書くことについて(仮) 50/100
2009年2月15日 コミューンと記録メモと書くこと朝起きると気分だった。うまれて初めて二日酔いになった。頭が痛い。7時間前、0時半、池袋の甘太郎を出て、ビール10杯分のふらつきを押さえながら、池袋東口をあてもなくふらついていると、急に女性が欲しくなった’僕’は、とりあえず、目についたマクドナルドに入った。二階は打ち捨てられた雰囲気の大人、これから性風俗の店に出勤する(もしくは、したあとの)女性か、酔っぱらったサラリーマン、仕事に疲れた人たち、行く当てがなくて、家で孤独でいることができなくて、とりあえず、人がいるところに来てそして本を読んだり、まどろんだりする人たちがいた。率直に一言で表すなら、祝日の前日の池袋東口のマクドナルドには汚れた人たちが集まっていた。そしてそういった人たちのカテゴリーに僕も含めることができるだろう。荷物をとりあえず二階の座席に置いて、ズボンからはみ出ていたYシャツを仕舞いながら階段を降りて、100円の熱いレモンティーを買った。なぜかレモンティーといっても、ただのお湯が入った紙カップとインスタントの紅茶のパック、スティック状の砂糖とレモンシロップ。席に戻り、衝動的な気分になっていた僕は連絡したいと思える女の子全員に片っ端から電話をかけて、そして、全員につながらなかった。いつもの通りだ。隣の作業着を来た左官業っぽい男はただ何もせず、テーブルに肘をつきスポーツ新聞を眺めていた。おじさんがおじさんっぽく、おじさんぽい小道具や、生き方や習慣を身につけるのはなぜだろう。彼らは自分の社会上の役割を無意識に演じているのかもしれない。僕はといえば、21才のサラリーマンが酔っぱらった場合の役割というものが、想像がつかなくて、とりあえず、紙パックとレモンシロップと砂糖をお湯に入れた。高度な社会というものは、異常に酔っぱらうとき、たいがいは滅茶苦茶な行動を取る物だけど、その状態のほんの一瞬、やたらと理性的になることがあって、高度に発達した社会は、この、ただのお湯と紙パックの紅茶とレモンシロップと砂糖がそれぞれ別々になっていて、セットで販売することで、レモンティー(¥100)になる、そういった社会なのかと考えていた。あらゆるトレンドは数値化され、アメリカの片田舎のウォルマートでは、愛国者の典型的な大規模農家を経営する白人の男が、東南アジアの10才くらいの男の子が作ったアディダスの靴を買っているような、飛躍的な思考を繰り返していると、自分が座った席の前にある階段をあがってきた綺麗な女性と目があった。女性は不思議なもので、たとえば、目が会っただけで、その相手の男が自分が持つ何を求めているのかを嗅ぎ分けてしまう。そして、彼女が僕の二つ隣の席(間の席は空席)に座ってトイレに立った。彼女の頬の淡い赤い色で、彼女が酔っていることが分かった。そして、トイレが開くのを待っているときに、こちらを振り返って目があったとき、壁に添えた手の指先が落ち着きなく波のように動くのを見て、僕と同じように、彼女も’僕’を意識していることが分かった。
ひどく酔っていた’僕’は、自分がなんでもできる気分になっていた。まず、僕のパーテーションを区切った向こう側の彼女が取った席の隣に席を取るのだ!と勢い込んで彼女の隣の席に僕のバッグとコートを置こうとするために荷物を片手にまとめて、空いた手でトレーにレモンティーを載せて席を立つと、ふらついた。床が揺れている。もちろん、周りからふらついているように見えるのに、自分では完璧に理性を保てているつもりになっている僕が移動を始めたところで、彼女はトイレから出てきたところだった。これではわざわざ彼女に近づくために席を移動していると思われてしまう!と思って急ぎ足で歩こうとするとお湯が満杯になっている紙のパックが洗濯機の中身みたいに遠心力を全開で作用させている。席に座った彼女と僕の目が合った直後に傾いたトレーが床に落ちていった。床で弾んだホットレモンティーになる前のお湯が彼女と僕にかかった。僕は取り乱して、30回くらい彼女に謝って、ポケットの中からハンカチを取り出して彼女に渡したけれど、実際は彼女には迷惑はかかってなくて、むしろ、僕一人が自分で自分に空回りをしていたみたいだった。ともかく、なかば無理矢理ハンカチを渡せばあとで会話が続くと思ったけれど受け取ってくれなくて、逆に気まずさが増した。彼女は急に立ち上がって階段を降りて行った。どうしよう!通報される!と、焦りまくった。これはやばいと思った。何がやばいのかすらわかんないくらいヤバヤバな状況だった。事態の収拾をつけようとそこに突っ立っていたのはたぶん20秒くらいだったと思う。その惨劇のなか取り残されて何が起こるのか分からない気まずい沈黙のなかで僕が立ち尽くしていると、とりあえず、ポケットティッシュを取り出してびしょ濡れのスーツを拭いていた。周りからは相当間抜けなやつに見えていただろうし、とりあえず、僕の隣に座っていた作業着の男は、僕がトイレ待ちの彼女に一緒になって見とれていたし、急に僕が席を移動していた一部始終を眺めていたから理由を察しているに違いない。とにかく、まず逮捕されないためにそこから立ち去ろう荷物をまとめようとしていたけれど、酔っていて荷物をまとめるのは、酔っていないときにちゃんとしたサラダを作るのと同じくらい難しい。あたふたしているうちに、階段を店員が上ってきて、あとから彼女が着いてきた。21才にもなってマクドナルドの店員に叱られてしまう!僕は謝る口上を考えていると、ここです、と指差した彼女。そうすると、店員が僕にトレーを差し出してそこにはホットレモンティーが載っていて、しかもレモンシロップと一緒にミルクティー用のミルクまで一緒だ。ミルクかレモンか、いや、両方いれてミルクレモンティーか?と悩んでいるひまはなくて、謝っているのか有り難がっているのかわからない何かを彼女に言い続けていると、超謙虚に「いえいえ大丈夫ですよ。」とか「気にしないでくださいとか。」とか、よく覚えてないけれど、むしろここは会話を広げるチャンスという見込みと、本当に嬉しい気持ちが混ざり合って、ちょっと(かなり?)挙動不審になって店のなかで目立ちまくっていた。とにかく、滅茶苦茶な状態の収拾がついたとき、僕は彼女の隣ではなく、元のパーテーションを区切った向かいに戻っていた。パーテーションは半透明のガラスになっていて、ぼやけた彼女は携帯電話を二台持っていて、両手を使って別々の相手にメールしているようだった。まわりをやたらと気にしているようだった。酔っている様子はなかったけれど、自分が酔っていたせいで、そのひとまで酔っているように見えた。いや、酔っていたのかもしれない。僕が彼女の半透明の動作を眺めているあいまに、彼女は隣の席の男に火を借りて煙草を吸っていた。男を求めているように見えたのに、僕がハンカチを差し出したときの謙虚さは、礼儀から来ているのか、それとも、代わりの飲み物を用意してくれたのは、彼女の職業的な何かしらの男性への万全の配慮から来るんだろうか。少なくとも、午前1時に池袋西口のマクドナルドのうらぶれた雰囲気のなかでメールを両手する打ちするだけの必要がある環境なんだろうと、いま思えばそういう俯瞰になる。ともかく僕は酔っていたし、タバコの火を借りたり、飲み物を補給してくれたりしてくれる彼女が男好きに違いないと踏んで、ここはとにかくお礼(デートの誘い(「これから飲みに行きませんか?」))をさせてもらおうと、席を悠然と立ち上がり、物凄い自信があると思いきや、もごもごした物言いで(女性の前では自信がなくなってしまうのだ)「お、おお、お礼させてください!」と言うと、感じが良い&あっさりと「これから予定があるんで。」とにっこり断られた。危うくもう一度レモンティーをぶちまけそうになったけれど、どうにか持ちこたえて、席を立って、僕は家に帰った。
さて、昨日のことを思い出すと、色々な意味で酷かったと反省して、熱い風呂に入って、バスタブに浸かりながら、野菜ジュースとフルーツジュースと飲むヨーグルトを混ぜ合わせた淡いオレンジ色の飲み物を飲んでいた。頭が痛い。
昼になる前に家を出ると、空が少し灰色がかっていて、電車に乗って渋谷に向かった。電車のなかで、『叶えられた祈り』を読みながら、もし’僕’が書いた文章が沢山の人に読まれなかったら、そういった現代の都会の間の抜けた冒険譚も無かったことのようになってしまうんだろうか。なんとなく原宿の近くで電車を降りて、街を歩くことにした。何かがまた起これば、という期待感が尾を引いていたのかもしれない。
死んでしまった生き物は人も人以外の動物も、重さが変わるように感じるのはなぜだろうか。彼女は彼が死んだあと、2日間部屋に閉じこもったままベッドにに抱かれていた、何も食べず、たまにトイレに行く時にだけ亡霊のように廊下を通り、そして部屋に戻って行った。リビングで僕たち夫婦は、無理にでも食事を取らせようという結論に達した直後に、部屋から抜け出して僕たちに向かってこう言った。「犬買って。」とだけ言うと、冷蔵庫からシリアルと牛乳を取り出してテーブルの上に置いて、何も言わずに食器棚からボールとスプーンを取り出して、そしてまたテーブルに置き、椅子に座り、こう言った。「まえと同じやつ。」。何か言おうとする、のどかを制するように、「別にそういう意図じゃないから誤解しないで。それとも、もう動物は飼わないほうがいい?」と、チョコクリスピーの箱を開けながら尋ねた。「誰かや、何かが、代わりになるなんてことは無いんだ。」と、誰にでもなく言った途端、僕は混乱した。泡立たない湖で息を吸おうと水面に上がる鯉のように、口を空けたまま言葉を吐き出せないのどかのためにも、そして、いま真剣に何かを問いかけようとするユキの二人にとって、重要な言葉を探したけれど、どこにもなかったし、これからそれは見つからないように思えた。「ねぇ、なんで、なんでお母さんは、私は、私は死んだの女の子と同じ名前なの?」
のどかは何も答えず、黙り、石像のように無表情になったが、それでもユキはやめようとせずに、問いかけようとしたが、その先にどういった答えが用意されているかが彼女には分かっていたせいで、彼女も同じように黙ってしまった。ユキには自分が誰かの代わりになろうとすることが難しいことを感じていた。のどかは、誰かが自分の娘の代わりにならないことは最初から分かっていた。僕が父親の代わりになれなかった。僕の血が流れているユキは、死んでしまった僕の腹違いの妹のユキの代わりにはなれなかった。僕はあらゆる質問を拒否して、ユキを抱き上げて強く抱きしめると彼女は泣くこともせず、僕が与えることのできないものを、僕に求めようとした。
ひどく酔っていた’僕’は、自分がなんでもできる気分になっていた。まず、僕のパーテーションを区切った向こう側の彼女が取った席の隣に席を取るのだ!と勢い込んで彼女の隣の席に僕のバッグとコートを置こうとするために荷物を片手にまとめて、空いた手でトレーにレモンティーを載せて席を立つと、ふらついた。床が揺れている。もちろん、周りからふらついているように見えるのに、自分では完璧に理性を保てているつもりになっている僕が移動を始めたところで、彼女はトイレから出てきたところだった。これではわざわざ彼女に近づくために席を移動していると思われてしまう!と思って急ぎ足で歩こうとするとお湯が満杯になっている紙のパックが洗濯機の中身みたいに遠心力を全開で作用させている。席に座った彼女と僕の目が合った直後に傾いたトレーが床に落ちていった。床で弾んだホットレモンティーになる前のお湯が彼女と僕にかかった。僕は取り乱して、30回くらい彼女に謝って、ポケットの中からハンカチを取り出して彼女に渡したけれど、実際は彼女には迷惑はかかってなくて、むしろ、僕一人が自分で自分に空回りをしていたみたいだった。ともかく、なかば無理矢理ハンカチを渡せばあとで会話が続くと思ったけれど受け取ってくれなくて、逆に気まずさが増した。彼女は急に立ち上がって階段を降りて行った。どうしよう!通報される!と、焦りまくった。これはやばいと思った。何がやばいのかすらわかんないくらいヤバヤバな状況だった。事態の収拾をつけようとそこに突っ立っていたのはたぶん20秒くらいだったと思う。その惨劇のなか取り残されて何が起こるのか分からない気まずい沈黙のなかで僕が立ち尽くしていると、とりあえず、ポケットティッシュを取り出してびしょ濡れのスーツを拭いていた。周りからは相当間抜けなやつに見えていただろうし、とりあえず、僕の隣に座っていた作業着の男は、僕がトイレ待ちの彼女に一緒になって見とれていたし、急に僕が席を移動していた一部始終を眺めていたから理由を察しているに違いない。とにかく、まず逮捕されないためにそこから立ち去ろう荷物をまとめようとしていたけれど、酔っていて荷物をまとめるのは、酔っていないときにちゃんとしたサラダを作るのと同じくらい難しい。あたふたしているうちに、階段を店員が上ってきて、あとから彼女が着いてきた。21才にもなってマクドナルドの店員に叱られてしまう!僕は謝る口上を考えていると、ここです、と指差した彼女。そうすると、店員が僕にトレーを差し出してそこにはホットレモンティーが載っていて、しかもレモンシロップと一緒にミルクティー用のミルクまで一緒だ。ミルクかレモンか、いや、両方いれてミルクレモンティーか?と悩んでいるひまはなくて、謝っているのか有り難がっているのかわからない何かを彼女に言い続けていると、超謙虚に「いえいえ大丈夫ですよ。」とか「気にしないでくださいとか。」とか、よく覚えてないけれど、むしろここは会話を広げるチャンスという見込みと、本当に嬉しい気持ちが混ざり合って、ちょっと(かなり?)挙動不審になって店のなかで目立ちまくっていた。とにかく、滅茶苦茶な状態の収拾がついたとき、僕は彼女の隣ではなく、元のパーテーションを区切った向かいに戻っていた。パーテーションは半透明のガラスになっていて、ぼやけた彼女は携帯電話を二台持っていて、両手を使って別々の相手にメールしているようだった。まわりをやたらと気にしているようだった。酔っている様子はなかったけれど、自分が酔っていたせいで、そのひとまで酔っているように見えた。いや、酔っていたのかもしれない。僕が彼女の半透明の動作を眺めているあいまに、彼女は隣の席の男に火を借りて煙草を吸っていた。男を求めているように見えたのに、僕がハンカチを差し出したときの謙虚さは、礼儀から来ているのか、それとも、代わりの飲み物を用意してくれたのは、彼女の職業的な何かしらの男性への万全の配慮から来るんだろうか。少なくとも、午前1時に池袋西口のマクドナルドのうらぶれた雰囲気のなかでメールを両手する打ちするだけの必要がある環境なんだろうと、いま思えばそういう俯瞰になる。ともかく僕は酔っていたし、タバコの火を借りたり、飲み物を補給してくれたりしてくれる彼女が男好きに違いないと踏んで、ここはとにかくお礼(デートの誘い(「これから飲みに行きませんか?」))をさせてもらおうと、席を悠然と立ち上がり、物凄い自信があると思いきや、もごもごした物言いで(女性の前では自信がなくなってしまうのだ)「お、おお、お礼させてください!」と言うと、感じが良い&あっさりと「これから予定があるんで。」とにっこり断られた。危うくもう一度レモンティーをぶちまけそうになったけれど、どうにか持ちこたえて、席を立って、僕は家に帰った。
さて、昨日のことを思い出すと、色々な意味で酷かったと反省して、熱い風呂に入って、バスタブに浸かりながら、野菜ジュースとフルーツジュースと飲むヨーグルトを混ぜ合わせた淡いオレンジ色の飲み物を飲んでいた。頭が痛い。
昼になる前に家を出ると、空が少し灰色がかっていて、電車に乗って渋谷に向かった。電車のなかで、『叶えられた祈り』を読みながら、もし’僕’が書いた文章が沢山の人に読まれなかったら、そういった現代の都会の間の抜けた冒険譚も無かったことのようになってしまうんだろうか。なんとなく原宿の近くで電車を降りて、街を歩くことにした。何かがまた起これば、という期待感が尾を引いていたのかもしれない。
死んでしまった生き物は人も人以外の動物も、重さが変わるように感じるのはなぜだろうか。彼女は彼が死んだあと、2日間部屋に閉じこもったままベッドにに抱かれていた、何も食べず、たまにトイレに行く時にだけ亡霊のように廊下を通り、そして部屋に戻って行った。リビングで僕たち夫婦は、無理にでも食事を取らせようという結論に達した直後に、部屋から抜け出して僕たちに向かってこう言った。「犬買って。」とだけ言うと、冷蔵庫からシリアルと牛乳を取り出してテーブルの上に置いて、何も言わずに食器棚からボールとスプーンを取り出して、そしてまたテーブルに置き、椅子に座り、こう言った。「まえと同じやつ。」。何か言おうとする、のどかを制するように、「別にそういう意図じゃないから誤解しないで。それとも、もう動物は飼わないほうがいい?」と、チョコクリスピーの箱を開けながら尋ねた。「誰かや、何かが、代わりになるなんてことは無いんだ。」と、誰にでもなく言った途端、僕は混乱した。泡立たない湖で息を吸おうと水面に上がる鯉のように、口を空けたまま言葉を吐き出せないのどかのためにも、そして、いま真剣に何かを問いかけようとするユキの二人にとって、重要な言葉を探したけれど、どこにもなかったし、これからそれは見つからないように思えた。「ねぇ、なんで、なんでお母さんは、私は、私は死んだの女の子と同じ名前なの?」
のどかは何も答えず、黙り、石像のように無表情になったが、それでもユキはやめようとせずに、問いかけようとしたが、その先にどういった答えが用意されているかが彼女には分かっていたせいで、彼女も同じように黙ってしまった。ユキには自分が誰かの代わりになろうとすることが難しいことを感じていた。のどかは、誰かが自分の娘の代わりにならないことは最初から分かっていた。僕が父親の代わりになれなかった。僕の血が流れているユキは、死んでしまった僕の腹違いの妹のユキの代わりにはなれなかった。僕はあらゆる質問を拒否して、ユキを抱き上げて強く抱きしめると彼女は泣くこともせず、僕が与えることのできないものを、僕に求めようとした。
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