書くことについて(仮) 47/100
2009年1月18日 コミューンと記録メモと書くことゲージをあけると、一瞬、檻が揺れて、向こう側で怯えて震えているのが分かった。ユキが呼びかけると、不自然なくらい静かになって、まるで自分がいないことを伝えているようだった。ユキは振り向いて乞うように「私、悪くないもん。」とユキに言った。シロはやさしく微笑んで何も言わなかった。手をゲージの奥のほうに伸ばすと、低い唸り声が聞こえて、手を咬むんじゃないかと思って「ヤスタカ」と呼んだ。一番下の段で屈むと、大きなっても(ユキが生まれたときに買った犬だった)幼いままの目が、じっとこちらを見ていた。シロは助け舟を出そうと、いつものビーフジャーキーをユキに渡すと、彼女は弱っている彼がちゃんと食べられるように、半分に裂いてゲージの奥に腕を伸ばした。勢いよく食べ始めて、食いつこうとして追いかける彼をおびき寄せるように、ゆっくりと手元に引きながら、嬉しそうな顔をしながらシロのほうを見た。ジャーキーの一番最後の部分をかじるめに、ゲージを這い出て来たのは、ゴールデンレトリバーではなく、老いて痩せた柴犬だった。呆然とした顔をしたユキは「ちっちゃくなっちゃった!」と叫んだ。シロは手元の用紙をもう一度見て、よーく見ると"G"が"C"にも見えることに気付いた。確認するためにユキに見せると「マジ白ける」といった顔で「これ、Cよ。」と言ってからわざとらしく溜め息をついて(こういうときのユキはとてもとても可愛い)、それから立ち上がって、「CureのCよ。まだ死んでない。」と言って歩き始めた。
歩き方だけで自信やタフだってことを示すことのできる彼女の後ろ姿を眺めながら、シロはユキの母親と出会った頃のことを思い出した。陰惨で救いの無い話だ。もし、そんなものを読みたくないと君が思うなら、ここから先は読まないほうがいいかもしれない。本当のことには、ほんの少しも美しさは含まれていないからだ。
この話の背景と僕が登場するまでの歴史には、フルカワがいる。彼は語り主でありながら、その物語の主要な登場人物であり、僕は彼らを繋ぐ、歯車のひとつだ。フルカワが司法試験に合格したのは20才の時だった。司法試験に受かった直後、彼の父親が死ぬ間際に就職先に紹介したのが、僕の父親の会社であり、そして、その会社はやがてフルカワに引き継がれる。フルカワにとって、僕の父親はフルカワにとって仕事のパートナーであり、恩人であり、教師であった。父親の葬儀のあと、フルカワは僕に、「君の父親は俺の父親に似ている」と言い、僕はフルカワに「あなたは僕の父親に似ている」と言った。僕の父親は韓国の貧民街の出身で、血の繋がった家族は僕一人だった。母親には会ったことはない。フルカワはその簡素な遺言状を僕に告げて、鍵を渡した。そのとき、僕の父親が僕に形見に残したものは、一つの口座と鍵で、僕の父親がフルカワに遺したものは、際限なく分別を無くして多角化を繰り返した末には借金の重さで潰れかけていた会社だった(その会社は後に事業の切り離しと、厳格な方向性でフルカワの手によって国内で最大のマスメディアを持つ会社になる。たった7年間で、だ。)。そのスイスの銀行にある$単位で7桁の数字が刻印された口座と、遺言には数字の半分を二人の女の子を育てるために使えと書いてあって、見知らぬマンションの住所が書かれていた。僕はそこに行くと顔がそっくりで、雰囲気が全く異なった双子の姉妹と出会うことになる。彼らは僕の3つ年下で、彼らは16才だった。鍵を開いて、そのマンションの中を進んで行くと、無菌室のように浮世離れした白い部屋のなか、部屋は温室のようにまとわりつく空気と、何かが完璧に食い違って間違った場所にいる感覚がしていた。違和感が強すぎるのに、それなのに何故か懐かしい気持ちになったから、今でもその時の気分をよく覚えている。彼らはリビングに置かれた大きなベッド(僕が横たわっても頭のてっぺんから足の先、両手を伸ばしても、はみ出さないだけの十分な大きさだった。)が置いてあって、二人の15,6才くらいの年の女の子がベッドの上できょとんとしたで(それは飼い犬が飼い主の帰りを待ちわびていたなんてものではなくて、人形のように従順になるように徹底したようなものだった。)顔で彼らは僕の顔を覗き込んで、「こんにちは」と挨拶しても何一つ言葉を返さなかった。彼ら二人は服を着ていなかった。他人のはずである、僕に見られても恥じている様子はなかった。真冬の晴れた日で、部屋の窓の向こう側は静かで清潔だった。攻撃的と言ってもいいくらい気の強いバイタリティの塊のような女の子と、真っ黒な長い髪と真っ暗な目をした背の女の子で、彼らの顔立ちは似通っているのに、それなのにほとんど共通点が見つからなかった。僕は溜め息をつくと、彼ら二人も面白がって溜め息をついた。それから名前や年や普段は何をしているのかを一通り聴いたけれど、不思議そうな目で何も言わずただ顔を覗き込んでいた。まるで言葉で喋りかけれたことがないようだった。二人が僕に擦り寄ってくると、僕はきっぱりと立ち上がって、混乱していることをゆっくり紐解くように、マンションを出て、そのまま近くの洋服の量販店で男物のスウェットと下着を二人分買って(女性の下着を買う度胸はなかった)、来た道を戻りながら仕事ばかりでほとんど会うことのなかった父親のイメージを再構築していた。半年に一度帰ってくる父は決まって僕とキャッチボールをした。まるでその球が言葉に代わりのようだった。深呼吸をして部屋を開けて、なるべく彼らの身体を見ないようにして(僕の顔は真っ赤になっていたはずだ)洋服を着せた。髪の短いほうははしゃぎだして、髪の長いほうは嬉しそうににっこり笑った。そうして僕は二人の恋人と暮らすことになった。僕は父親の役を引き継ぎ、フルカワは僕の父親の仕事を引き継いだ。
Cの5番のケージの前で、ユキはシロに許しを求めるみたいに見上げた。彼女の態度はめまぐるしく変わって、優しそうな表情をしたり、すぐに怒ったり泣いたり、泣いている最中に笑い出したり、いつまで見ていても飽きることがなかった。言葉が足りないときは表情や声色や態度で補っていた。彼ら二人は本当に言葉を喋ることができなかった。僕が語りかける言葉も分からなかったし、文字も読めなかった。その代わりに超能力のように彼らは人の気持ちを表情やささいな態度から感じ取ることができた。僕が喉が渇いて家に戻ってくると、二人は一言も言葉を交わさず、僕から何も伝えようとしなくてもそれを見抜き、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出してコップに注いでくれた。飲み物はオレンジジュース以外に、ビールと牛乳と野菜ジュースがあって、そのときちょうどオレンジジュースを飲もうと思っていたのを、それすら見通した。酒を飲みたいときは、それを感じ取って冷えたグラスに注いで飲ませてくれた。それでも、彼らをそのまま言葉を知らないままにしておくわけにもいかなくて、僕が知る限りの本や音楽、映画、とにかくあらゆる外界にある文化を与えた。そのせいで、今でも彼らの趣味や考え方はとても似ている部分がある。カラカラに乾ききったスポンジみたいに彼らはあらゆるものを吸収した。最初は、ひらがなで書かれた絵本で、基本的な言葉(『与える』とか『悲しい』)を身振りを交えながら説明した。言葉を彼らに教えようとすると、彼らは楽しそうに僕の真似をした。最初の頃彼らはこういった言葉をまず覚えた。髪の短い女の子は気に入ったのは、離れたところにあるドーナツを指差して『欲しい』という意味と手振りで、髪の長い女の子は相手を抱きしめる『好き』という概念だった。初めて彼らと会った次の日には僕は通っていた大学に休学の申請をだして、ひたすら彼らと何かを伝えようとしていた。彼らが知っていたのは食事と寝ることのセックスだけだった。父親を軽蔑すると同時に人間がここまで何かに狂ってしまうことが信じられなかった。もっと信じることが難しかったのは、僕が父親と同じことを続けていることだった。けれど、それ以外に僕にどうすることができたんだろう。警察に届けて、社会に彼らを任せる?それは明らかに先行きが暗く思えた。偶然、捨て子として育った男(父親と同じように)と知り合ったとき、彼の心の飢えはもう取り返しのつかないことだって知っていたからだ。ベストではないにせよ、言葉すら知らない彼らを見知らぬ誰かに任せることはできなかった。それは父親の遺言に背くことになるし、何より彼が恐れたことだろう。死んだあとの自分の評判はともかく、彼が二人をこのうえなく、愛でていたことは彼ら二人から伝わったからだだ。もちろん、これは僕が見たいと思う現実で、本当はもっと救いようのない話なのかもしれない。ただ、彼の最良の部分、そして、一度も僕に示してくれることのなかったものを、他人である彼らにひたすら与えていたことで、僕は彼らに嫉妬するとどうじに、彼らを絶対に離してはいけないと思った。
日曜の正午、フルカワはこう考えていた。もし社員に見つかったらどう言い訳をすればいいのか考えていた。別人のフリをするか、変装を取り返しのつかないようにすべきか、それとも、行くのをやめてしまうか、と、6枚のCDに張られたチケット申し込みシールを剥がしながら考えていた。こんな姿を見られたら、と考えると落ち込んだ。
のどかからの「今日はキャンセル。また今度。」とだけ書かれたメールを受け取って怒りながらも安心したフルカワは、待ち合わせ場所の電気量販店のCD売り場のカロリーメイツのPOPが立った特設コーナーでたたずみながら、時間に遅れている彼女を待つ間に、自分の会社の商品の売れ行きを眺めていると、客が10人いて、手に取って眺めるだけの客が7人、そのままレジに持って行く客が2人、今日のライブのために3枚(1枚千円のCDが3枚買うと1500円)買う(3枚買わなければ握手会の券にならないのだ)客が一人。彼が眺めている15分の間にパーマの髪の男が6枚買って行った。彼はどんなやつと行くんだろう。買ったうちの2枚はきっと彼らの友達に配られる。いや、もしかしたら、一人で2枚を同時に別々のオーディオで聴く輩もいるかもしれない。なにせ、カロリーメイツのファンだ。POPに書かれた『3枚買えば今日の秋葉原NSXでライブが見れる!!』という文章の時がガムのようにカラフルな彩りを眺めていた。
「ねぇ」と、声をかけられて振り向くと、山崎書店(山崎ホールディングスの子会社の一つで、週刊誌を4つと文芸誌を1つ発刊している。)で売り出している女の作家が隣に立っていた。「いま一人?」「いや、待ち合わせ。キャンセルされたけど、まぁたいした用事じゃない。」「これ行くの?」「いや、知り合いに頼まれて。」と言い訳をしながら、嬉しそうな顔をして彼女は「私と行かない?」「気が利いた格好だね。見分けがつかない。」「凄い沢山のひとに行く途中でジロジロ見られた。」「だろうね。それズラかい?」「そう。わかんないでしょ。あなた、禿げたら、これ、あげる。」と、すこしだけズラを浮かせながら言って、笑った。「本当に行くのかい?」「怖いの?」「そういう問題じゃない。バレて困る。いや、バレて困るのは君だって同じだ。」「事故を起こす危険があるアトラクションよ。」と、顎を少し上に傾けて高慢そうに、こう付け加えた。「血が騒ぐじゃない。」その仕草は誰かにとても似ていた。
「まず、ライブがあって、次に握手会、ライブはちょっと最初だとあれかもしんないから、後ろで見ててもいいよ。」と先輩が言った。「あれですか。」「あれ。」「あれねぇ。」とシールを台紙に3枚張り替えながら、想像をめぐらしていた。「行きますか。」「ちょっとテンションあがってきた。」とマクドナルドを出てエスカレーターをのぼりビルの2階と立体交差点の中間地点のような広場で、特設されたステージに集まる沢山の人たちがいた。10分後にライブが始まる前に、先輩はいつもライブで会う友人達に挨拶に行って、僕はステージと僕を隔てる沢山のオタクの人たちを眺めていた。僕に驚きだったのは、彼らのなかに恋人がいる人たちがいることで、その人たちに限らずルックス的には全くアイドルオタクには見えないのだ。アイドルオタクの典型と想像していた人たちはほとんどいなかった。
歩き方だけで自信やタフだってことを示すことのできる彼女の後ろ姿を眺めながら、シロはユキの母親と出会った頃のことを思い出した。陰惨で救いの無い話だ。もし、そんなものを読みたくないと君が思うなら、ここから先は読まないほうがいいかもしれない。本当のことには、ほんの少しも美しさは含まれていないからだ。
この話の背景と僕が登場するまでの歴史には、フルカワがいる。彼は語り主でありながら、その物語の主要な登場人物であり、僕は彼らを繋ぐ、歯車のひとつだ。フルカワが司法試験に合格したのは20才の時だった。司法試験に受かった直後、彼の父親が死ぬ間際に就職先に紹介したのが、僕の父親の会社であり、そして、その会社はやがてフルカワに引き継がれる。フルカワにとって、僕の父親はフルカワにとって仕事のパートナーであり、恩人であり、教師であった。父親の葬儀のあと、フルカワは僕に、「君の父親は俺の父親に似ている」と言い、僕はフルカワに「あなたは僕の父親に似ている」と言った。僕の父親は韓国の貧民街の出身で、血の繋がった家族は僕一人だった。母親には会ったことはない。フルカワはその簡素な遺言状を僕に告げて、鍵を渡した。そのとき、僕の父親が僕に形見に残したものは、一つの口座と鍵で、僕の父親がフルカワに遺したものは、際限なく分別を無くして多角化を繰り返した末には借金の重さで潰れかけていた会社だった(その会社は後に事業の切り離しと、厳格な方向性でフルカワの手によって国内で最大のマスメディアを持つ会社になる。たった7年間で、だ。)。そのスイスの銀行にある$単位で7桁の数字が刻印された口座と、遺言には数字の半分を二人の女の子を育てるために使えと書いてあって、見知らぬマンションの住所が書かれていた。僕はそこに行くと顔がそっくりで、雰囲気が全く異なった双子の姉妹と出会うことになる。彼らは僕の3つ年下で、彼らは16才だった。鍵を開いて、そのマンションの中を進んで行くと、無菌室のように浮世離れした白い部屋のなか、部屋は温室のようにまとわりつく空気と、何かが完璧に食い違って間違った場所にいる感覚がしていた。違和感が強すぎるのに、それなのに何故か懐かしい気持ちになったから、今でもその時の気分をよく覚えている。彼らはリビングに置かれた大きなベッド(僕が横たわっても頭のてっぺんから足の先、両手を伸ばしても、はみ出さないだけの十分な大きさだった。)が置いてあって、二人の15,6才くらいの年の女の子がベッドの上できょとんとしたで(それは飼い犬が飼い主の帰りを待ちわびていたなんてものではなくて、人形のように従順になるように徹底したようなものだった。)顔で彼らは僕の顔を覗き込んで、「こんにちは」と挨拶しても何一つ言葉を返さなかった。彼ら二人は服を着ていなかった。他人のはずである、僕に見られても恥じている様子はなかった。真冬の晴れた日で、部屋の窓の向こう側は静かで清潔だった。攻撃的と言ってもいいくらい気の強いバイタリティの塊のような女の子と、真っ黒な長い髪と真っ暗な目をした背の女の子で、彼らの顔立ちは似通っているのに、それなのにほとんど共通点が見つからなかった。僕は溜め息をつくと、彼ら二人も面白がって溜め息をついた。それから名前や年や普段は何をしているのかを一通り聴いたけれど、不思議そうな目で何も言わずただ顔を覗き込んでいた。まるで言葉で喋りかけれたことがないようだった。二人が僕に擦り寄ってくると、僕はきっぱりと立ち上がって、混乱していることをゆっくり紐解くように、マンションを出て、そのまま近くの洋服の量販店で男物のスウェットと下着を二人分買って(女性の下着を買う度胸はなかった)、来た道を戻りながら仕事ばかりでほとんど会うことのなかった父親のイメージを再構築していた。半年に一度帰ってくる父は決まって僕とキャッチボールをした。まるでその球が言葉に代わりのようだった。深呼吸をして部屋を開けて、なるべく彼らの身体を見ないようにして(僕の顔は真っ赤になっていたはずだ)洋服を着せた。髪の短いほうははしゃぎだして、髪の長いほうは嬉しそうににっこり笑った。そうして僕は二人の恋人と暮らすことになった。僕は父親の役を引き継ぎ、フルカワは僕の父親の仕事を引き継いだ。
Cの5番のケージの前で、ユキはシロに許しを求めるみたいに見上げた。彼女の態度はめまぐるしく変わって、優しそうな表情をしたり、すぐに怒ったり泣いたり、泣いている最中に笑い出したり、いつまで見ていても飽きることがなかった。言葉が足りないときは表情や声色や態度で補っていた。彼ら二人は本当に言葉を喋ることができなかった。僕が語りかける言葉も分からなかったし、文字も読めなかった。その代わりに超能力のように彼らは人の気持ちを表情やささいな態度から感じ取ることができた。僕が喉が渇いて家に戻ってくると、二人は一言も言葉を交わさず、僕から何も伝えようとしなくてもそれを見抜き、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出してコップに注いでくれた。飲み物はオレンジジュース以外に、ビールと牛乳と野菜ジュースがあって、そのときちょうどオレンジジュースを飲もうと思っていたのを、それすら見通した。酒を飲みたいときは、それを感じ取って冷えたグラスに注いで飲ませてくれた。それでも、彼らをそのまま言葉を知らないままにしておくわけにもいかなくて、僕が知る限りの本や音楽、映画、とにかくあらゆる外界にある文化を与えた。そのせいで、今でも彼らの趣味や考え方はとても似ている部分がある。カラカラに乾ききったスポンジみたいに彼らはあらゆるものを吸収した。最初は、ひらがなで書かれた絵本で、基本的な言葉(『与える』とか『悲しい』)を身振りを交えながら説明した。言葉を彼らに教えようとすると、彼らは楽しそうに僕の真似をした。最初の頃彼らはこういった言葉をまず覚えた。髪の短い女の子は気に入ったのは、離れたところにあるドーナツを指差して『欲しい』という意味と手振りで、髪の長い女の子は相手を抱きしめる『好き』という概念だった。初めて彼らと会った次の日には僕は通っていた大学に休学の申請をだして、ひたすら彼らと何かを伝えようとしていた。彼らが知っていたのは食事と寝ることのセックスだけだった。父親を軽蔑すると同時に人間がここまで何かに狂ってしまうことが信じられなかった。もっと信じることが難しかったのは、僕が父親と同じことを続けていることだった。けれど、それ以外に僕にどうすることができたんだろう。警察に届けて、社会に彼らを任せる?それは明らかに先行きが暗く思えた。偶然、捨て子として育った男(父親と同じように)と知り合ったとき、彼の心の飢えはもう取り返しのつかないことだって知っていたからだ。ベストではないにせよ、言葉すら知らない彼らを見知らぬ誰かに任せることはできなかった。それは父親の遺言に背くことになるし、何より彼が恐れたことだろう。死んだあとの自分の評判はともかく、彼が二人をこのうえなく、愛でていたことは彼ら二人から伝わったからだだ。もちろん、これは僕が見たいと思う現実で、本当はもっと救いようのない話なのかもしれない。ただ、彼の最良の部分、そして、一度も僕に示してくれることのなかったものを、他人である彼らにひたすら与えていたことで、僕は彼らに嫉妬するとどうじに、彼らを絶対に離してはいけないと思った。
日曜の正午、フルカワはこう考えていた。もし社員に見つかったらどう言い訳をすればいいのか考えていた。別人のフリをするか、変装を取り返しのつかないようにすべきか、それとも、行くのをやめてしまうか、と、6枚のCDに張られたチケット申し込みシールを剥がしながら考えていた。こんな姿を見られたら、と考えると落ち込んだ。
のどかからの「今日はキャンセル。また今度。」とだけ書かれたメールを受け取って怒りながらも安心したフルカワは、待ち合わせ場所の電気量販店のCD売り場のカロリーメイツのPOPが立った特設コーナーでたたずみながら、時間に遅れている彼女を待つ間に、自分の会社の商品の売れ行きを眺めていると、客が10人いて、手に取って眺めるだけの客が7人、そのままレジに持って行く客が2人、今日のライブのために3枚(1枚千円のCDが3枚買うと1500円)買う(3枚買わなければ握手会の券にならないのだ)客が一人。彼が眺めている15分の間にパーマの髪の男が6枚買って行った。彼はどんなやつと行くんだろう。買ったうちの2枚はきっと彼らの友達に配られる。いや、もしかしたら、一人で2枚を同時に別々のオーディオで聴く輩もいるかもしれない。なにせ、カロリーメイツのファンだ。POPに書かれた『3枚買えば今日の秋葉原NSXでライブが見れる!!』という文章の時がガムのようにカラフルな彩りを眺めていた。
「ねぇ」と、声をかけられて振り向くと、山崎書店(山崎ホールディングスの子会社の一つで、週刊誌を4つと文芸誌を1つ発刊している。)で売り出している女の作家が隣に立っていた。「いま一人?」「いや、待ち合わせ。キャンセルされたけど、まぁたいした用事じゃない。」「これ行くの?」「いや、知り合いに頼まれて。」と言い訳をしながら、嬉しそうな顔をして彼女は「私と行かない?」「気が利いた格好だね。見分けがつかない。」「凄い沢山のひとに行く途中でジロジロ見られた。」「だろうね。それズラかい?」「そう。わかんないでしょ。あなた、禿げたら、これ、あげる。」と、すこしだけズラを浮かせながら言って、笑った。「本当に行くのかい?」「怖いの?」「そういう問題じゃない。バレて困る。いや、バレて困るのは君だって同じだ。」「事故を起こす危険があるアトラクションよ。」と、顎を少し上に傾けて高慢そうに、こう付け加えた。「血が騒ぐじゃない。」その仕草は誰かにとても似ていた。
「まず、ライブがあって、次に握手会、ライブはちょっと最初だとあれかもしんないから、後ろで見ててもいいよ。」と先輩が言った。「あれですか。」「あれ。」「あれねぇ。」とシールを台紙に3枚張り替えながら、想像をめぐらしていた。「行きますか。」「ちょっとテンションあがってきた。」とマクドナルドを出てエスカレーターをのぼりビルの2階と立体交差点の中間地点のような広場で、特設されたステージに集まる沢山の人たちがいた。10分後にライブが始まる前に、先輩はいつもライブで会う友人達に挨拶に行って、僕はステージと僕を隔てる沢山のオタクの人たちを眺めていた。僕に驚きだったのは、彼らのなかに恋人がいる人たちがいることで、その人たちに限らずルックス的には全くアイドルオタクには見えないのだ。アイドルオタクの典型と想像していた人たちはほとんどいなかった。
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