理数系、文系、の区別は安易だ。
っていうことについて考えてたんだけど、
出来不出来はともかく、科目への興味があるかないか、
で、考えるほうが適当だと思う。
数学に興味があるとか、国語に興味があるとか。
学校の科目っていう分類わけというのは無理があるけど。
(教科科目が知識の全てじゃない)
興味の方向性で物事をどういう方向から捉えるかが変わるように思える。
例えば(極端な例で実際はどうか知らないけど)、リンゴがあって、
物理が好きな人は重さとか、丸さ(?)に物理的な興味がわく。
美術が好きな人は、リンゴの背後にある背景との色のコントラストに意識がいったり。
(学校の科目以外にも、お笑いが好きな人はリンゴでネタを考えるかもしれない。)
携帯電話を選ぶ判断基準が、性能かデザインか、みたいな。
それで、情緒的な物事への好奇心が強い人より、メカニカルな物への好奇心がある人のほうが、
情緒的な判断をせずに、合理的な決断をする傾向があるんじゃないか、
ということで。
そうした決断をしたんだから、後々後悔しにくい、というやり方はいいな、と思った。
追記
何が言いたいのか分からない文章だ。
まず、思考(or判断or選択)には癖がある。
その癖には興味が関係している。
っていうのと、
人を分類はできないけど、
それでも判断基準を厳格に作れば思考(or判断or選択)の癖を一応は分類できる、っていう話。
っていうことについて考えてたんだけど、
出来不出来はともかく、科目への興味があるかないか、
で、考えるほうが適当だと思う。
数学に興味があるとか、国語に興味があるとか。
学校の科目っていう分類わけというのは無理があるけど。
(教科科目が知識の全てじゃない)
興味の方向性で物事をどういう方向から捉えるかが変わるように思える。
例えば(極端な例で実際はどうか知らないけど)、リンゴがあって、
物理が好きな人は重さとか、丸さ(?)に物理的な興味がわく。
美術が好きな人は、リンゴの背後にある背景との色のコントラストに意識がいったり。
(学校の科目以外にも、お笑いが好きな人はリンゴでネタを考えるかもしれない。)
携帯電話を選ぶ判断基準が、性能かデザインか、みたいな。
それで、情緒的な物事への好奇心が強い人より、メカニカルな物への好奇心がある人のほうが、
情緒的な判断をせずに、合理的な決断をする傾向があるんじゃないか、
ということで。
そうした決断をしたんだから、後々後悔しにくい、というやり方はいいな、と思った。
追記
何が言いたいのか分からない文章だ。
まず、思考(or判断or選択)には癖がある。
その癖には興味が関係している。
っていうのと、
人を分類はできないけど、
それでも判断基準を厳格に作れば思考(or判断or選択)の癖を一応は分類できる、っていう話。
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