Fine Romance 53/100
2009年3月8日 コミューンと記録メモと書くこと渋谷サンマルクカフェ。日曜の午後2時半。レジでブラックコーヒーを待っていた。列の前に並んでいるのはカップルで、女の子のほうは顔を見ただけで、不幸な病んだ人間なのが僕にはわかった。(僕にはそういう連中が全裸で歩いているように明白に直感できる特技がある。)綺麗な女の子なんだけど、自分を傷つけずにはいられない。(そして、僕は自分が少なからず、そういう部分があることを否定できない。(ただ他の連中と違うのは自分を諦めていないだけだ))前に並んでいる女性が二人分のパンとコーヒーの代金をルイ・ヴィトンのモノグラムの財布からお金を引き抜いて支払った。男のほうはそのあいだ、女の子の腰から尻の間辺りを撫でていた。0.5秒で下らない男だって分かる仕草だったし、その男の顔を見て、予想が違わず的中してさらにうんざりした。有名人がスピリチュアルカウンセラーに矯正された直後の量産型の笑顔って感じ。間違った箇所はどこにもないのに、不安を起こさせる静謐画みたいだ。僕が席に座り、小説の続きを、こうやって打ち込んでいると、彼女と何度か目があった。そういうことをなんて説明すればいいんだろうか。そう、例えるなら、先週の土曜の22時頃、下北沢駅の北口の階段を降りたところでコンビニに自転車の前で倒れた老人。老人と、その娘だろうか。駅の前で二人は自転車に乗って家に帰ろうとしていたんだと思う。物音がして振り向くと自転車に股がるのに失敗した老人のほうが横に転倒して、コンクリートの上で身体をさすっていた。老人はひどく酔っていた。こういったことに慣れている様子の娘は、彼のそばに寄りはするけれど、手は貸さなかった。自転車にやっと乗ると、自転車の前輪を、コンビニの壁にぶつけはじめた。親に叱られて、なんで叱られるようなことをしたのかを、反論できなかった子供がするみたいに見えた。彼のストレスや寂しさや悲しみは、僕には十分に伝わった。これは推測だけれど、きっと彼は奥さんを無くしているだろうし、そして人生に破れ続けてきて、最後の瞬間に後悔するような出来事の連続だったように思えた。(今こうやって考えると、それは僕の勝手な妄想で、そうやって自分を投影していたのかもしれない。)娘はそういった行動にも特に興味を示さずに、うんざりした様子で、「何してるの?早く行くよ。」と半ば無理矢理自転車に乗せた。そのあともう一度、彼は自転車から横転して、コンビニの前の納入する商品が無くなった、プラスチックのケースの段にぶつかっていった。僕は人を待っていたそのあいだ、一度も彼に同情しなかった。同情していないことに自分で気付いた僕は、通行人に「大丈夫ですか?」と声をかけられる彼を眺めながら、なんで同情していないのか、そういう気持ちが起こらないのかずっと考えていた。心が冷たいせいだろうか、現実的だからだろうか、もしかしたら、そういった憐憫をほかの人は持たないのかもしれないと考えた。ほとんど会ったことの無い親戚の葬式で、しんみりとした振る舞いを’しなきゃいけない’ように、実際は世の中には存在しない、感情を持たないマナーのなのかもしれないと考えていた。気付くと二人はいなくなっていた。そして、そのあと僕は、久しぶりに青に会った。本当に本当に久しぶりだ。2年ぶりくらいだろうか。文字通り一生もう会うことは無いだろうと思っていたのに。僕にとって彼女は呪いのようなものだった。彼女にも、僕が目が合っている(たった今だ)女性と同じ、そういう惨めな雰囲気があった。彼らは無意識に自分を騙している。その嘘は、彼ら自身を傷つけて、何か決定的にすり替えたままにしてしまうものだ。青と一緒にいた女の子は3年くらい前に、コンパで知り合った女の子で、綺麗な黒目がちな目をした映画好きの女の子(以下、映画、と呼ぶ。)だった。あとでも書くけれど、彼女は、この小説の、のどか(本を書かないほうの)のモデルになった女性にとても似ていた。そのコンパで、僕とその女の子の話と、実家がとても近かったことで、話がずっと耐えかった。『トレインスポッティング』の、あるシーンのことを話したのをよく覚えている。薬物中毒になった主人公が、それを治すためにベッドに張り付けにされていると、赤ん坊が天井を四つん這いで張り付いて主人公の頭上の真上にまで進んだところで首が180度回転する。そんなこととか、あとは近所の商店街のプラモデル屋のこととか、ゲームセンターとか。ゲームセンターは『タイガー』という名前だった。イカしてる。そのコンパの最中アドレスの交換をしようとしたけれど、話が弾んでいて、それは共通の知り合いである青に任されることになった。(青のその頃付き合っていた彼氏は、青と黒目がちな女の子と同じ大学、多摩美術大学の学生だった。)そのコンパのあと、青に「あの子のアドレス教えて」と聞いてもメールは返ってこなかった。で、青に「メールアドレスちゃんと教えた?」とメールを送っても返ってこなかった。さらに三日後、電話をかけてみたけれど繋がらなかった。その半年後に、彼らの大学の文化祭に行くと、映画に会うとなんとなく決まりの悪い言葉を少し交わしただけで、僕は青にいつものように「彼女できないよぉー」と相談すると「そのへんの子を口説けばいいんじゃない。」と答えた。その態度は少しトゲがあったけれど、そう答えた隣には彼女の隣には彼氏(そのとき初めて会った)がいた僕は、そういうデタラメで滅茶苦茶なことが嫌になっていたし(女の子には「いいじゃん彼氏いるんだから、俺がどうしたって。」という理屈は通じないのだ。)、ビールをしこたま飲んで酔っぱらっていたから、そのコンパに来ていた別の女の子に声をかけると、異常に警戒されてその子はどこかに行ってしまった。推して知るべし、というものだ。そして、それから一年だか二年だか三年だか、もう時系列がはっきりしない先週の夜、なぜか彼らは二人で仲良くしていた。どういう経過を経ると、そういうことが起きるのか僕には想像がつかなかった。本当に不思議に思ったけれど、青にも、映画にも、どうやって尋ねればいいのかも思い付かなかった。想像力の外側。僕たちは下北沢北口を歩いて、ポツポツと僕たちは近況を探り探り話した。彼ら二人が似通っていた気がする。以前のように映画の黒い髪が青の茶髪と同じになっていてもったいないと思った。二人が似通った、というより、映画が青に引きずられるように似ていったように感じた。二人は既に酔っていて、僕が彼らと会うことになったのはある偶然からだった。21時過ぎにファッキンで小説を書いていた僕は、ファッキンを出て渋谷ツタヤ6階で本を探していると、またも(これで3度目だ)琴乃と遭遇することになったのだ。僕は2度目の遭遇から一度、地元のファミレスで彼女を見つけたけれど、そのときの彼女はいかにもビッチ感があったんだけれど、その夜あった彼女は以前の彼女より、最初に見つけたときより、さらに普通の女の子みたいだった。彼女が、アイドルやモデルの写真集のコーナーで立ち読みをしているのを見つけた僕は、声をかけようと思ったけれど、彼女はイヤフォンをつけて音楽を聴いていて僕には関心を払わないみたいだった。僕が気を取り直してトイレに入って気持ちを整える儀式をするかどうか考えていたところで、まず、青にメールをしてみようと思ったのだ。なぜ、そうしようと思ったのかは自分でも分からない。メールを送ったあと、店内を探したけれど、彼女の姿はどこにもなかった。それで、メールが返ってきて、結果的になぜか青と映画と会うことになったのだ。踏切を超えて、店をcity country cityというカフェに入った。なんとも言えない雰囲気の中で僕たちは色々なことを話したけれど、それらは全部意味の無いことのように思えたし、全てが調和しているようにも思えた。そして、その中でも、僕たちは暗喩の世界でしか再創造できない出来事を僕は理解した。映画は今近所の(つまり僕にとっても近所の)ピザーラで働いていて、そのアルバイトの中で、彼女はのどか(偶像としての彼女)のモデルに会ったというのだ。ピザーラお届けの先で、彼女は僕が過去に目にしたものを目にしていたのだ。モデルのその女の子には彼氏がいて、僕は偶然彼らが二人でいるところを見かけてしまって、その時に彼女は結婚していた。そして映画もまた、僕と同じように(そして同じように感じることはなかったけれど)、彼らが同棲する家に行ったことがあるのだ。ピザを届けるために。そして、二人はお互いに他人という感じがしなくて、友達になってしまったのだ。そんなことってあるだろうか。
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