僕がひとのことをブログでとやかく書かないのは興味がないからからじゃなくて、分析的になることがあるからで、分析的に書けば、どうしても鼻につく感じになるからだから、それは避けたくて、だからひとのことは書いてない
自分と他人との関係性を書くのはなんとなくナンセンスだと思ってる。いや、それには興味がないだけだ。男とは遊ぶ。女とはセックスをする。単純化して抽象化しすぎてる気がする(抽象化といえばアレクサンダー・カルダーの作品。この前ベーコン展に行ってついでで近代美術館蔵の彼の作品を見れた。特に感動はなかった。芸術って芸能人みたいだ。実物を見て何かが面白いわけでは全くないけど、何か得したような気持ちになる)。答えもないし、そこに答えを見つける価値があるとも思ってない。どうかな、そうせざるを得ないポジションに立ったことがないからかもしれない。だって、ほら、なんか労多くしてって感じ

昆虫の脳を持ったすごくハンサムもしくは美少女がいたら好きになるかって話をしてた。脳が昆虫って言っても、人間の身体で、人間として育てられた狼少女のカーマ(脳だけ昆虫と同じVer.っての)みたいな
たぶん、それは僕が目指してる(けど、到底たどり着くことができない)人間性みたいなもんだと思う
感情がなく本能のみに従い同時に損得のみで動く、みたいな。とはいえ、感情がない人間は感情を使った快楽を得ることができないんじゃないかとか

弱い人間で許される環境にいたかった。これは嫉妬だ

コメント

彼方
2013年4月22日3:09

意味を問いただせば問いただすほど言葉を失っていきますね。
人間の心は社会との接点で発見していくけど、もし言葉(関係性)では表せない究極の自分というのがあるのなら、それを人間はみつけることができるのでしょうか?
社会に還元できない究極の主観を持ちつつ、それがなんであるか自分では捉えられないのでは。
自分をたらしめるものは神経しかなく、しかしむき出しの神経のままいることは難しい。
装飾はむなしいものでありながら、本能に抒情を感じてます。

yanaka
2013年5月1日21:41

文章の意味が全然意味わかんないんですけど、無駄だと思えるようなことに費やしたくないっていうようなことを書きました

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索