言葉が目詰まりを起こしている。とても、これは個人的な話だ。僕は恋をしていた。横浜駅の近くのビルの靴屋で働いている女の子に、僕はもうあらゆる幻想の羽を束ねて敷き詰めるような恋をしていた。ブログを読んでいて、去年一緒にフジロックに行けなかった人がいて、そのロックフェスの前日になって発作的に彼女のブログにコメントをして、彼女にその日、会った。というより、偶然を期待して出会うことに達した、と書くべきだろうか。下北沢の地下にあるライブハウスの入り口から少し入ったところで、彼女の好きなバンドの前座のバンドを眺めていると、顔立ちの整った女の子がいて、この子が当確の彼女でないとして、僕は仲良くなれればいいや、という半ば勢いで僕たちは話しかけて、話をしているうちに彼女のだと発覚した、という成り行きだった。それで、その女の子にそのライブハウスでのイベントで出会うことができたら(でももし本当に会えるとは思ってなかったんだ)、フジロック参加すると自分に約束していたので、時間差を伴ってそれを果たしたというわけだ。ライブハウスの近くの彼女の友達の家から荷物を運び出すのを手伝って、ローソンでチケットを入手しようとしたけれど、三日間のうちの最初の1日のチケットが売り切れたので、僕は二日目と三日目のチケットを手に入れた。彼女はmixiのコミュニティで知り合った見ず知らずの男の車に乗ってフジロックに行く段取りだったので、彼女と二日目から現地で会おうと約束して下北沢のホームで、彼女は調布方面、僕は渋谷方面、別れて、僕は渋谷に向かった。これで金曜の夜はクラブイベントjazz&jiveに行くことになった。実は土曜は、前にクラブで知り合って、浅からぬ付き合いになっている女性と隅田川の花火退会に行く予定だったし、日曜はこれまたダイアリーノートで知り合っためめちゃん+いしだ三者ミーティングが控えていたのであった。先約を破ってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいになりつつリスケジューリング。下北沢から渋谷へ瞬く間に到着して、僕は東急東横線に乗り換えず、渋谷の街に繰り出し、繰り出した勢いで押し流され、押し上げられるようにエスカレータを上りtsutaya6階、本とカフェが接合したそこでエスカレータから床に滑り出して顔をあげるとそこにいたのが’元のどか’のモチーフである、その女の子が旦那にケツを触られていた!!!!もう、僕は意識という意識、現実感覚に真実という名の棒を無理矢理さしこまれて、自分を見失ってしまって、僕にできるのはそれをただただ突っ立って眺めているだけしかできなかった。こんなことってありかよ、というのと同時に僕はその場所から立ち去ることだって本当はできたのに、そこにいたまま、それを見ていた。正しい状況説明をする。エスカレータを降りた雑誌を読んでいるあの子がいた、隣には男(後述するが冴えてる男じゃなかった)がいた。そのときその子は僕に気づかなかった。僕は抗いがたい不可解な欲求に突き動かされて、彼女とその旦那を観察するために彼らの後方に移動、なんかスカート越しにケツの穴かその少し先を触っている。僕はまた少し違う斜めの角度から男のほうを見ると、なんていうか、冴えないのだ。良い冴えなさと悪い冴えなさがあるけれど、それは後者であって、圧倒的に後者だった。そして僕は彼らの正面から雑誌を眺めて、彼女は僕を認識して、顔を逸らした。ちなみにこれによく似た現場い立ち会ったことは少なくない(くそったれ)。それで、僕はそのとき、もうその男の冴えなさによって自分の回りのクールに整頓された雑誌、流行にそった綺麗な顔のモデル、それらをまばたきせずに凝視する化粧をし、綺麗な服を着飾った女の子達、男の子達は僕の周辺から急速に流れ去り始めたのだ。その感覚は一生に一度のものだろう。達観なんて生温くて気の抜けた表現ではとても言い表せないような、現実が冷蔵庫の瞬間解凍のコマーシャルのように一瞬で色褪せていったのだ。僕が心の中で、幻想のなかで完璧な顕在をしていた女性は、ただのそこらにいる平凡な女性で、平凡な男を連れていて、彼女の人生はそのレールを変更することもできずに生きていく。そう、僕には分かっていた。十全と理解していた。彼女はその男のことを愛してはいなかった。それは彼女の自己卑下の一環でしかなかった。夢に破れた敗者達が見に擦り付ける自己憐憫の亜種でしかなかった。多くの人達がかわす、上っ面の約束だった。まったく自分の人生に向き合うことができず壊して汚して、二度と使い物にならないようになった、醜い自己憐憫だった。そして、僕は裏切られたことに気づいた。彼女にではない。彼女は最初から、彼女であった。彼女の旦那は彼女の旦那であった。僕を裏切ったのは僕自身だった。うんざりするような紛い物を本当に価値のあるものだと妄想で自分自身を満たしてた男だ。僕も誰かも美しいと思うものは何もかもただの思い込みや勘違いや幻想なのだ。僕は自分の美意識を信頼していた。ただ、それはどこにでもいる女の子の真実を遥かに超えたその姿形をした僕のための偶像でしかなかった。何もかも、美しいと思えるものは、意識を利用した現実には存在しない偶像なのだ。美しい世界といったものは無い。そこにあるのはただの世界だ。流れ去ったあとのその場所で、僕は呆然と立っていると、やがてその何の幻想も既に負ってはいない彼女(彼女の抜け殻とでもいえばいいのか)は、連れているどこにでもいる安っぽい男を連れていなくなった。

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