『1Q84』の3冊目の残り少しを読み追える前に部屋で眠ってしまって、起きて、21:55で、浮き上がった考えを今書いている。愉快な夢を観たわけじゃないし、夢の話を書くつもりもない。
ひとは年を取る。
僕はいま23才だ。
ある年齢や、あるタイミングから自分が変わっていないような気がして、いま凄く焦っている。
20才からの人生は速い、と大人(たしか母親が言った気がする)が言ったけれど、それの実感。感性とか何かを感じたり考えたりする部分が鈍くなった気がする。日々の生活を受身になって、それをやり過ごすために生きているようにいまの生活を感じている。
それはいま現在の生活の一時的なものだろうか。生活すること自体に忙し過ぎて、心が麻痺にしているだけかもしれない。そう考えることはできる。
それでも僕は年齢が、年月が僕を、ありきたりな毎日という雪崩のなかで少しずつ味気ない人間になっていっている気がする。
(映画の『ファイト・クラブ』みたいな話だ)
少し前の僕は、生きることにもっと素晴らしいことを求めていたはずだし、その感覚や欲求がなくなってきていることがとても怖い。生活を変える必要があると思っている。
逃げるための生活ではなくて、勝ち取るための生活だ。
押しつぶされて死ぬか(このブログで僕は、人間は寿命が来るまえに死ぬことがあると書いた。)、自由を得るかだ。
時間的な自由、金銭的な自由、欲しいものを得る自由、もっと体験したいことが沢山あるし、楽しみたいことが沢山ある。
受身になっていたら簡単にひとは死ぬし、そんな人間はそこら中にいる。
きちんと考えなおさなきゃいけない。
もっと何かあるはずだし、良いものを得たいと思う。もっと生活は楽しいはずだ。
ひとは年を取る。
僕はいま23才だ。
ある年齢や、あるタイミングから自分が変わっていないような気がして、いま凄く焦っている。
20才からの人生は速い、と大人(たしか母親が言った気がする)が言ったけれど、それの実感。感性とか何かを感じたり考えたりする部分が鈍くなった気がする。日々の生活を受身になって、それをやり過ごすために生きているようにいまの生活を感じている。
それはいま現在の生活の一時的なものだろうか。生活すること自体に忙し過ぎて、心が麻痺にしているだけかもしれない。そう考えることはできる。
それでも僕は年齢が、年月が僕を、ありきたりな毎日という雪崩のなかで少しずつ味気ない人間になっていっている気がする。
(映画の『ファイト・クラブ』みたいな話だ)
少し前の僕は、生きることにもっと素晴らしいことを求めていたはずだし、その感覚や欲求がなくなってきていることがとても怖い。生活を変える必要があると思っている。
逃げるための生活ではなくて、勝ち取るための生活だ。
押しつぶされて死ぬか(このブログで僕は、人間は寿命が来るまえに死ぬことがあると書いた。)、自由を得るかだ。
時間的な自由、金銭的な自由、欲しいものを得る自由、もっと体験したいことが沢山あるし、楽しみたいことが沢山ある。
受身になっていたら簡単にひとは死ぬし、そんな人間はそこら中にいる。
きちんと考えなおさなきゃいけない。
もっと何かあるはずだし、良いものを得たいと思う。もっと生活は楽しいはずだ。
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