http://sp.mainichi.jp/journalism/listening/news/20140414org00m030003000c.html
よく晴れた日曜の朝だった。ロンドン・ポートマン通りの住民がズドッという鈍い音を聞いた。2012年9月9日午前7時42分。ロンドン・パラリンピックの閉幕日だった。
「カーテンを開けたら、人がうつぶせで倒れていた。殴り殺されたと思った」。目撃したジェームス・クグラさん(59)は言う。亡くなったのは20代のアフリカ系(黒人)男性で、顔は潰れ、頭は割れていた。ジーパン、長袖上着にスニーカーを履いていた。ポケットにアフリカのアンゴラ紙幣2枚とボツワナ硬貨1枚が入っていた。大した金額でない。
捜査員が空を見上げるようになったのはそれから約2時間後だった。現場はヒースロー空港の東約13キロ。着陸態勢に入った飛行機が脚部格納部のドアを開く辺りだった。
状況から見て、男性は約700メートル上空を飛ぶ旅客機の格納部から落ちたと、ロンドン警視庁は判断した。両耳には騒音よけとみられる紙片があった。
当時の運航記録とポケットから見つかったアンゴラ紙幣から、男性はアンゴラの首都ルアンダ発ヒースロー行きの旅客機に忍び込んだとみられた。検視した病理医のロバート・チャップマン氏は「転落直後、心臓は動いていた可能性が高い」と話す。
身元を示すものはなかった。手がかりは左腕の「ZG」の入れ墨と携帯電話のシムカード(利用者情報を記録したチップ)2枚。シムカードを調べると、男性は3日前にショートメッセージを発信していた。
事故から約2カ月後、警察はメッセージの送信相手と接触した。スイス・ジュネーブに住む白人女性、ジェシカ・ハントさん(32)だった。入れ墨を確認して言った。「彼は私に会いに(欧州に)来たのです」。男性はモザンビーク人のジョゼ・マタダさん。「ZG」はニックネームの頭文字だった。ハントさんがかつて南アフリカに住んでいたころ、マタダさんと知り合ったという。
マタダさんが亡くなった日がちょうど26回目の誕生日だった。飛行時間8時間半、距離6831キロに及ぶ長大な旅。それが最後の一日だった。
現場には、作者不明の詩が掲げられた。そこにはこうあった。「空から降ってきた人」
マタダさんの死をモザンビークの家族が知ったのは、身元が確認されて1年近くがたってからだった。その人生をたどると、豊かさと愛する人への思いを秘めながら、現実の冷たさと息苦しさにはね返されたアフリカ青年の姿が浮かび上がった。
2014年04月14日 10時03分
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