のどかが僕の誕生日を祝ってくれるからと、寿司をおごってやると僕に前日の昼に言って、僕を無理矢理寝かしつけるて(彼女は前祝いということで僕にパジャマ買ってくれてそれを着させた。)、夜の9時に寝て、朝の4時に起きることになった。築地に行く途中、僕たちは彼女の新しい小説について話した。
「もう書き始めてるの?」
「やっと半分まで進んだんだけど、書きながら話の内容を決めてたから、だんだんわけがわからなくなっちゃった。」
「書きながら話を作るんだ。」
「どっちかっていうと、マンガの週刊誌に近い書き方かもね。打ち合わせをしながら書いてるわけじゃないけど。」
僕は目をこすって車内を見渡すと、半ば眠っているひとか、完全に寝ているひとのどちらかだった。朝に限りなく近い夜の黒っぽい青の景色が窓から見えた。
「テーマは決まってるんでしょ?」
「うーん。ひとくちに、『夢と希望!』って感じで言えたりしないんだけど、でも、なんとなくは決まってる。」
「そう?」
「うん。」
四谷3丁目を過ぎた。僕はあくびを咬み殺そうとしたけれど、結局、うまくいかなかった。
「テーマは決まってるの。」
「うん。」彼女が少し難しい顔をした。
「聞きたくないの?」
「言いたいの?」
「別に。」
「そう。」
インタビュアーぶって僕は携帯電話をマイクに見立てて質問した。
「今回、あなたが出す3作目の長編小説ですが、作品の根底に流れるテーマは?」
「ある種のノンフィクション小説ね。」
「それは、主人公が空を飛んだりしない、という意味で?」
「そういう意味でも。たとえば、こういう設定と物語。ある有名な小説家が偶然、その作家のファンの男の子と知り合う。でも、男の子のほうは、その女性がその作家だとは気付かない。なんでかっていうと、その男の子は盲目だったの。点字の文章だけでその小説と作家を知ったわけ。で、その男の子は、一度も目が見えたことはなくて、でも、強烈な幻想を、可視化された現実に存在していると信じているわけ。」
もうすぐ東京駅に着く。彼女は続ける。
「話ずれるけど、点字とか手話とかって、ああいうのを使うことで、会話の内容とか思考の様式が違うと思うの。」
どう思う?というのが彼女の口癖だった。
「そうかな。」
「うん。」
「それで?」
「えーと、」
「主人公が盲目で。」
「そう。彼は盲目の男の子なんだけど、ずっと見たことすらない世界に幻想を持っているわけ。」
「素敵な話ですね。」
「でも、残酷な予感がするでしょ。ちゃんと彼の目は開かれて、そこには光があり、色があるんだけど、けどやっぱり’違う’わけ。」
彼女はこめかみを押さえて、話の続きを沈黙のなかでまとめあげていた。
「認識が現実と手を結ぶことはない。」
そろそろ銀座駅に着く。
「そもそも、」と僕は一番重要なことを聞くことになった。
それが重要なことだったと気付いたのはずっと後だ。僕が作家になった、さらにずっと後だ。
「私が作家を目指したのは、私に小説を書いてみれば?と言った人がいたからよ。」
「誰?」
「私の初めてセックスした相手。」
「わぉ。」と僕は茶化して言ったが、声はざらついていて、ぎこちなかった。傷ついているように見えたんだと思う。そんなことだけで僕は傷ついてしまうのだ。
「乗り換え。」と僕は一言。
「そう。乗り換えた相手がシロくんだったの。」と独り言のように彼女は言った。

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