仕事を終えて家に帰る途中、ムラハシから電話がかかってきて今家で酒を飲んでいるからうちに来いと呼ばれたで、電車を折り返してムラハシの家に行った。
駅に迎えに着てくれたムラハシの顔はどこか老け込んでいてその疲れの原因を考えていた。僕が知る限り、この男は家で眠っているか、マンガを読んでいるかのどちらかだったし、気が向いたときにレコード屋を何軒もハシゴして山のようにレコードを買い込んで、それを一通り聞いたらまた眠るかマンガを読むかのどちらかをひたすら繰り返すだけだった。留年しない程度に大学の授業に出て、時間の続く限りそれを上手に浪費しているだけだった。疲れる理由なんてどこにもない。
ムラハシの家に行く途中、適当につまみと酒を買って、「最近何か面白いことあった?」からはじまるいつも通りの会話をした。ムラハシはいつも「面白いこと?ないかな。」と言って、それから僕はとっておきの珍事を彼に物語る。時間がゆっくりと流れる部屋で酒を飲みながらぼんやりしていると、ムラハシが今日会ってから1億回目くらいの溜め息をついて、僕はとうとうその訳を訊いた。「大学の友達に連れて行かれたクラブイベントで知り合った女の子がいて、で、その女の子のことが忘れられないんだ。」
この男と恋愛の話をしたのは、僕が覚えている限り一度だけで、10年前好きになった(初恋だった)女の子がいて、その女の子に振られたとき文字通り飯が喉を通らなくなって、ただでさえ痩せている身体が10kg痩せて、がりがりになって、それ以来恋をすることができなくなったし、女の子と会話をすることができなくなった、という話だった。「それで連絡先とか、また会う約束とかしてるの?」と訊くと、首を横に振って酔って赤らめた顔で「メールアドレスは訊いた。まだメールしてない。」と深刻な表情で答えた。僕はもちろん、そういったことが面白くなってきて、その女の子のことを山ほど訊いたが、彼女についてムラハシが知っていたのは、名前とメールアドレスと目が垂れていて(初恋の相手が目が垂れていたとか)、彼ら二人が出会ってから話せた会話が異常に沈黙が多かったというそれだけだった。メールをさせようと躍起になって、色々と説得をしたが、結局彼がそうすることにしたのは説得を初めてから3時間後のことだった。僕は彼のことがとても好きだったし、もし、この何を考えているか分からないが、誰の中にも見出すことのできなかったほどの情熱を持ち合わせた人間がこのまま誰かを愛したりしないのは、僕にはとても間違ったことのように思えたからだ。
二人してビール8杯目の気の毒なくらいに泥酔した意識で1時間かけて考えた文章のメールが、夜中の1時に、それを作成する10分の1の時間もかけずに返信されたことを僕はとても信じられなかった。それを成そうとしていた割に、それが実際に起こるとひどく驚いてしまったわけだ。僕たち二人はやたらとむさ苦しいけれど、大半の人が長い長い時間をかけて失ってしまう純粋さによってやたらと有頂天になっていたし、驚くほど、その夜は物事が階段を二つ飛ばしで駆け上がるかのように、スムーズに淡い夢が掴むことのできるものとして眼前に立ち現れるのに立ち会っていた。ひどく酔っているときだけの偶発的な瞬発力でムラハシとムラハシの好きな女の子(そして僕の)の次に会う約束を結んだ。

朝起きて、二日酔いの僕を無理矢理起こして、「おい、見ろよこれ。おい!」と彼は僕を超人的な健全さで揺り起こして携帯電話の画面を僕の顔に押し付けた。そのせいで僕は便所で吐いたが、ムラハシは気にも留めていなかった。3時過ぎ、家に帰って僕はPCを開いて、ムラハシのことを書いた。

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