死んだ人間を蘇らせる方法は少ない。ある時、父は「歴史に名前を遺すには」と言ったことがある(ちなみにこの文章を書いているタイミングでは父親はまだ生きている。生きているがいつか死ぬだろう。僕も死ぬ。みんな死ぬ。いつか死ぬ。)。「歴史に名前を遺すには、発明をするか、政治家になるか、本とか何かを作ることだ。」と言った。もしかしたら少し違っているかもしれない。記憶ってそんなもんだ。その言葉が僕の人生を左右することになるのかどうかは分からない。政治家が宗教家だったかもしれないし、最後のはなかったかもしれない。それで、ずいぶん考えたんだけど、死んだ人間が生き続けるには、チンギス・ハンのように、敗北した部族のいちばん美しい娘を選んで子を孕ませて、1600万人のハンのDNAを持つ子孫を作るか、もしくは1600万人に伝搬させる擬似的な何かが必要で、失った人間を呼び戻す方法も少ない。彼女は僕に何かを喋ったはずだ。僕は彼女に何かを喋ったはずだ。記憶は、その分量の分母の記憶が増えるたびに、砂漠に突き刺さった標識のように、忘れずにいたかったはずのそのときの感情や誰かや、たとえば、あのとき17才だったあの女の子が桜木町駅の前のファミレスで泣いていたこととか、たくさんの記憶が埋もれて見えなくなっていく。忘れるはずはないってそのとき思ったはずなのに。それから、僕はいままで沢山のひとを忘れることで、擬似的に彼らを殺してきた。彼らもまた僕を忘れることで僕は何度も死んだ。忘れ去られることは死ぬことだ。誰かが悪かったわけじゃない。

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