書くことについて(仮) 42/100
2008年9月4日 コミューンと記録メモと書くこと夜が明ける頃、何を思ったか、フルカワは僕とムラハシを誘って自分の家に朝飯を食いに来いと行った。断る理由もなかったし興味をそそられて階段で降りて、指紋と番号と鍵の3重の玄関のドアを開けて僕らは彼の家に入った。広い家だった。部屋がいくつかあるかは忘れたが、とにかく、トイレに行きたくなって指示通りに家を進んでドアを開くと、自分が住む家全体より広い部屋の真ん中の便器が置いてあった。僕は間違ったドアを開いてしまったと思った。やたらと広い部屋に何かの事情があって便器が置いてあるのだ。もう一度フルカワに部屋の場所を聞いたが、笑われて、結局僕はその便器が置いてある部屋で用を済ませた。
酔いが醒めた僕とムラハシはその家に何があったかはよく覚えていない。とにかくやたら広い家で、絵画や掛け軸や壷なんかが無いことに交換を持った。僕たちは無言でリビングでサンドイッチを食べながら何を話そうか考えていたが、その時、フルカワが僕にした話をよく覚えている。知人から潰れかけた小さなレコード会社を彼が買い取る前、弁護士の仕事をしていて、ある新興宗教の大物の資産管理をしていたとき、その教祖に「あなたは何を信じているんですか?」と尋ねたときのことを話した。なかなか聞けるようなエピソードではない。フルカワは僕たちにまず訊いた?「おい、お前ら考えてみろよ。そいつは愛人を100人囲って、警察に金握らせてまで人を"消す"ような化け物だ。」僕は「かね。」と言った。ムラハシは「思いつかない。」と言った。「信じられるか?そいつは真顔で『愛です。』って言ったんだ。あれは神に誓っていうけど、本心だったな。気が狂ってたんだ。完璧にな。」僕たちはなんて言えばいいのか思いつかなかった。「その男にとっては誰かの思想や意識や決断を全部肩代わりしてやることが絶対的な愛だったんだ。『人は迷いを消し去ることで安寧を得るのです。』とかなんとか言ってたな。思考のアウトソーシング。それと同じ
ようなことをマスコミで力持ってたお偉いさんも言ってたな。言葉も言い方も表面的な部分じゃまるっきり違うけど、根は一緒だな。」ムラハシは首をぐるぐる回して、グレープフルーツジュースをストローでちゅーちゅー吸いながら「そいつらって共通点とか、特徴ってあるんですか?素質みたいな。」と言った。フルカワは鼻を鳴らして「お前、なりたいのか?」と訊くとムラハシは首をすくめた。「ひとつは子供をそのまま大人にしたようなところがある。アニメとかが好きだ。それと、コンプレックスが異常に強い。それと性欲が強いな。種をまき散らすのが趣味みたいなもんだ。」僕は笑ってムラハシを見たが、別に彼は気にした様子もなかった。僕たちが上品な小さなエレベータに乗って降りていくあいだ、ムラハシは「夢みたいだ。」と呟いて、僕は無言で同意した。
横浜駅西口シアルスターバックス2階、capsuleの『happy life genrerator』を聞きながらこの文章を書いている。昨日から一睡もしてないおかげで、身体が自分のものじゃないような感覚になっている。誰かの身体に乗り込んだはいいけど、どうにも納まりが悪い。昨日から僕はピアノを弾きはじめた。文章のタイピングと鍵盤を打鍵は似ているだろうか。文章は記録されるものだが、音はそれを記憶しようとしなければ消えてしまう。音の出るほうのキーボードは触れていて楽しい。文章はタイピングの音しか鳴らない(カチカチカチカチ)。音符はしかるべきようにすれば鳴る。文章は意味を司る。楽譜は音を司る。関連付けること。僕は小説を4ヶ月も前から書いている。これは、いささか、時間がかかり過ぎじゃないかと思っている。僕は小説をずっと前に置いて変化し過ぎたように思える。完成した頃には、それは似た別人が作り上げた形をしていると思う。誰かは、その小説の序盤を気に入り、別の誰かは、その小説の終盤を気に入る。彼らは似ていない。誰かが言った言葉だ。成功とは意欲を失わず失敗を繰り返すことだ。意欲。情熱や、走り始めたばかりの頃の衝動を失ったときに、減速のペースが加速して、やがて止まる。停止。ストップ。終わり。僕は初期衝動に任せて書き上げてしまうべきだったのかもしれない。ある小説家は、小説家になることは易しいといった。そして、小説家でい続けることは難しいといった。もっともっと書くことを楽しむべきなのかもしれない。楽しいと感じないときは書かなければいいのかもしれない。それに文章を書く以外のことは沢山ある。怖れていることは、小説を置いたままにして、そこに戻ることなくなってしまうことだ。新しい出来事が必要なんだろうか。書きたいと心底から求める対象の蓄積が無くなってしまった(もしくは記憶のそこで結びつく新たな刺激をそれが見つけることができないせいで、ポタージュスープの溶けたポテトのように沈殿してしまっているのかもしれない。)
四足で走る男だか女だかがやって来て、膝の関節が逆に檻曲がった後ろ足を蹴りそして蹴り、股がった僕を共々、矢のように走り抜けると、沢山の建築を擦り抜けて、ぶつからず、酔っ払いの精神科の家のつくと、四足は走り去って消えた。ともかくドアをノックして、酔っ払いの精神科医がゲロゲロ吐く寸前のあっぷあっぷして僕を出迎えた。外から見れば3階建ての立派&豪華な家の中に入ると、部屋は真っ白で、1階から3階まで吹き抜けで、家具は一つもない、土足可能のシンプルを目的にして直線に真っ直ぐ達成したような内装だった。吐けば楽になるのに、と、僕は思ったけれど、何せ僕は客人、患者であって、癒される立場、癒す立場、の対立構造が前提だった。ともかく僕は様々な葛藤や迷いや悩みや苦しみとか希望や欲望などなど胃と腸が口から流れ出るようにしてひたすら喋り続けた。喋り続けて、絞り出されて、湿りどころか逆に乾燥してカピカピになるほど絞り吐き出して、僕は何も言わず立ち上がり、その医者を後にして、家を出ると四足が僕を迎えて、永遠に驚きと嘲笑の中間の表情をしながら、僕を乗せて走り始めて僕は目覚めた。
僕は隣りで寝ている女を揺り動かしたい気持ちを抑えきれなくなりそうになった。こう告げるのだ。「言葉にならないものが存在しないっていうなら、あんたは地表に染み付く模様に過ぎないよ。」と。彼女が寝る前に、例の電話での話を持ち出されて、僕は出口の無い文脈を無理矢理伝えなければいけなくなった。それに嘘を含めるくらいなら沈黙していたほうがいいと思えた。沈黙か、もしくは言葉にならない何か。けれど、僕は彼女を起こそうとはしなかった。「ねぇ、ほんとあの電話、最悪だった。」と彼女は言ったけれど、僕は何も言わなかった。彼女は溜め息をついて眠った。そして例えようのない孤独に足の先から頭のてっぺんまで浸かることになった。真夜中の海のなかに沈められていくような気分だった。分かり合えないことに対して、諦めを付けている、というのは、それはもちろん、最初はそれを諦めていなかった、訴求があって、そして、やがて失望に屈する。誰もが。
酔いが醒めた僕とムラハシはその家に何があったかはよく覚えていない。とにかくやたら広い家で、絵画や掛け軸や壷なんかが無いことに交換を持った。僕たちは無言でリビングでサンドイッチを食べながら何を話そうか考えていたが、その時、フルカワが僕にした話をよく覚えている。知人から潰れかけた小さなレコード会社を彼が買い取る前、弁護士の仕事をしていて、ある新興宗教の大物の資産管理をしていたとき、その教祖に「あなたは何を信じているんですか?」と尋ねたときのことを話した。なかなか聞けるようなエピソードではない。フルカワは僕たちにまず訊いた?「おい、お前ら考えてみろよ。そいつは愛人を100人囲って、警察に金握らせてまで人を"消す"ような化け物だ。」僕は「かね。」と言った。ムラハシは「思いつかない。」と言った。「信じられるか?そいつは真顔で『愛です。』って言ったんだ。あれは神に誓っていうけど、本心だったな。気が狂ってたんだ。完璧にな。」僕たちはなんて言えばいいのか思いつかなかった。「その男にとっては誰かの思想や意識や決断を全部肩代わりしてやることが絶対的な愛だったんだ。『人は迷いを消し去ることで安寧を得るのです。』とかなんとか言ってたな。思考のアウトソーシング。それと同じ
ようなことをマスコミで力持ってたお偉いさんも言ってたな。言葉も言い方も表面的な部分じゃまるっきり違うけど、根は一緒だな。」ムラハシは首をぐるぐる回して、グレープフルーツジュースをストローでちゅーちゅー吸いながら「そいつらって共通点とか、特徴ってあるんですか?素質みたいな。」と言った。フルカワは鼻を鳴らして「お前、なりたいのか?」と訊くとムラハシは首をすくめた。「ひとつは子供をそのまま大人にしたようなところがある。アニメとかが好きだ。それと、コンプレックスが異常に強い。それと性欲が強いな。種をまき散らすのが趣味みたいなもんだ。」僕は笑ってムラハシを見たが、別に彼は気にした様子もなかった。僕たちが上品な小さなエレベータに乗って降りていくあいだ、ムラハシは「夢みたいだ。」と呟いて、僕は無言で同意した。
横浜駅西口シアルスターバックス2階、capsuleの『happy life genrerator』を聞きながらこの文章を書いている。昨日から一睡もしてないおかげで、身体が自分のものじゃないような感覚になっている。誰かの身体に乗り込んだはいいけど、どうにも納まりが悪い。昨日から僕はピアノを弾きはじめた。文章のタイピングと鍵盤を打鍵は似ているだろうか。文章は記録されるものだが、音はそれを記憶しようとしなければ消えてしまう。音の出るほうのキーボードは触れていて楽しい。文章はタイピングの音しか鳴らない(カチカチカチカチ)。音符はしかるべきようにすれば鳴る。文章は意味を司る。楽譜は音を司る。関連付けること。僕は小説を4ヶ月も前から書いている。これは、いささか、時間がかかり過ぎじゃないかと思っている。僕は小説をずっと前に置いて変化し過ぎたように思える。完成した頃には、それは似た別人が作り上げた形をしていると思う。誰かは、その小説の序盤を気に入り、別の誰かは、その小説の終盤を気に入る。彼らは似ていない。誰かが言った言葉だ。成功とは意欲を失わず失敗を繰り返すことだ。意欲。情熱や、走り始めたばかりの頃の衝動を失ったときに、減速のペースが加速して、やがて止まる。停止。ストップ。終わり。僕は初期衝動に任せて書き上げてしまうべきだったのかもしれない。ある小説家は、小説家になることは易しいといった。そして、小説家でい続けることは難しいといった。もっともっと書くことを楽しむべきなのかもしれない。楽しいと感じないときは書かなければいいのかもしれない。それに文章を書く以外のことは沢山ある。怖れていることは、小説を置いたままにして、そこに戻ることなくなってしまうことだ。新しい出来事が必要なんだろうか。書きたいと心底から求める対象の蓄積が無くなってしまった(もしくは記憶のそこで結びつく新たな刺激をそれが見つけることができないせいで、ポタージュスープの溶けたポテトのように沈殿してしまっているのかもしれない。)
四足で走る男だか女だかがやって来て、膝の関節が逆に檻曲がった後ろ足を蹴りそして蹴り、股がった僕を共々、矢のように走り抜けると、沢山の建築を擦り抜けて、ぶつからず、酔っ払いの精神科の家のつくと、四足は走り去って消えた。ともかくドアをノックして、酔っ払いの精神科医がゲロゲロ吐く寸前のあっぷあっぷして僕を出迎えた。外から見れば3階建ての立派&豪華な家の中に入ると、部屋は真っ白で、1階から3階まで吹き抜けで、家具は一つもない、土足可能のシンプルを目的にして直線に真っ直ぐ達成したような内装だった。吐けば楽になるのに、と、僕は思ったけれど、何せ僕は客人、患者であって、癒される立場、癒す立場、の対立構造が前提だった。ともかく僕は様々な葛藤や迷いや悩みや苦しみとか希望や欲望などなど胃と腸が口から流れ出るようにしてひたすら喋り続けた。喋り続けて、絞り出されて、湿りどころか逆に乾燥してカピカピになるほど絞り吐き出して、僕は何も言わず立ち上がり、その医者を後にして、家を出ると四足が僕を迎えて、永遠に驚きと嘲笑の中間の表情をしながら、僕を乗せて走り始めて僕は目覚めた。
僕は隣りで寝ている女を揺り動かしたい気持ちを抑えきれなくなりそうになった。こう告げるのだ。「言葉にならないものが存在しないっていうなら、あんたは地表に染み付く模様に過ぎないよ。」と。彼女が寝る前に、例の電話での話を持ち出されて、僕は出口の無い文脈を無理矢理伝えなければいけなくなった。それに嘘を含めるくらいなら沈黙していたほうがいいと思えた。沈黙か、もしくは言葉にならない何か。けれど、僕は彼女を起こそうとはしなかった。「ねぇ、ほんとあの電話、最悪だった。」と彼女は言ったけれど、僕は何も言わなかった。彼女は溜め息をついて眠った。そして例えようのない孤独に足の先から頭のてっぺんまで浸かることになった。真夜中の海のなかに沈められていくような気分だった。分かり合えないことに対して、諦めを付けている、というのは、それはもちろん、最初はそれを諦めていなかった、訴求があって、そして、やがて失望に屈する。誰もが。
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