どうにか、ひいてる感じを隠してどうにかコミュニケーションをとろうとすると、いきなりポケットからハーシーの板チョコを取り出して割って私に渡して食えというジェスチャーをしはじめて、椅子から転げ落ちそうになった。それをかじるとまず、かなり気まずい雰囲気がさらに悪化してどうすればいいのかもう見当がつかなくなった。コーヒーを買って私ユキその男の順で席で並んでいると妙な感覚になった。



「いつから僕だって分かってたの?っていうかどこでどうやって見つけたの?」と僕がたずねると、ユキは「もっと早く気付くと思った。鈍いんだ。」と答えた。「本当はもっと前から僕は君のことを知っていたんだ。ここの近くの小さな三角の公園で君が犬と一緒にいたところを見たんだ。」「その犬ならそこにいるけど。あの子とはちょっと違うんだけどね。」とユキは指さして言って(言いながら、彼は犬みたいな猫みたいな優雅な雰囲気があって、それがこれから、彼を説明するときの比喩にしようと思った。犬みたいな猫みたいな男の子。)、ユキはマリコに犬を紹介した。「ヤスハルっていうの。可愛いでしょ。
」雨に濡れて寒そうにしているところを「可愛いぃいい!」と言った。
私はなんで女の子モードで犬を褒めて(いわゆる犬を可愛いって言う自分が可愛いという策略)いることに気付いて焦った。
「どんな話をしてたの?」と僕はユキに聞くと、彼女は楽しそうに微笑んでじっと上目遣いでイタズラっぽく見つめてから、微笑みながら「秘密。」と言った。「女の子の秘密ね。」と僕はマリコにそれっぽく視線を流して言うと、彼女は味のある表情をした。今さら隠しても、と僕は思った。「君にはどんな秘密があるの?」とユキに聞くと、それをそのまま左横のマリコに訊いた。マリコは肩をすくめて、コーヒーカップに突き刺さったマドラーでかき混ぜた。なぜか僕はとつぜん苛立ちを感じ始めた。「じゃあ僕の秘密の話をするよ。これは3年前に会った出来事なんだけど。場所は横浜駅のルミネのヴィレッジバンガードっていう本屋でのことなんだ。」
ある日の夕方、僕は本屋にいて、寂しい気持ちだったんだけど、それは気に入っていたモデル出身のアイドル歌手の女の子にクラブでフラれたからだったか、それとも、金がなかったからか、よく覚えてないけど、とにかく、打ちのめされた気分だった。欲しいものを見つからないまま、無職で街を歩いていると、何もかもが灰色に見えた。辛くないけど楽しくもない生ぬるい毎日だったから。それでとりあえず本屋に入って、物欲もないくせに、なんやかんやの細かいものを眺めていて、沢山の文庫本の一ページを開いては閉じてっていうのを繰り返してた。高校生のときに、腐るほど小説を読んでいたせいで、最初の3行をざっと目を通しただけで、その全体が面白いかどうかが分かるようになっていたんだ。人間だって同じだよ。高慢に聞こえるかな。ともかく、そのとき何冊も開いたなかには気に入る小説はなかった。そういうのってほんとに少ないんだ。マンガのコーナーに突き当たると、ベースを背負った女の子がいた。そのときにぴんときたんだ。小説のようにね。例えば、オースターの『リヴァイアサン』の最初の一行みたいに、彼女は僕の心を捉えたんだ。半透明でバンドやるって感じじゃないけど、でもやたらと説得力がある、がっちりした肩幅とか、大きな目とか、真っ直ぐ通った立派な鼻筋とか、長くて綺麗な黒い前髪が眉まで隠していて、彼女が一瞬横目で僕のほうを見て、すこし落ち着きがなくなったのがわかった。彼女はゆっくりと本を選んでいるつもりなんだけど、僕には焦っているように見えた。まず彼女の右隣に行って不自然にならない程度の距離に立つ。彼女の息づかいが感じられるみたいに、まるで身体の動きに熱がこもって、それが僕に伝わった。彼女が僕から少し離れて本を手に取ると、次に僕は左隣(さっきよりほんの少しだけ彼女と近い)に移動して、また本を選びながら、それから彼女の目を2秒間覗いた。彼女はまた横目で僕を見て、彼女も本を取った。彼女の足下が迷っているみたいに落ち着きがなくなっていた。つま先をこねくり回したりしている。僕は本を意識的な動作で置いて、別の本をまた意識的な動作でもって取って読む。もちろん、中身なんて全然読んでない。僕だって緊張していた。けれど、不思議と、そのときはどんなことでもできる気分だった。本を眺めながらも、彼女の様子をつぶさに眺めていると、1分くらいの間に2回つばを飲み込んで、足を4回組み直した。また彼女は移動するんだけど、僕は少しの間をもって彼女を追った。そのとき、彼女が濡れている目で僕のほうを振り返って、びっくりしたみたいに頭を進行方向に戻した。そういう態度で何を感じているのかを汲み取ることができるようになったのはいつからだろう。中学あがった当初に、クラスのリーダー各の男に「お前は女にモテるからいいよな。」って言われて、僕はそれを信じなかったけれど、気付くと、そういう立場にあるんだって気付いた。気付かされたっていうほうが近いかな。でも、コンプレックスが強過ぎて、余裕がなさすぎて、わけのわからない環境に圧迫されてて、それを使うことはできなかった。でも、そうやって自分のルックスに注目する時に、女の子がどんな態度になるかも、どういう風に感じるかも、人よりずっと早く分かることになったんだ。(これって自慢みたいに聞こえると嫌なんだけど、時々、ほんとに自分を客観視せずにはいられないんだ。)女の子が髪を鋤く仕草、目が濡れるとき、指先が落ち着かなくなるとき、そういうような沢山の仕草。彼女がそこで手に取った古谷実のマンガを彼女が棚に戻したところで、僕はそれを棚から取り上げて自分で開いて、それをまた棚に戻して、彼女と目があって、それからこう言った。「音楽やってるの?」って。彼女は「はい」とか「えぇ」とかなんか言ったと思う。まぁ、ベース持ってて、音楽やってないわけがないんだけど、とにかく相手がYesとしか答えない質問をいくつかした。「バンドやってるの?」とか「マンガ好きなの?」とか、そういう平凡な質問をいくつかした。いつも思うんだけど、なんで人って、平凡な会話しか初対面の相手とできないんだろう。小説みたいにキザっていうのとはちょっと違うんだけど、遊び心があるっていうか、ウィットがあるっていうか、そういう会話を初対面にしたらちょっと格好いいかなって思うんだけど、僕はぎこちなく彼女と話をしようって試みてた。今でもよく思うんだけど、あの時の僕たちの会話を録音したものに値段をつけるなら、50年後くらいに自分は100万円くらい僕は払うんじゃないかと思う。その子との会話が少しずつ滑らかになっていくのを実感しているときに、彼女の隣に男が立ったんだ。
そこで彼は話を切った。気付いたら話に引き込まれていた。「それで?」と思わず、話の続きを促してしまった。ユキは、あまりに夢中で話を聞いていたせいで、口が半開きになって、口の端から少し涎が垂れていた。私はペーパーナプキンで彼女の涎を拭くと、はっとして、彼女は意識を取り戻した。彼はもったいぶって、コーヒーを飲んで、それから席を立ってトイレに向かった。焦らされている。ユキは「たぶんあの話の続きは、その彼氏的な男の子に殴られて終わっちゃうと思う。」とユキはキャラメルフラペチーノのフタの裏側についたキャラメルをストローでつまんで舐めながら言った。「連れてかれて殴られて、土下座して謝るとか?悲惨。」と笑って言った。彼はトイレから戻ってきた。白地に黒い水玉のハンカチが少し可愛いと思った。黒いコンバースの靴、黒い細いズボン、黒い大きめのTシャツ(ミッキーマウスの顔が腐ってぐちゃぐちゃになった絵が書いてあるハードコアのバンドTシャツ)黒づくめの格好だ。席につくと、こう言った。「この話が終わったら、二人もちゃんと、とっておきの秘密の話をしなきゃいけないんだよ。」
僕、ベースを持った女の子、その彼氏みたいな男の3人でなぜか並んでいるのが凄くシュールに感じた。僕はこの危機を機転でもって乗り越えてこそのものだと思った。なんでそう思ったのかは自分でも分からない。思い切って「彼氏?」と尋ねた。いま考えると、これはマズい質問だったと思う。これで「うん、彼氏。」とか気まずい感じで答えられたら後が無かった、が!彼氏じゃなかった。「んーん。一緒に音楽をやってる人。」と答えた。世界を破滅させるその脅威が、ただの音楽オタクっぽい猫背のぼんやりした男に変わっていった。主観。すぐに気を取り直して、そのあとカフェに行く予定だったのを、連絡先を聞いて、「俺も音楽やってるから一緒に音楽の話とか、それともバンド組んじゃう?」的な方向に持っていく戦略に切り替えた。適度に、そのバンド仲間のやつに話を振りつつ、「じゃあ俺予定あるから。」と言って、そのあとに「今度音楽の話とかしようよ。」と続ける前に向こうから「連絡先交換しましょうよ。」と言われて、テンションが沸点を遥かに超えていった。なんてことだ。これはいわゆる、前職の課長が言っていた、「女が自分からベッドに誘い込むくらいじゃないとダメ。」の誘い込むようなノリだと思って、震える手で彼女の手帳に連絡先を書いた。携帯電話で僕がそのとき連絡先を交換できなかったのは、携帯電話を無くしていて、しかも僕が無職の頃で金がなくて、代わりの携帯電話を手に入れることができていなかったからだ。そんなに余裕がなかったのに、よく女の子を口説けたって思う。僕からも連絡できるように、自分用に彼女の携帯の番号とアドレスも書いて僕はその場をから立ち去った。
まず、ユキから質問があがった。「それっていつのこと?」「3年前。21才のときかな。」「なんで本屋でナンパなわけ?」「んー、ヴィレッジバンガードっていうのはそういうに適している場所なのかもね。」と笑って彼は答えた。「まず、可愛い女の子がいる。男も立ち入れる。話のきっかけになる対象がある。雰囲気が友好的。」「なるほど。」と言って、ユキは手帳にこう書いた。
ナンパに適した環境
・可愛い女の子がいる
・男も入れる
・話のきっかけになるものがある
・雰囲気がいい
そんなの書いて何するのかは分からないけれど、興味深いといえば興味深い。私は「その子とどうなったの?」と当然誰もが思う質問をすると、彼は首をすくめた。私の真似、と思った。
僕がその話の続きをしなかったのには理由がある。ちょっとしたルールにひっかかってしまうからだ。それは僕が物を語るときの最低限のいくつかのルールに接触するものだったから、そうしなかった。次はユキの番だ。どんな話が出てくるんだろう。「じゃあつぎ。交代ね。」「ちょっと待ってよ。」とユキは抗議した。真剣に怒っている顔が真剣に可愛い。「まだ続きがあるんでしょ。まさか、連絡先交換して、それで終わりってわけじゃないでしょ。」「そうだね。でも君にはまだ早いよ。」「バラすよ。」「何を?」とちょっと僕は恐ろしくなった。身に覚えがあることが多過ぎるから、そのうちのどれがバレてもおかしくない。ユキは耳打ちをしようと僕の肩に手をかけた。「ちゅーしたの言う。」とこっそり言った。大袈裟にリアクションをするつもりじゃなかったけど、「あああええええええ!」と叫んだ。マリコがびくっと震えた。「それはなしでしょー。」「なしじゃないよ。ありだよ。」と僕を半ば脅迫しはじめた。脅すときでも可愛く言うってなんなんだ。「じゃあ、二人が話終わったあとに話すよ。それでいいでしょ?」彼女は腕を組んで片手を顎に当てた。こういう場合はだいたい、男が損な役をかぶって、女の子は保身するものだけど。


動物園で沢山の生き物を見ていると、なぜだか気持ちが落ち着く。僕と彼女と動物達。穏やかな目をした鹿、官能的な豹。じっと動かない鰐。ゆっくりと草を食べる麒麟。彼女は白いワンピースを着ていて、二つの気持ちが起きた。壊したい気持ちと、守りたい気持ち。いつもみたいに何も言葉を交わさないけれど、ときどき、僕が遅れて追いつこうとして待っているときに、彼女が僕を待っていてこっちを見ているときに、愛おしさが伝わる表情だけで、色々なことがどうにかなって、精神が身体から解放されて空気のなかに溶けて消えそうになった。鹿とワラビーの檻が並んでいて、両方の檻の中間は黒くて冷たい鉄製の棒で仕切られているのに、その全く違った種類の生き物が、キスをしていた。動物の学問として、そういうのはどういう解釈がされているんだろう。何か毛づくろいみたいに意味のある行為なのか。それとも詩のように、感情を基にした、行為なんだろうか。
ふれあいコーナーという小動物ばかり集まった小さい囲いのある日溜まりのある広場で二人で、うさぎとか、ひよことか、羊とか、ポニー、猫も犬もいた。犬も猫も、動物なんだけど親しみが有り過ぎて生き物って感じがしなかった。犬がウサギを追いかけていて、ウサギを食べちゃうんじゃないかと思った。よくよく考えると、猫も犬も肉食の動物だ。猫は達観して犬も含めた動物達の動きを眺めていた。彼女は羊にシンパシーを感じているみたいだったけれど、羊は無頓着に首をかしげていた。優しい気持ちが僕を包む。携帯のカメラで彼女と羊を撮ろうとすると、後ろからポニーが僕を小突いた、よろけて、その様子をみて彼女は彼女は楽しそうに笑った。彼女がウサギ一匹捕まえて、得意気に捕まえてみせて凄いでしょ、といわんばかりに僕に見せつけてきたので、近くのベンチにいる別の黒いウサギを捕まえた。彼女は真っ白のウサギ、僕は真っ黒のうさぎ。二人でベンチに座って何か言おうと思ったけれど、僕には言葉が出なかった。自分でも信じられないけど、彼女の声を聴いたことを僕は無かった。どうやってこうしてデートに至ったのかも自分でも分からなかった。彼女の声を聴いたら、何かが変わってしまうんじゃないかと思って怖いのだ。ちょうど、夢の終わりが自分にとって都合の良い展開になったところで、それが夢だってことを意識したせいで、こんなことないって意識したせいで、自分から夢を終わらせてしまうみたいに。僕は「プリン」と言った。彼女は口を少しだけ開いて僕のことを見た。彼女はいつも少しだけ口が開いて、でも、それがだらしないように見えなくて、気に入ってた。彼女のたれ目(昔好きだった女の子がタレ目だったから彼女のことを気に入ったのか、それとも全然違う事情で彼女を好きになったのかはよく分からない。)を覗き込むと、本当にどうしようもない気分になる。「この黒いウサギ、プリンって言うんだ。どことなく君に似てる。」と告げると、彼女は不思議そうに黒いウサギを撫でた。餌のニンジンをあげると、鉛筆削りみたいにかじって、飲み込んで消えた。お腹が減るとなぜか女の子を見ていてムズムズしてくるのはなんでだろう。二匹のウサギを話して黒いウサギと白いウサギが、別々の方向に古い置物みたいにじっとしているのを眺めていると、誰かが僕に喋りかけた。「ゼリー。」僕は後ろを振り向くと、彼女は言った。「白いウサギはゼリーっていう名前なの。」「赤色のゼリーって歌があったけど。」「白色のゼリー。」言葉に深い意味なんて無いはずなんだけど、もしかしたら、もしかして、と思って、びっくりしてご飯を食べに行こう、と彼女の手を引いて連れていった。彼女もお腹が空いているんだろう。
その動物園のなかには、マクドナルドがあって、動物園で動く動物を見たあと、動物が加工された形で、いざ自分の目の前に出されると、なんとなくどうにかなりそうな気持ちになったけれど、彼女は気にしてないみたいだった。チキンナゲットが100円のセールで僕はハンバーガーのセットと、ナゲットを4つ注文した。お腹が空いていた。とにかく、チキン、チキン、ハンバーガー、チキン、ポテト、のルーチンを繰り返しているうちに、さっきの言葉を反芻していた。反芻するのは羊だったっけ。きっとさっきのヒヨコのうちの何匹かは畜産場に連れて行かれて、鶏に成長して、ナゲットになって、無駄無く、僕たちの娯楽や生活を満たしてしまうのだ。なんてことを考えているうちに、僕はふと、昔の思い出が蘇った。学校のサークル棟でしたキス、帰りがけのタクシー、コンビニエンスストアの冷たく孤独な空気、彼女のアパートの階段、ドアを開けて、見てしまって、もう忘れることのできない光景。きっと酷い顔をしていたんだと思う。彼女は僕の頬にそっと触れていた。いま、ここに現実にいる少女が僕のことを思ってくれているなら、別に構わないじゃないか。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索