過去を再発見した
僕はきっと孤独で救われそうな気がしていなかった
今だって救われそうにない

コミュニティの維持には
(1)地理的な近さ(2)相互間の交流(3)近い価値観もしくは同一の目標
その三つが必要らしい
ネットコミュニティには(1)が無いけれど

自分周辺の繋がりの中に自分の人間性を見つけようとして
夜の砂漠の牢獄みたいな閉塞と不安ばかりが目につく

純粋な性欲と孤独と好奇心を掴んで不稔の可能性の畑を駆け巡りたい

ところで
いま不意に思い出したことがあって
むかし観た講演(進んで観に行ったわけじゃない)で
四肢麻痺の男が
「夜はとても怖いのでできるだけ早く寝るようにしています」
という言葉を思い出した
独りだと感じる真夜中にこれからきっと何度でも何度でも何度でもそのことを思い出すだろう
その度にきっと今と同じような気持ちになるから
UO
ううお

ぼくはくま
まくはくぼ

じじじじじじじ
赤茶の大地と紫の空に青い蝶々が舞っていたけれど
彼女にはBonjourと言えませんでした
10月03日付 INTERNET Watchの報道「[速報]ナップスターが定額制音楽配信スタート。料金は月額1,280円から」へのコメント:

無形のサービスは時間と需給の量に沿って低価格から無料への道を辿るはず
音楽に文章にOSなんかも含めて求めている人と作っている人が無料で構わないとしているものが
無形で供給するたびに人手が不要なものならフリーになっていくと踏んでいる

たとえば
・フリーの作曲ソフトがあって
・音楽を作るのが趣味の人がいて
・それをウェブ上で配信する
・それらの曲まとめ上げるポータルができる
それらの流れがそれぞれに好循環を生み出して上記の事柄が相乗効果を生み出す
そうなった時に音楽は無料でアウトプットとインプットができる一種の開放された日常のレクリエーションになる

Web上の文章は質を保証できない代わりに量では紙媒体を上回っている
品質の劣化の原因の一つには紙や伝聞の2次情報や3次情報でそのうえ2次3次の区別も無い
それでも量に関しては紙媒体の情報を上回っている
量が決め手で受信者次第の量が必要な情報収集ではウェブは他の情報媒体に負けない

OSに関してはまた明日
朝起きて
眠りと意識の中間辺りで中間ロックが聞きたくなって
ふいに「そうだ、ファンタジスタを聴こうっ」と思い立って
ドラゴンアッシュ聴きながら限りなくマッドカプセルマーケッツに似ていて終わり無きクリーエーショーォーンとかそういう歌詞は無茶苦茶だと感じたけど
あらゆる方面から寄せ集めて繋ぎ合わせることがある意味で究極のクリーエーショーォーンだと確信した
朝の6時20分に集積知の概念とレッドツェッペリンの永遠の詩の中間で散文を紡ぐことは叶わなかった

BGM:The Mad Capsule Markets「Midi Surf」
10月1日の邂逅に間違いが無いとすれば
彼らと僕は時間軸を前後して同じ席に座ったことになる
それらは事実として

OSフリー化論

2006年10月5日 日常
を書くつもりだったんですけど
「世論」読み終えると大抵の弁説が裏付けの無い偏見に思えて仕方なくなった

ライブ行ってくるから帰ってきて気が向いたらこの文章に手を入れるかも

10月6日の日記

2006年10月6日 日常
常識
慣習
偏見
怠惰
不和

そういうものが人生を退屈なモノに変えていく

でも大抵の人は退屈に気付いてもいないくらい

関係ないけれど
ウサギとカメの話
http://www.youtube.com/watch?v=d4gCtvowaPc
→Animal Collective - Who Could Win a Rabbit

10月7日の日記

2006年10月7日 日常
マンキツにいて
「キリン」を読んでいる
ハードボイルドだ

ブックオフで
「インストール」
「ぼくが電話をかけている場所」
「4月7日に生まれて」を買った
三冊で405円だった

寂しさを物語で埋めている
コンビニにリア・ディゾン表紙のヤングジャンプが置いていてあって
平積みで下の棚にあったマガジンは
石原さとみが表紙で鼻が整形されていて少し赤くなっていた

0:45頃No Woman No CryがiPodで流れていて
整った顔を抱えて坂を上りながら
「痛み」に対しての一種の真理のようなものが浮かんだ気がした

10月9日の日記

2006年10月9日 日常
何でも解決できるとは思っていないけれど
続けることはとても大きな力になる

これ前も書いたか?

サイモン&ガーファンクルは良い
ジョニ・ミッチェルも良かったしイージーライダーのサントラも期待を裏切らなかったから
その頃のその辺の音楽に少し手を出してみようかな

1969 サマーオブラブ
どうもこんばんわ
すきゃんてぃーのよっぴーです

すきゃんてぃー

おきゃんぴー
って
にてるよねー
おきゃんぴーの
「お」は
ていねいごだよぉ
おまんこの
「お」
なんていわない
やりまんのわたしでも
いわない
かいしゃのどうきと
といれでおまんこする
ようなどっかのおーえる
なんかじゃないよ


今日ね
横浜は馬車道のスターバックス行ったわけ
可愛い女の子が向こう側にいて
濃い赤茶のマフラーに
黒の長袖のカットソーで
デニム地のスカートに灰色のスパッツ
黒い長い髪に死んだような黒い目とか
頬に声を含ませてから吐き出すような生暖かい声とか
指の長い骨と筋だけで出来てる手とか
華奢な割りに大きな胸(推定E〜F)とか
そういうのでドギマギしてたんですよ
ジョン・ファンテの「塵に訊け」読みながら
彼女と帰り際に目が合ったんだけど
心臓が不整脈起こしたみたいで
声をかけられなかったんだ
ちゃんちゃん
読み終わったよ塵に訊け
今日はバルタザールの遍歴を読むよ

今ハイスタンダード聞きながら書いてる
ちなみに「キャッチアウェブ」
フウフウ!

それで昨日の続き
今日起きてから数分間の思考能力をあらん限り使って
(知り合いの首を鉈で落として海で鮫の餌にして救助隊のヘリで救出される夢だった)
もし彼女と僕がうまい具合にいって
どういう風なデートをするか
という内容で
彼女をバイク(大型)の後ろに乗せて海まで行って云々
書いてる途中で恥ずかしくなったのでここまで

それでなんとなく
ジャズトロニック「someday」の流れでラジオヘッド「everything〜」を聴いてる
この人たちのアルバムのこの曲しか聴かないんだけど
なんでかトム・ヨークに影響を与えた物の方からの影響が強い
TheFallにダグラス・クープランドからノーム・チョムスキー
なんで彼らの音楽を聴かないんだろう
縦乗りの度合いが低いからか
いま聴いてるのはTheFall「Psykick Dancehall」
格好いい
オンザコーナーーー!!
みたいな

http://www.youtube.com/watch?v=PZipC3G3b-o
↑ほしいぃ
むしゃむしゃ
ハロー
みなさんおはようございます

昨日は本を3冊読みました
渋谷サンマルクにて
となりに座った女の子の
スケッチブックらしきものと
描いていた本人に興味をそそられた
だってパンを食べて
口から抜き取るみたいに指を舐める仕草
ってあれは思春期男子の股間を鷲掴みだよ

読んでブックオフに流した本リスト
も作らなければ
昨日は10/7の日記に書いた三冊読みました

別マでジョージア桜が描いてる溺れるナイフが熱い
重松清と戸梶圭太をアナルファックさせて無理矢理子供を作らせる位面白い
スクエアプッシーのニューアルバムでた
それを視聴してたとき隣で明らかにベック聴かないだろう女性と何度も目が合ってハイレヴェルでした
えろい体つきしてる割に上品な風な人でした
下品ですみません

ではでは

追記
別マじゃなくてフレンドだった
ちんこ
ジョニーは戦場へ行った
読んでるんですよ ねー
あれって重過ぎ無いですか
でもまさしくあの小説こそ自分の書きたい小説なんですよ

たぶん現代英米文学が獲得した暴力性の中でのヒューモアに欠けているのが難であっても
(例えばデニス・ジョンソンが書いたナイフを左目から生やして病院にひょこひょこ歩いてくる急患とか)
モチーフ・ショックを与える力・伝えようとしてる真実
どれをとっても一級で古臭くならない

それで
ここでレビューしても10中10読む人いないだろうから
本の内容をさらって書くと
戦争に行った男が四肢・目・耳・口・鼻を完全に失って・・・
という話で彼の思考が流れていく
それだけで読む気が無くなるようなハードな小説なんだけど
骨子になっている思想はあえて言葉にしないけれど
カッコーの〜、ライ麦畑、とかの影響力を保ち続ける作品にある誰もが望むその概念
それらの作品では主人公達は脱出を試みそしてそれが果たされることはない

つまらない小説や音楽(もしくは人生経験)に触れても
そういうものは自分のために用意されたようには感じない

nuts

2006年10月14日 日常 コメント (2)
ナッツといえばの米俗語(それとも英?)ですがナッツで連想するのはアンダァワールドのボーンスリッピーナッツという曲で
飼ってた犬の名前がボーンスリッピーというのが由来
ボーンスリッピーって名前可愛い

ホット細打ちうどんにとろろこんぶと蜂蜜テイストの梅干を入れて食べてる
もりもり

10月15日の日記

2006年10月15日 日常
自分は王子さまじゃないから
居心地の良い生活を作り上げるために
ひとまず動き回らなきゃいけない
1
「だからさ、手首切るの良くないって言うけどさ、手首切るのを止めたところで痛みが無くなるわけじゃないんだよ。それが過食でもネット依存でも、結果の違いで、原因は一つで何かだって、本当はみんなちゃんと理解してる。」
「なにが原因なの?」
「愛の不足」

2
生物が環境にフィットするように
大切なのは理想像じゃなくて
穴を一つずつ埋めていく
ベターにしていくような生き方で

3
子供に何かを習わせるときに
かんしゃくを起こして「もうやらない!」
なんて言っているのは子供らしく写るかもしれないけれど
僕たちだって違いは無い

10月17日の日記

2006年10月17日 日常
ひどいことをした

罪を伴うなら
それだって自由だ

1 2

 

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