「まず、ライブがあって、次に握手会、ライブはちょっと最初だとあれかもしんないから、後ろで見ててもいいよ。」と先輩が言った。「あれですか。」「あれ。」「あれねぇ。」とシールを台紙に3枚張り替えながら、想像をめぐらしていた。「行きますか。」「ちょっとテンションあがってきた。」とマクドナルドを出てエスカレーターをのぼりビルの2階と立体交差点の中間地点のような広場で、特設されたステージに集まる沢山の人たちがいた。10分後にライブが始まる前に、先輩はいつもライブで会う友人達に挨拶に行って、僕はステージと僕を隔てる沢山のオタクの人たちを眺めていた。僕に驚きだったのは、彼らのなかに恋人がいる人たちがいることで、その人たちに限らずルックス的には全くアイドルオタクには見えないのだ。アイドルオタクの典型と想像していた人たちはほとんどいなかった。


家でテレビゲームをしていると、いつの間にか眠っていた。TV画面にはレミングスというゲームが途中のままで表示されたまま、ゲーム性とはかけはなれた明るい音楽を流していた。外は晴れている。レミングスはこういうゲームだ。レミングという緑の肌の色をした妖精のような人の形をしたキャラクタが100体いて、スタート位置の扉からステージに穴から這い出てくる蟻の行列のように一方向に進んで行く彼らに役目(壁を掘削する役、他のレミングを逆方向に進めるバンパーのような指示役、橋を作って歩いて通れない場所を進めるようにする役。)を与えて、出来る限り多くのレミングをゴールの扉に歩いて行かせるゲームだ。蟻に餌をやって、作為的に虫かごに捕えるようなゲームだと思ってもらえばいい。どうしてもクリアできなステージの画面で何度も挑戦していたけれど、クリアできなくて、放り出したまま眠ってしまったのだ。寝起き直後の明晰さでもってクリアできるんじゃないかと思って、ゲームを再開する。このゲームを続けていると、コツが多数を助けるために、少数をできるだけ有効に使うかが問われる(もちろん全てのレミングをゴールに連れて行くことはできない。例えば一度バンパーになったレミングは死ぬまで他のレミングを反転する以外のことができない。制限時間を過ぎるまでにゴールできなかった彼(彼女?)のようなレミングは、タイムアップと当時に身体が爆発して画面いっぱいに飛び散って死んでしまうのだ。可哀想なレミング。)。ステージが表示された。S字形を上から下に進んで行くような道のりで、途中にはレミングが掘削できない壁、落ちてしまうとマグマでレミングが溶けて死んでしまう沼、スタンプのようにレミングを潰すハンマー、などなど、S字の中にある幾多の困難。まともにこのステージを進んで行くと、マグマのあたりで、クリアに必要な50/100体のレミングのノルマが達成できずに彼らを死なせてしまう。僕が考えたルート(クリアのやり方はプレーヤーの数だけある。)は、S字の最初の掘削できない壁に到達する前に、マグマを超えたあとの場所まで穴を掘らせてショートカットするという手段だった。けれど、これには問題があって、ショートカットした先の場所にレミングが落ちると、飛び降りて死んでしまう高さなので、彼らが地面に着地せず、そのままはじけてしまうのだ。穴を掘らせ始めたところで、メールが届いた。彼女からだ。
「今日、何時に集合?」とメールの文面を読んだところで、今日の予定を思い出した。今日は四谷動物園に行く予定だった。「15時に四谷。」と打ち込んで送信。携帯の時計を見ると12:34と表示されている。イチニーサンヨン。レミングスを停止させたまま、画面をTV番組に変えると、ニュース番組で秋葉原からの生放送になっていた。刃物を持った男が、何人も殺して逃げ回っているとアナウンサーが深刻そうな表情で説明をしていた。靴下を履きかえていると現地からの放映に切り替わって、騒然としている街とサイレンの音、興奮してまくしたてる男のアナウンサーが熱心に説明をしていた。
あっという間の出来事だった。向こうから驚いた顔と、殺されかける鳥の鳴き声のような声で、包丁を持った男が路上にいた人たちに襲いかかっているのを見ていた。なかば即席の大道芸のように周辺に集まる人と、逃げ惑う人が混じり合って、僕たちを頭上から写すと、いびつな円で半径30mくらいで囲う人たちと、その円の外側に逃げ出そうとする人たちがいた。円を作っていた人たちの何人かは携帯電話のカメラで、事件がまるで見せ物のように無心に撮ろうとする人たちがいて、彼らは口々と「やばい」とか「うそだろ」と、口には出すのと同時にそれが現実のように感じられなかったようだ。それは彼らが毎日をディスプレイ越しにアニメーションを見たり、2次元の非現実に向き合う時間が3次元の現実に向き合う時間よりずっと長いことと無関係ではないだろう。その状態が続いていたのは大体3分くらいだったと思う。彼を取り押さえようとするが、及び腰の態度の人たちが見ていると、家電の量販店にふらつきながら入って行って、店の奥のレジに立っていた、メガネをかけたボウズ刈りの店員が刺されて(50mくらいの距離から見ると切るというより殴るように見えた)、僕やパーマの先輩や、他の野次馬の連中は一斉に恐怖に勝った好奇心(そのときは確か正義感のようなものが働いていたような気がしていた)で、店に一斉にかけて行って、そのあと、僕たちより早く拳銃を持った警官が店に入って行き、その狂った刃物を持った男を威嚇していた。野次馬の数は、最初に道端で彼を囲んだ時の5倍以上になっていた。刃物男に二人の警官が銃を向けている。男は血まみれになっていて、息を荒くして天井を呆然と眺めていた。携帯電話で写真を撮る連中はさっきより増えていて、それより多くの人間が携帯電話で誰かにその光景を興奮して説明していた。僕が先輩に「やばいっすね。」と言うと同時に、膨らませたビニール袋を割ったような、爆竹を成らしたような音がなって、刃物男をほうを見ると彼はいなくなっていた。「打った打った打った。」と先輩がまくしたてて、僕は彼が倒れている様子をとっさに見ようとして、何も考えられなくなったまま店のほうに走って行った。そうすると、それに合わせて僕の周りに固まっていた連中も走り始めた。どことなく、それはマラソン大会で雪崩が動き出すように走り始めるのに似ていた。警官のひとりは無線で喋っていて、もう一人の警官は屈んで痙攣している店員に何かを必死に話しかけていた。血の海という月並みな表現があるけれど、その言葉がまさに適切だと思えた。バケツ一杯の赤いペンキをこぼしたようだった。店の前で、刃物男の姿を見つけた。虚ろな目でこっちを見ている。初めて人が死んでいるのを見た気がした。目は地表の果てを見極めようとしているようだった。警官が「立ち入り禁止だ!!」と警告して、店の前で写真を撮ろうと携帯電話を向けると、刃物男がわずかに動いたように見えた。警官達は気付いていない。こっちを見ている。死んでいなかった。目があったとき、意識が伝染するのが分かった。とても眠そうにした目つきのそこには真っ暗な黒が浮かんでいて、泡立った血を吐き出していた人殺しのその男の声が僕には聞こえる気がした。その無言の交流は5秒くらい続いたように思える。やがて、泡を吐き出すのをやめて動きを止めた彼を眺めていた。警官がもう一度警告すると、先輩が僕の肩を叩いて、そのあとのことはよく覚えてない。

ライブは時間通りに行われた。僕は気分が悪いといって、会場全体が見通せるベンチに座っていた。
「全然太ってない。」と彼女は呟いた。「全然太ってないじゃない。」と、のどかはフルカワに2度目の言葉で問いただした。「ちょっとしたトリックだよ。画面越しに見てまずインパクトを与える。会場に行って実物を見ると、彼らは痩せている。ギャップを利用しているんだ。斬新だろ。」「斬新も何も、そんなのありなの?っていうか、何あれ、普通に可愛いっていうか、そこらのアイドルよりずっと可愛いじゃない。」「ファン心理っていうのは複雑で、崇めたいと同時に、軽蔑したいと思うもんなんだよ。自分よりずっと上の立場の人間か、下の立場の人間か、その人間を貶して優越感を得たい本能と、自分を卑下して、無闇に賞賛したい本能と両方を持っているもんだが、」とフルカワは自分で買ったサングラスの位置を直して、ステージ上で踊るカロリーメイツ(このアイドルグループは元々、山崎(父)が、クラブ(踊るほうではない)で売り上げNo.2のホステスがNo.1のホステスになぜ叶わないかの理論を酔った勢いで開陳しながら、冗談混じりに作り出したファットガールズという原案を出したことに端を発している。いまや、彼らはCDを出せば100万枚を売る、看板グループだ。)が『ディストピアワールド』の2回目のサビを熱唱しているところだった。「普通、タレントっていうのは、その片方を達成できても、もう片方を成立させることはできない。そうだろ?憧れでありながら、軽蔑するなんてことはできない。だが、彼らの仕組みは、まず得体のしれない仮想の醜女を前面に押し出して、注目を集め、そして、実物限のあのルックスで心を引きつける。普通アイドルっていうのは垢抜け過ぎてると売れないもんだけど、あいつらは違う。アイドルで夢を売るっていうより、渋谷にいる洒落ててて雑誌のモデルをやってる可愛い女の子って感じだろ。そういうタイプってのはアイドルのおっかけのコンプレックスを刺激して、手が届かないって思わせるもんなんだ。けれど、そこにあの画面上だけの仮装をさせる、そして、好奇心を煽りつつ、あのハードコアとメタルとトランスを混ぜ合わせた楽曲でインパクトを与える。そして、ライブに来ると、限定であいつらに会うことができる。CDはファンの連中をライブに引き寄せるための広告に過ぎない。音楽を手に入れようと思えばタダで手に入る世の中だからな。実際に収益を上げてるのは、ライブ会場だけで一回きりしか販売しないTシャツとかタオルとか。一枚一万円のミュージシャンのTシャツを売るのはカロリーメイツだけだろうな。」カロリーメイツのバックバンドのベーシストが歪んだベースの音をフィードバックしてループさせている。この空間を一言で表せる表現を、のどかはこめかみを押さえながら必死で考えていた。それはアイドルのイベントというより、デスメタルやハードコアの音楽のライブに近かった。薄暗いホールのなかで乱反射するカラフルなビーム状の照明。観客は凶暴さを増している。「まぁ、ともかく、私は音楽を聴きにきたわけじゃないの。」「じゃあ、何をしに?」のどかは考えるフリをして「ちょっと見てみたいものが。」と答えた。「ねぇ、このあと握手会があるんでしょ?」「そう。CDを買った人限定で。」「つり目の男の子がいたら教えて。」「知り合い?」「そんなところ。」
僕は、音楽とさっきの情景が混ざり合って、気がおかしくなりそうだった。歌声が不吉な黒い残像のように感じた。時間の流れが逆行しているような、身体が何度も分裂していくような。気付くとライブは終わって、ホールは明るさを取り戻して、いくらか意識が楽になった。汗だくになった先輩が戻ってきて、気を使ってくれたのか、物販に置いてあったビールをくれた。アイドルグループの物販で酒を販売しているのはきっと彼らだけだろう。無色の非現実的な世界にあるハイネケンが溜まった池があって、そこに潜っているようだった。現実を歪めて、曖昧にして、僕たちを滅茶苦茶にするアルコールが、いまだけは現実に引き戻してくれる手綱のように思えた。
「でも、つり目のやつならいくらでもいるし、いまここに客がどれだけいると思ってる。少なくとも500人はいる。で、手がかりは目つきと、あと、直感。」「でも、向こうは私のファンよ。こっちが気付かなくても向こうが気付くに決まってる。」「君の、ファンね......。ただ、気付くのは一人じゃないだろうね。」「気付いたなかの何人かは熱狂的なファンで、熱狂的なファンのうちに、そういう感性を持ってそうなやつは一目見ればわかるわ。」「だいたい、そんな上等な人間なのか?ただのネットの取るに足らない人物像なんていくらでも捏造できるだろ。」「それって嫌み?」「いや。」前日と同じにならないように気をつけて、これから握手会が始まることをジェスチャーで示した。「あそこが握手する場所。で、握手が終われば必ず、あの出口の場所から人は出て行く。そのへんに立っていれば、全員検査できるだろ。」「『検査』って良い単語ね。」「『検査』」。
酒を飲んだのが良くなかった。ただでさえ酒には弱いのに、足下がふらついてしょうがない。っていうか、酔っぱらいを握手会に参加させていいんだろうか。握手するために並んだ列の比較的後ろのほうで、僕はカロリーメイツがなんで太ってないのかを訊こうとしたが、僕の口から出たのは彼女達のあそこの締まりだとか、どうしようもないことだった。「いや、先輩、俺いっつも思うんですけど、握力ってあそこの筋力と比例すると思うんですよね。」「ぇええ?じゃあ、ちょっと待て、これから握手するときに、『思い切り握ってください』とかさ。まじか?」「そうそうそう。とりあえず、思い切り握らせて。」ふらつく足をまとめようとすると、ほつれてうまくいかなかい。「じゃあちょっと先輩、思いっきり僕の手握ってくれません?基準として。」

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