他人に何度も何度も拒まれることで、自分の思い通りになることがごくごく僅かでしかないことに、最近になって気付いた。
本当に本当にごくごく僅かだ。
それに、価値に対して盲でいることができなくなった。

じゃあ、過去はきっと沢山のことが思い通りになると思い込んでいて、そのうえ無価値なものに夢中になっていた、っていうことなのかもしれない。
でも、そのとき、比べることは難しいけれど、いまのこの気持ちよりかは楽しかった。

昨日、偶然、靴屋の髪の黒い女の子に出会った。
急に声が小さくなってしまうのは、僕が彼女を前にするときそうだったことで、それを彼女は僕にした。
それで彼女が僕のことを今でも好きなことも分かった。
ヤニで以前よりずっと黄色くなった歯と、彼女が恋人といたのを僕が見てしまったときの彼女の表情から察するに、彼女の結婚生活がうまくいってない(予想通り)ことも分かった。

けれど、もう気持ちが震えなかった。

一つは、そういったことに理不尽な失恋に何度も遭い過ぎたこと。
もう一つは、そういったことに慣れてしまったこと。
最後に、慣れてしまったことで、他人に期待することをやめてしまったこと。
失望のせいで傷ついて高慢な態度を取ることすら、もうやめにした。

僕はもっとシンプルな失恋のほうが良かった。
その人が自分のことを好きじゃないから、とか納得して消化できる、できる限りノーマルな失恋のほうが。

恋をすることは、根拠の有無に関係なく、それがうまくいくっていう自信と、無理のある幻想で異性の価値を上限なく心の中で押し上げていくことの両方があって、成立する。
そのどちらも僕は無くした。

また、誰かを好きになっても、今までとはすこし違っているんだと思う。
そのすこしの違いはとても決定的で大きなものかもしれない。


恋愛を通して、漠然として良い将来への感覚を失う、なんて馬鹿げてるかな。
鮮やかな楽しいことや素敵なことが無尽蔵に自分を待っている感覚を。

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