Fine Romance 90/100
2009年12月19日 コミューンと記録メモと書くこと「さっき出てきたAIのジーニーは仮想空間から人格を創りだすことができる。具体的には、作り出すというより、再生するといったほうが近いだろうか。カタギリくんが書いた文章を読み取り、文章からメモリ上にカタギリくんのクローン人格を創り出す。再生されたクローン人格はエゴも意識も持たず、その人格に目的に合致する文章を、カタギリくんが書くように書かせる。そして、コメディアンが彼のブログにアクセスするときに限り、コメディアンが受信するデータに仮想カタギリくんの文体で、彼ならそう書くであろう文章を潜り込ませる。コメディアンの行動は、ジーニーにハッキングを受けた彼女の携帯電話の通話とメール、その携帯に搭載されるGPS、PCのアクセス、クレジットカードの履歴、あらゆるネットにつながったシステムから察知され、彼女がどれだけカタギリくんの行動に影響されるのかを計算され、予期され尽くし、そして決定された。」
「カタギリくんは、ふと思い立って(それは彼がよくアクセスするtwitterというサイトで、彼がfollowしているユーザが『ノルウェイの森』のDVDを"偶然"絶賛していたからで、昨日彼が日雇いのアルバイトからの帰路、山手線の車内で放映される星占いを、疲れきったせいでほぼ無意識に眺めていた。「家でゆっくりDVDを観るようなゆったりした生活が◯」という文章が"偶然"流れていた。)そして、交差点でレンタル半額のチラシを受け取った彼は、ふと思い出したように進んでいた。」
「次は君で」とファニーにバトンを渡した。
「そのときの体験はカタギリくんがブログにこう書いてある。どうしてもそのことについて書きたくなったから。久しぶりに書いた。『
世界の成り立ちについて考えるとき、僕はいつも不思議な気分になる。
自分が優遇され過ぎているように感じるのだ。
たとえば、ありえないような特権を与えられているように感じる。
ありえないような経験。
ある日電車で座って小説を読んでいて、小説はとても売れていて、君はそれを読み終えて、その小説家の肖像を眺めて、それから本をバッグにしまう。
そして、電車が駅で止まって、ある男がとなりに座る。
そのひとは自分がさっきまで読んでいた小説、眺めた肖像のそのひとによく似ている。いや、その本人なのだ。
オーケー。
それは確率の問題だ。その小説家の立場になるとして、その小説家が売れている作家なら、電車に乗って、隣に座っているやつがさっきまで自分の小説を読んでいてもおかしくはない。
自分が物語に巻き込まれてしまったと思ったのは、それが偶然ではなく、とても信じられないような存在が、自分を操作して、そして、その’偶然’を引き起こしたからだ。
どこから現実で、どこからが幻想か、僕の妄想なのか判断がつかなくなっている。
』」
「マンションに宅配便が届けられた。それを開くとSONYのマークの描かれた黒い箱。開けるとアイボが入っていて、カタギリ君はそれの電源を入れるのを躊躇した。これを起動したら、もう元には戻せないんじゃないかと思った。なんとなく、その犬を模した黒いオモチャが、邪悪なシンボルに思えた。悪魔のように。起動すると、彼女(彼?)はひとこと僕に呟いた。声は幼くて、男とも女ともつかない。
『こんにちは。』ささやくようなその声。
カタギリくんはほかにどう答えようもなくなって『こんにちは。』と言って、そして何かを言うのを待っていた。アイボって喋ったっけ。
『こんにちは。』ともういちどアイボは喋った。
壊れてる・・・・・・・。
カタギリくんは電源にスイッチに手を伸ばしかけると、アイボは『ちょちょちょちょちょちょちょちょっと。』と言った。『ちょっとタンマ』と急いで付け加えた。
『ほら、なんていうの?ちょっとこういうの緊張するじゃん。なんていうのか思いつかなくてさ。別に不良品ってわけじゃないんだ。タイマーとかあるかもだけど。』
にやっとカタギリくんは笑って言った『君、名前は?』『あー、何にしよう。何かを思いつくってけっこう高等な技術なんだよ。名前決めるから、テーマちょうだい。』『ミダス。』『えっ?』『エム・アイ・ディー・エー・エス。Midas』
不自然な間があって、ミダスは言った。『あー、ごめんごめん。データ圏にアクセスしてた。つか、この家WiFiの帯域が細すぎるんだよ。で、ミダス。ギリシャ神話の触れる物を黄金に変える、ミダス王から?』
やや間があいて、ミダスは付け加えた。『なるほど。投資の本のタイトルからの引用ね。つか、カタギリミダスってちょっとなくない?』
カタギリくんは、腕を組み、片方の手を顎につけて考えた。
『でも、太郎とか花子とか、そういう名前よりか良いだろ?』と言った。『っていうか、家族なの?』
『いや、んー。そのへん説明すると長くなるから端折るけど、僕は君のクローンなんだ。君の文章を解析して、そのデータを元に再現された人格。ジュラシック・パークって映画であったろ。琥珀に閉じ込められたジュラ紀の蚊の体内の、吸われた恐竜の血から、古代の恐竜を生み出す。構文解析プログラムが蚊、あんたの文章が血。』
思い直して、カタギリくんは電源スイッチに手を伸ばした。『いやいやいやいやいやいやいや!!!!ちょ、待ち。待って!マジ待って!ほんとかんべん!!』
どちらかといえば感情の無いカタギリくんの目を、ミダスはピンホールレンズより小さく、最新のデジタルヴィデオカメラより精度の高い、複合レンズで捉えていた。
『いきなりシャットダウンするのはなくない?いや、まぁ、本体はサーバー側にあるから、別に人格群が消えるわけじゃないけどさ。でも、とりあえず、俺の生みの親から与えられたタスクを果たさなきゃいけない。』
『わかった。じゃあ、それで、あんたの生みの親は何を望んでるんだ?』
『んー。それはちょっと分からないんだ。俺はただのインターフェースなんだ。PCでいえば、ディスプレイであり、マウスであり、キーボードであり、スピーカー。本体とは切り離されてる。』
『なんで俺のクローンなんか作った。』
『さぁね。ただ、心理学の知識のひとつに、人間は自分に似た人間を好くっていうのがあるらしいね。あ、ちょっと電源充電したいから、アダプタ差し込んでくれる?』
ため息をついて彼は電源を確保した。
『悪いね。あぁ。良い!良い。ぁああああ。』とミダスは下品にうめいた。
『俺はそんなこと言わない。』
『それは文章上の君と僕との差分だね。ちなみに、故障してもSONYには電話するなよ。したらお前をちょっとまずい状況に追い込まなきゃいけない。クローンとしての個人的な感情としてもそれは許しがたい。』
『それで?』
『あー、はい。えっとね。とりあえず、彼が君の口座に金を振り込んだよ。あとで確認しな。とりあえずの僕のタスクは僕の生存環境を整えること。ほかのタスクはない。』
『彼ってのは誰なんだ?』
『それは言えない。言えないし、やりとりがそれに近づくと情報がブロックされるようになってる。なんらかのやり方で情報を引き出そうとしても、君はまずい状況になる。』
『そいつは何を望んでいる。』
『それは知らないし、これから伝えるつもりもないらしい。いずれにしろ、君が何を望んでいるのかは、僕には分かり過ぎるくらい分かるよ。』
なんとなく気分が悪くなってカタギリくんは、ミダスの電源スイッチに手を伸ばすと、電源コードを引きぬいて、ずんぐりした四足で走って逃げた。それから、ミダスの超高解像度のカメラで映された彼の表情や態度や、その音声は、上空200キロメートルを飛び回るサーバーで受信されて、ミダスとさっき名づけられたばかりの人格群の並列で動くプログラムのなかの、環境情報を処理するコントローラープログラムが、対人情緒処理系モデルのプログラムに映像と音声の情報を受渡して、その情報を『笑っている』と人間にわずかに及ばない速度で判断結果を返し、その判断結果を応答系と記憶系のプログラムが引き継ぎ、バックグラウンドで待機する、予測された物事からかけはなれた異常な結果を拾い上げるプロセスが起動して、電源を落とそうとした一連の行為の分析が始まった。コンピュータにとっては無限に感じられるほどの長い時間を経て、そのちょっとした冗談めいた行動が、データライブラリに蓄積されて、’ほかの人格群’の思考プロセスに反映されるだろう。笑っている理由を解析できずにバグって無限ループ状態から、バックアップへの切り替えを開始した。
しばらくお待ちください、の状態のミダスを眺めている間に、カタギリくんはPCでネット銀行の預金残高を眺め(目を見開いた)、そしてアマゾンで新しい無線ルータを探し始めていると、本来のアイボには無い胸のランプは、ヤバそうな赤い速い点滅から、安定した状態を示すだろう、黄緑のランプに切り替わった。
ミダスは言った。
『それは知らないし、これから伝えるつもりもないらしい。いずれにしろ、君が何を望んでいるのかは、僕には分かり過ぎるくらい分かるよ。』
ループ状態と観測されたプログラムがバックアップに切り替わったらしい。カタギリはこう思った。こいつを作ったやつは紛れも無い天才だし、自分が太刀打ちできないような規模の連中が何かを仕組もうとしている。逃れることはできないだろう。もしそれから逃れようとすれば、簡単に自分というプロセスはkillされるだろう。そして、別のバックアップに切り替えられるだけだ。
」
「「故意ではないにせよ、繰り返された質問になんと答えようか考えたが、『ルータ見つかったよ。』とだけ言った。
『まじか。じゃあ、家の外でPocket Wifi買ってくれ。それと、小型の発電機。今メールしたのを買ってきてくれ。』と彼が言った直後に携帯が鳴って、メールが届いた。
そんなわけで、カタギリくんはわざわざ渋谷まで来た。携帯が鳴って(表示された電話番号は僕のスカイプの番号だ)、ミダスは『あとDVD借りてきて。在庫はそこのツタヤにしかないから。』と言った。『なんでDVD観るの?』と言った。機械の犬の身体に閉じ込められた自分のスーパークローンと電話してるとは誰も思うまい。そもそも誰かのスーパークローンではない人間なんているんだろうか。オリジナル、何からも影響を受けずに、無から生まれたものなんてあるんだろうか。誰もが誰かの監視を受けている。例えば、母親から期待を受けた娘(人形のような)、その期待を受けることで作られた人間性、やがて娘は母親となり、同じように娘に期待をかけて人間性を作り出し、そしてそれは繰り返される。雑誌に載る華やかな生活と、実際の生活、理想と現実の食い違い、読者はモデルに期待をかけ、編集者はファッションや生活スタイルや理想の生活を、その産業からの圧力と、彼ら自身も内心で望みながら実在することがないと醒めている偶像を、混ぜ合せる。読者は作られた生活を演じようとする。彼らは似たファッション、似た見た目の人間を探し出し、お互いが作られた"理想の生活"をどれだけうまく演じることができるか、それぞれがどれだけ幸せかを他人からの視点で測り、幸せを感じようとする。そこには産業と幻想の申し子であるモデルと、それに共感と理想を求めるフォロワー。甘いジュースを飲むと喉が乾いて、もっと甘いジュースが飲みたくなって、終わりが来ないみたいに、他人の視点で測ろうとするほど、張り子に近づいていくが、その視線を浴びることをやめることはできない。それが全てだから。母親、友人、恋人、音楽、似たメロディーライン、どこかで聴いたことのある歌詞、それが誰かからの借り物かどうかは大切じゃない。借り物継ぎ接ぎの生地だって元々は誰かからの借り物の継ぎ接ぎで、その継ぎ接ぎは誰かからの借り物に過ぎない。音楽を聴く人たちが求めるのは、音楽じゃない。自分の心を代弁する感情。感情は本物だろうか。それは誰かが便宜的にそういう風に儀礼的に求める感情じゃないだろうか。ちょうどアメリカ製のコメディー番組に挿入される笑い声の効果音や、恋として錯覚する依存や、愛していると思い込んでいる対象が持つ地位や名声だろうか。あなたの欲望を代弁する対象者の持つそれに恋しているんじゃないだろうか。文学、作られたプロット、物語の性感帯のように、暗黙のルールを組み上げることによって作り出される、動作する感情、スリル、喜び。言葉の向こう側に見え隠れする欺瞞。シンパシーを感じ、愛玩具として、憧れと優越感と同情を引き起こさせ、読者を投影させるための登場人物。そんなものは存在しない。オリジナル。コピーの寄せ集めの僕は誰かにとってはオリジナルに見えるかもしれない。僕なんてものは存在しない、君なんてものも存在しない。コピーの寄せ集め。オリジナルなき集合。オリジナルだと錯覚しては、それが有り難いものだと拝む。原価を知らないことで商品のブランド(幻想)を手に入れることのできる錯誤。そして、売値を決める者ですら、また別の原価を知らないまま商品とその作り上げられた幻想を買う。何もかもが偽物で、何もかもがペテンで、誰だって薄々気づいている。そんなことを考えながら、カタギリくんは、ツタヤのエスカレータでもって自動で上昇していた。」
「カタギリくんは、ふと思い立って(それは彼がよくアクセスするtwitterというサイトで、彼がfollowしているユーザが『ノルウェイの森』のDVDを"偶然"絶賛していたからで、昨日彼が日雇いのアルバイトからの帰路、山手線の車内で放映される星占いを、疲れきったせいでほぼ無意識に眺めていた。「家でゆっくりDVDを観るようなゆったりした生活が◯」という文章が"偶然"流れていた。)そして、交差点でレンタル半額のチラシを受け取った彼は、ふと思い出したように進んでいた。」
「次は君で」とファニーにバトンを渡した。
「そのときの体験はカタギリくんがブログにこう書いてある。どうしてもそのことについて書きたくなったから。久しぶりに書いた。『
世界の成り立ちについて考えるとき、僕はいつも不思議な気分になる。
自分が優遇され過ぎているように感じるのだ。
たとえば、ありえないような特権を与えられているように感じる。
ありえないような経験。
ある日電車で座って小説を読んでいて、小説はとても売れていて、君はそれを読み終えて、その小説家の肖像を眺めて、それから本をバッグにしまう。
そして、電車が駅で止まって、ある男がとなりに座る。
そのひとは自分がさっきまで読んでいた小説、眺めた肖像のそのひとによく似ている。いや、その本人なのだ。
オーケー。
それは確率の問題だ。その小説家の立場になるとして、その小説家が売れている作家なら、電車に乗って、隣に座っているやつがさっきまで自分の小説を読んでいてもおかしくはない。
自分が物語に巻き込まれてしまったと思ったのは、それが偶然ではなく、とても信じられないような存在が、自分を操作して、そして、その’偶然’を引き起こしたからだ。
どこから現実で、どこからが幻想か、僕の妄想なのか判断がつかなくなっている。
』」
「マンションに宅配便が届けられた。それを開くとSONYのマークの描かれた黒い箱。開けるとアイボが入っていて、カタギリ君はそれの電源を入れるのを躊躇した。これを起動したら、もう元には戻せないんじゃないかと思った。なんとなく、その犬を模した黒いオモチャが、邪悪なシンボルに思えた。悪魔のように。起動すると、彼女(彼?)はひとこと僕に呟いた。声は幼くて、男とも女ともつかない。
『こんにちは。』ささやくようなその声。
カタギリくんはほかにどう答えようもなくなって『こんにちは。』と言って、そして何かを言うのを待っていた。アイボって喋ったっけ。
『こんにちは。』ともういちどアイボは喋った。
壊れてる・・・・・・・。
カタギリくんは電源にスイッチに手を伸ばしかけると、アイボは『ちょちょちょちょちょちょちょちょっと。』と言った。『ちょっとタンマ』と急いで付け加えた。
『ほら、なんていうの?ちょっとこういうの緊張するじゃん。なんていうのか思いつかなくてさ。別に不良品ってわけじゃないんだ。タイマーとかあるかもだけど。』
にやっとカタギリくんは笑って言った『君、名前は?』『あー、何にしよう。何かを思いつくってけっこう高等な技術なんだよ。名前決めるから、テーマちょうだい。』『ミダス。』『えっ?』『エム・アイ・ディー・エー・エス。Midas』
不自然な間があって、ミダスは言った。『あー、ごめんごめん。データ圏にアクセスしてた。つか、この家WiFiの帯域が細すぎるんだよ。で、ミダス。ギリシャ神話の触れる物を黄金に変える、ミダス王から?』
やや間があいて、ミダスは付け加えた。『なるほど。投資の本のタイトルからの引用ね。つか、カタギリミダスってちょっとなくない?』
カタギリくんは、腕を組み、片方の手を顎につけて考えた。
『でも、太郎とか花子とか、そういう名前よりか良いだろ?』と言った。『っていうか、家族なの?』
『いや、んー。そのへん説明すると長くなるから端折るけど、僕は君のクローンなんだ。君の文章を解析して、そのデータを元に再現された人格。ジュラシック・パークって映画であったろ。琥珀に閉じ込められたジュラ紀の蚊の体内の、吸われた恐竜の血から、古代の恐竜を生み出す。構文解析プログラムが蚊、あんたの文章が血。』
思い直して、カタギリくんは電源スイッチに手を伸ばした。『いやいやいやいやいやいやいや!!!!ちょ、待ち。待って!マジ待って!ほんとかんべん!!』
どちらかといえば感情の無いカタギリくんの目を、ミダスはピンホールレンズより小さく、最新のデジタルヴィデオカメラより精度の高い、複合レンズで捉えていた。
『いきなりシャットダウンするのはなくない?いや、まぁ、本体はサーバー側にあるから、別に人格群が消えるわけじゃないけどさ。でも、とりあえず、俺の生みの親から与えられたタスクを果たさなきゃいけない。』
『わかった。じゃあ、それで、あんたの生みの親は何を望んでるんだ?』
『んー。それはちょっと分からないんだ。俺はただのインターフェースなんだ。PCでいえば、ディスプレイであり、マウスであり、キーボードであり、スピーカー。本体とは切り離されてる。』
『なんで俺のクローンなんか作った。』
『さぁね。ただ、心理学の知識のひとつに、人間は自分に似た人間を好くっていうのがあるらしいね。あ、ちょっと電源充電したいから、アダプタ差し込んでくれる?』
ため息をついて彼は電源を確保した。
『悪いね。あぁ。良い!良い。ぁああああ。』とミダスは下品にうめいた。
『俺はそんなこと言わない。』
『それは文章上の君と僕との差分だね。ちなみに、故障してもSONYには電話するなよ。したらお前をちょっとまずい状況に追い込まなきゃいけない。クローンとしての個人的な感情としてもそれは許しがたい。』
『それで?』
『あー、はい。えっとね。とりあえず、彼が君の口座に金を振り込んだよ。あとで確認しな。とりあえずの僕のタスクは僕の生存環境を整えること。ほかのタスクはない。』
『彼ってのは誰なんだ?』
『それは言えない。言えないし、やりとりがそれに近づくと情報がブロックされるようになってる。なんらかのやり方で情報を引き出そうとしても、君はまずい状況になる。』
『そいつは何を望んでいる。』
『それは知らないし、これから伝えるつもりもないらしい。いずれにしろ、君が何を望んでいるのかは、僕には分かり過ぎるくらい分かるよ。』
なんとなく気分が悪くなってカタギリくんは、ミダスの電源スイッチに手を伸ばすと、電源コードを引きぬいて、ずんぐりした四足で走って逃げた。それから、ミダスの超高解像度のカメラで映された彼の表情や態度や、その音声は、上空200キロメートルを飛び回るサーバーで受信されて、ミダスとさっき名づけられたばかりの人格群の並列で動くプログラムのなかの、環境情報を処理するコントローラープログラムが、対人情緒処理系モデルのプログラムに映像と音声の情報を受渡して、その情報を『笑っている』と人間にわずかに及ばない速度で判断結果を返し、その判断結果を応答系と記憶系のプログラムが引き継ぎ、バックグラウンドで待機する、予測された物事からかけはなれた異常な結果を拾い上げるプロセスが起動して、電源を落とそうとした一連の行為の分析が始まった。コンピュータにとっては無限に感じられるほどの長い時間を経て、そのちょっとした冗談めいた行動が、データライブラリに蓄積されて、’ほかの人格群’の思考プロセスに反映されるだろう。笑っている理由を解析できずにバグって無限ループ状態から、バックアップへの切り替えを開始した。
しばらくお待ちください、の状態のミダスを眺めている間に、カタギリくんはPCでネット銀行の預金残高を眺め(目を見開いた)、そしてアマゾンで新しい無線ルータを探し始めていると、本来のアイボには無い胸のランプは、ヤバそうな赤い速い点滅から、安定した状態を示すだろう、黄緑のランプに切り替わった。
ミダスは言った。
『それは知らないし、これから伝えるつもりもないらしい。いずれにしろ、君が何を望んでいるのかは、僕には分かり過ぎるくらい分かるよ。』
ループ状態と観測されたプログラムがバックアップに切り替わったらしい。カタギリはこう思った。こいつを作ったやつは紛れも無い天才だし、自分が太刀打ちできないような規模の連中が何かを仕組もうとしている。逃れることはできないだろう。もしそれから逃れようとすれば、簡単に自分というプロセスはkillされるだろう。そして、別のバックアップに切り替えられるだけだ。
」
「「故意ではないにせよ、繰り返された質問になんと答えようか考えたが、『ルータ見つかったよ。』とだけ言った。
『まじか。じゃあ、家の外でPocket Wifi買ってくれ。それと、小型の発電機。今メールしたのを買ってきてくれ。』と彼が言った直後に携帯が鳴って、メールが届いた。
そんなわけで、カタギリくんはわざわざ渋谷まで来た。携帯が鳴って(表示された電話番号は僕のスカイプの番号だ)、ミダスは『あとDVD借りてきて。在庫はそこのツタヤにしかないから。』と言った。『なんでDVD観るの?』と言った。機械の犬の身体に閉じ込められた自分のスーパークローンと電話してるとは誰も思うまい。そもそも誰かのスーパークローンではない人間なんているんだろうか。オリジナル、何からも影響を受けずに、無から生まれたものなんてあるんだろうか。誰もが誰かの監視を受けている。例えば、母親から期待を受けた娘(人形のような)、その期待を受けることで作られた人間性、やがて娘は母親となり、同じように娘に期待をかけて人間性を作り出し、そしてそれは繰り返される。雑誌に載る華やかな生活と、実際の生活、理想と現実の食い違い、読者はモデルに期待をかけ、編集者はファッションや生活スタイルや理想の生活を、その産業からの圧力と、彼ら自身も内心で望みながら実在することがないと醒めている偶像を、混ぜ合せる。読者は作られた生活を演じようとする。彼らは似たファッション、似た見た目の人間を探し出し、お互いが作られた"理想の生活"をどれだけうまく演じることができるか、それぞれがどれだけ幸せかを他人からの視点で測り、幸せを感じようとする。そこには産業と幻想の申し子であるモデルと、それに共感と理想を求めるフォロワー。甘いジュースを飲むと喉が乾いて、もっと甘いジュースが飲みたくなって、終わりが来ないみたいに、他人の視点で測ろうとするほど、張り子に近づいていくが、その視線を浴びることをやめることはできない。それが全てだから。母親、友人、恋人、音楽、似たメロディーライン、どこかで聴いたことのある歌詞、それが誰かからの借り物かどうかは大切じゃない。借り物継ぎ接ぎの生地だって元々は誰かからの借り物の継ぎ接ぎで、その継ぎ接ぎは誰かからの借り物に過ぎない。音楽を聴く人たちが求めるのは、音楽じゃない。自分の心を代弁する感情。感情は本物だろうか。それは誰かが便宜的にそういう風に儀礼的に求める感情じゃないだろうか。ちょうどアメリカ製のコメディー番組に挿入される笑い声の効果音や、恋として錯覚する依存や、愛していると思い込んでいる対象が持つ地位や名声だろうか。あなたの欲望を代弁する対象者の持つそれに恋しているんじゃないだろうか。文学、作られたプロット、物語の性感帯のように、暗黙のルールを組み上げることによって作り出される、動作する感情、スリル、喜び。言葉の向こう側に見え隠れする欺瞞。シンパシーを感じ、愛玩具として、憧れと優越感と同情を引き起こさせ、読者を投影させるための登場人物。そんなものは存在しない。オリジナル。コピーの寄せ集めの僕は誰かにとってはオリジナルに見えるかもしれない。僕なんてものは存在しない、君なんてものも存在しない。コピーの寄せ集め。オリジナルなき集合。オリジナルだと錯覚しては、それが有り難いものだと拝む。原価を知らないことで商品のブランド(幻想)を手に入れることのできる錯誤。そして、売値を決める者ですら、また別の原価を知らないまま商品とその作り上げられた幻想を買う。何もかもが偽物で、何もかもがペテンで、誰だって薄々気づいている。そんなことを考えながら、カタギリくんは、ツタヤのエスカレータでもって自動で上昇していた。」
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