ユキが書いた『Modern Bohemian』という短編小説のなかでこういったくだりがある。
男は「僕が望むことはこういうことなんだ。」と喋り始める。
男と女は完全防音を施した10畳の千駄ヶ谷のマンションの一室で、何種類もの香を焚いて、真っ暗(香の赤い点だけが都会の星空のように照らす)な部屋で、自作した歪みきったギターの音やベースの音が入り交じったホワイトノイズの豪雨のなかで(むせるほど濃い匂いのなかで)、深海への素潜りみたいなセックスをしたあと、男は音楽を消して、部屋を換気して、あぐらを組んで女と向きあう。リラックスと興奮の境目の感覚で女に言う。女のアフリカンとフィリピン人とスウェーデン人と中国人のそれぞれの血が混ざった、野生の動物のような優雅さ、既製の審美眼では判断しえないこれを表現できないものかと思った。
「たとえば、社会に出るまでに人はあらゆる環境に影響されてなし崩し的に生活圏を作り上げて、多少の誤差はあっても、暗黙のうちに種族を作り上げて、そして、その種族で群れて生活することになる。そのなかで僕たちは、半径2メートルの範囲にいる人のなかで伴侶を選び、友人を選び、その2メートルのなかで完結する。マーケティングの本に書いてあったよ。たとえば、シリアル。シリアルのなかで細分化されていく。チョコ味のシリアル、低カロリーのシリアル。朝向けのシリアル。子供向けのシリアル。それに、チョコ味の低カロリーのシリアル。チョコ味の朝向けのシリアル。チョコ味の子供向けのシリアル。そんなふうにして、あらゆる商品はそれ以上細分化できないくらいターゲッティングがされている。僕たちだってシリアルと同じなんだ。細分化されていくうち、種族という檻のなかで飼い慣らされている。僕が僕だって言う意味も、君が君だっていう意味も、どこかで誰かが細分化して作り出したものの組み合わせかもしれない。僕はチョコ味の低カロリーのシリアルかもしれない。」
男はしばらく頬をさすりながら、斜め右下に視線を落として思考の糸を紡ぐ。
「文化圏をジャンプしたいんだ。」
「跳ぶの?」
「何者でもなくなることができるかもしれないんだ。どんなマーケティングもされていない新しい種族を創造したいと思ってる。創造だなんて大げさかもしれないけど、それでもまだ作られていない何者かになることができるかもしれない。」
「孤独かもね。」
「君がいれば平気だ。」
そして男は心のなかでそっと言葉にする。「会いたいひとがいる。跳ばなきゃ結ばれない。」

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