部を使って山下の神経質そうな笑いを浮かべた写真が乗っていて、内容はこんなようなものだった。インタビュアー「今回書かれた小説は時代性を採り入れたとおっしゃいましたが。」山下「ええ。ただしあらゆる時代に共通した問題でもあると思います。」インタビュアー「集団の悪意のようなものでしょうか?」山下「悪意とは考えてません。この小説は個人的なものです。たくさんの人に共通した問題を取り扱った個人的な小説です。」インタビュアー「それは山下さんも含めて、ということですか?」山下「もちろん。インタビューをしてるあなたにとってもね。(笑)」インタビュアー「読者を導くような....」山下「いえ、そんな大それたことじゃないんです。そんな人を啓蒙したいなんて考えてはいないんです。例えば、誰かに恋して、それが手の届かないように感じられたり。誰にでも起こることだと思ってるんです。」僕はその雑誌を閉じて、本屋を一周回って、それから、本屋を出て、店の回りの通りを一周した。それから、店を離れてスターバックスに入って、できる限り誰も頼まないような注文をしたくなって、レジのそばのショウケースに入ったミネラルウォーターを手に取って会計を済ませて、席に座った。あらゆる個人に共通した問題。と、彼女は言った。いや、彼女の分身が言った。
バッグから、書きかけのレポートと、年次報告書と、国の経済の指標が載った本を取り出してテーブルに置いて、僕の抱える問題について考えていた。きっと、僕は何も不足しちゃいない。1980年代の日本に生まれて、健康で若い。何も、サハラ以南のアフリカに生まれて、死ぬまで働くのが宿命的に課せられているわけでもない。文字を読み書きすることができる。屋根のある家に住むことできる。欲しいものがあれば、金を貯めて手にいれることができる。小説を書くことができる。就きたい職業をや伴侶を選ぶことができる。蛇口を捻れば安全な水が飲める。風呂もトイレもどんな家にだって付いてる。さっき読んだ雑誌の何ページ目かに絶望という言葉が印字されていた。絶望?僕は右を見て左を見てそして、僕自身の眺めた。手を開いて閉じて、自分の顔を覆った。それから僕は些細だが間違いなく苛立ちを感じた。僕たちの絶望も不安もちっぽけに思えた。そしてもういちどその店の中にいる人間の全員を見回した。苛立ちはいまや確実なものとなっていた。きっと誰かは誰かを羨むかもしれない。不安を感じるかもしれない。でも、それがなんだっていうんだ。僕は席を立って両手で見ることのできないそれを物体化させて掲げて大声で叫びたかった。「自由。これが自由だ!見ろよ。これが自由だ。」そして気が触れたように、片っ端から掴みかかって自由をその眼前に見せつけたかった。おい、お前らはこんなところで何してるんだ。
その週末、ムラカワと僕はライナァのカウンターでビールを飲みながら、天井から吊るされたテレビの映像を眺めていた。「前いた人。」とムラカワは言った。「どの人?」「一緒に話してた。」「あぁ。」「なんの知り合い?」「好きな作家のトークショー観に行ってそこで話して仲良くなった。」「仲が良すぎたな。前のあれは。」「もう言わないでくれ。」テレビは美術館の展示物をひとつづつ解説していくという内容だった。酒を飲みながら観るようなものじゃないし、酒を飲んでなかったらなおさら観るようなものじゃない。「見ろよあれ。」とムラハシは指さしたのは便器にオートグラフが書かれた作品で、それが美術史では重大な意味を持つものだ、と白人の太った女性が画面のなかで説明していた。僕は彼女があの四角い箱の中に閉じ込められた不運な妖精に思えた。あの中でずっとずっと美術作品を決められた台本に沿って、さも価値のある、重大な意味を持つものだ、と驚嘆したふりをしなくちゃいけないのだ。それはつまらないテレビ番組で、皆さんここで笑ってください、とディレクターに演出の注文をつけられて、それに何の疑いも持たない’観客’に似ていた。僕は瞬発的にあの妖精を不憫に思った。ムラハシはビールを飲んで次のビールを注文してから言った「俺は美術をやるよ。いま決めた。」。僕はすこし笑いそうになって答えた「それで便器に自分の名前書いて売るんだろ。」「そう。」「最高だな。」「ああ。最高だ。『お仕事は?』なんて聞かれたら『便器にサインを書く仕事です。』なんて言ってな。最高だ。最高で最低だ。クソ。」「まったくクソったれだな。」「ああ、クソったれだ。」ムラハシのことを好く女の子が店に入ってきた。遠くから見ても素敵な女の子だったし、実際、彼女は僕たちがいる場所に客の間をくぐり抜けていく間に3人の男に声をかけられていた。彼女のどことなく頼りないところが、男の中の何かを刺激するのかもしれない。
バッグから、書きかけのレポートと、年次報告書と、国の経済の指標が載った本を取り出してテーブルに置いて、僕の抱える問題について考えていた。きっと、僕は何も不足しちゃいない。1980年代の日本に生まれて、健康で若い。何も、サハラ以南のアフリカに生まれて、死ぬまで働くのが宿命的に課せられているわけでもない。文字を読み書きすることができる。屋根のある家に住むことできる。欲しいものがあれば、金を貯めて手にいれることができる。小説を書くことができる。就きたい職業をや伴侶を選ぶことができる。蛇口を捻れば安全な水が飲める。風呂もトイレもどんな家にだって付いてる。さっき読んだ雑誌の何ページ目かに絶望という言葉が印字されていた。絶望?僕は右を見て左を見てそして、僕自身の眺めた。手を開いて閉じて、自分の顔を覆った。それから僕は些細だが間違いなく苛立ちを感じた。僕たちの絶望も不安もちっぽけに思えた。そしてもういちどその店の中にいる人間の全員を見回した。苛立ちはいまや確実なものとなっていた。きっと誰かは誰かを羨むかもしれない。不安を感じるかもしれない。でも、それがなんだっていうんだ。僕は席を立って両手で見ることのできないそれを物体化させて掲げて大声で叫びたかった。「自由。これが自由だ!見ろよ。これが自由だ。」そして気が触れたように、片っ端から掴みかかって自由をその眼前に見せつけたかった。おい、お前らはこんなところで何してるんだ。
その週末、ムラカワと僕はライナァのカウンターでビールを飲みながら、天井から吊るされたテレビの映像を眺めていた。「前いた人。」とムラカワは言った。「どの人?」「一緒に話してた。」「あぁ。」「なんの知り合い?」「好きな作家のトークショー観に行ってそこで話して仲良くなった。」「仲が良すぎたな。前のあれは。」「もう言わないでくれ。」テレビは美術館の展示物をひとつづつ解説していくという内容だった。酒を飲みながら観るようなものじゃないし、酒を飲んでなかったらなおさら観るようなものじゃない。「見ろよあれ。」とムラハシは指さしたのは便器にオートグラフが書かれた作品で、それが美術史では重大な意味を持つものだ、と白人の太った女性が画面のなかで説明していた。僕は彼女があの四角い箱の中に閉じ込められた不運な妖精に思えた。あの中でずっとずっと美術作品を決められた台本に沿って、さも価値のある、重大な意味を持つものだ、と驚嘆したふりをしなくちゃいけないのだ。それはつまらないテレビ番組で、皆さんここで笑ってください、とディレクターに演出の注文をつけられて、それに何の疑いも持たない’観客’に似ていた。僕は瞬発的にあの妖精を不憫に思った。ムラハシはビールを飲んで次のビールを注文してから言った「俺は美術をやるよ。いま決めた。」。僕はすこし笑いそうになって答えた「それで便器に自分の名前書いて売るんだろ。」「そう。」「最高だな。」「ああ。最高だ。『お仕事は?』なんて聞かれたら『便器にサインを書く仕事です。』なんて言ってな。最高だ。最高で最低だ。クソ。」「まったくクソったれだな。」「ああ、クソったれだ。」ムラハシのことを好く女の子が店に入ってきた。遠くから見ても素敵な女の子だったし、実際、彼女は僕たちがいる場所に客の間をくぐり抜けていく間に3人の男に声をかけられていた。彼女のどことなく頼りないところが、男の中の何かを刺激するのかもしれない。
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