高校のとき、関係していた女の子が、格好良く言うとビッチで、俺の言い方で言えば糞女だったんだけど、どれくらい糞だったかっていうと、飯(けっこう高くて二人で1万ちょっとだった。)を俺に奢らせ(その女は財布をデートに持って来なかった)たうえに(俺、高校生で時給800円のアルバイトね)「じゃあ家で彼氏待ってるから」って言ってキスも手も繋ぐのもハグも無しで帰っていくような女だったんだけど、最初向こうから寄ってきて最終的にそんな感じになっていった理由を今でも考えてるんだけど、友達に話したら「その女ひどいな」って言ってたし、俺の見る目がなかっただけなんだと思った。愛がどうのとかじゃなくて単純に間違った相手を選べば間違った感情しか生まれないんだと思った。
容姿なら服と髪型と化粧に気を使えば元が普通くらいならかなり良く見せることができて、だからこそ、大切なのはそのひとの人間性なんだと思う。可愛い女の子なら沢山いるし、それなりに努力すれば綺麗な子はものにできると思う。あの糞女も見た目は良かった。でもそいつと長く付き合うことはできなかった。寂しさと憎さと軽蔑しか残らなかった。
もういちど書く。凄く大切なことだ。見た目の綺麗な女はそれなりに頑張れば手に入れることはできる。でも幸せになるかどうかは全くの別問題だ。
最近よく思う。このひとといたら幸せになれるって確信できるような人は少ない。綺麗な女の子よりずっと少ない。
容姿なら服と髪型と化粧に気を使えば元が普通くらいならかなり良く見せることができて、だからこそ、大切なのはそのひとの人間性なんだと思う。可愛い女の子なら沢山いるし、それなりに努力すれば綺麗な子はものにできると思う。あの糞女も見た目は良かった。でもそいつと長く付き合うことはできなかった。寂しさと憎さと軽蔑しか残らなかった。
もういちど書く。凄く大切なことだ。見た目の綺麗な女はそれなりに頑張れば手に入れることはできる。でも幸せになるかどうかは全くの別問題だ。
最近よく思う。このひとといたら幸せになれるって確信できるような人は少ない。綺麗な女の子よりずっと少ない。
枠に抑えこまれている感じ
2011年11月20日 日常最近ストレス感じてるんだけど、何がそのストレスの原因なのかわからなくて辛い
何かに夢中になるのは楽しいけど、結局結果がすべてなんだと思う
何かに夢中になるのは楽しいけど、結局結果がすべてなんだと思う
http://ext.pimg.tw/boalifediary/4a1eb1367f031.jpg
ずっと会いたいひとがいるんだけど会えないし、もうどうでもいいやって思って、違う女の子を探し始めて、その誰かもいつか、ずっと会いたいけど会えないひとに分類されるようになるんだろうかなんて考えながら、さっきひとりで酒を飲んでた。
ずっと会いたいひとがいるんだけど会えないし、もうどうでもいいやって思って、違う女の子を探し始めて、その誰かもいつか、ずっと会いたいけど会えないひとに分類されるようになるんだろうかなんて考えながら、さっきひとりで酒を飲んでた。
文学ではない 改行入れないVer.
2011年11月14日 日常文学の文章を眺めていて思った。
文学を書けない。
自分が書く物語のなかで孤独がどうとかそういう表現はしない。寂しくなったら恋人を作ろうとするような登場人物が出てくる話は文学にならない。
では、文学では。
文学(もしくは文学的なもの、文学のようなもの、そういう沢山のもの)のなかで、人は悲観に暮れる。問題を明確にしない。欲求を言葉に換えない。孤独だ、と書かれる。文学ではそれが不快かどうか、嫌かどうかは考えない。もしくはそれを文学的に表現する。なんか文学っぽい感じにする。人生は虚無だ、とか、そんな感じで。そういうセリフのあとに、どれだけ人生が虚無かっていうのを表現するための文章が並ぶ。最愛の妻が死んだとか、飼い犬が死んだとか、冷蔵庫に入れてたケーキが腐ってたとか、そういう文章が並ぶ。絶望。
茶化してるわけじゃない。それはそれでけっこうかっこいいと思う。ある種の文章の97%はファッションと同じように雰囲気がそれを左右する。
けれど、僕が書く登場人物は虚無とは言わない。孤独、絶望。言わない。たぶんそういう語彙を作者から与えてもらえなかったんだろう。代わりに、恋人がほしい、と言う。可愛い恋人が欲しい。これは文学ではない。たぶん、いや、間違いなく。
登場人物は「虚無」を不快と感じる。友人に相談する。問題点を洗いあげる。解決策を考える。そして実行する。これはたぶん、いや、間違いなく文学的にはならないだろう。
現実認識か選択か結論か、という世界では文学を息をすることができない。
文学を書けない。
自分が書く物語のなかで孤独がどうとかそういう表現はしない。寂しくなったら恋人を作ろうとするような登場人物が出てくる話は文学にならない。
では、文学では。
文学(もしくは文学的なもの、文学のようなもの、そういう沢山のもの)のなかで、人は悲観に暮れる。問題を明確にしない。欲求を言葉に換えない。孤独だ、と書かれる。文学ではそれが不快かどうか、嫌かどうかは考えない。もしくはそれを文学的に表現する。なんか文学っぽい感じにする。人生は虚無だ、とか、そんな感じで。そういうセリフのあとに、どれだけ人生が虚無かっていうのを表現するための文章が並ぶ。最愛の妻が死んだとか、飼い犬が死んだとか、冷蔵庫に入れてたケーキが腐ってたとか、そういう文章が並ぶ。絶望。
茶化してるわけじゃない。それはそれでけっこうかっこいいと思う。ある種の文章の97%はファッションと同じように雰囲気がそれを左右する。
けれど、僕が書く登場人物は虚無とは言わない。孤独、絶望。言わない。たぶんそういう語彙を作者から与えてもらえなかったんだろう。代わりに、恋人がほしい、と言う。可愛い恋人が欲しい。これは文学ではない。たぶん、いや、間違いなく。
登場人物は「虚無」を不快と感じる。友人に相談する。問題点を洗いあげる。解決策を考える。そして実行する。これはたぶん、いや、間違いなく文学的にはならないだろう。
現実認識か選択か結論か、という世界では文学を息をすることができない。
文学ではない 改行入れたVer.
2011年11月14日 日常文学の文章を眺めていて思った。
文学を書けない。
自分が書く物語のなかで孤独がどうとかそういう表現はしない。寂しくなったら恋人を作ろうとするような登場人物が出てくる話は文学にならない。
では、文学では。
文学(もしくは文学的なもの、文学のようなもの、そういう沢山のもの)のなかで、人は悲観に暮れる。問題を明確にしない。欲求を言葉に換えない。孤独だ、と書かれる。文学ではそれが不快かどうか、嫌かどうかは考えない。もしくはそれを文学的に表現する。なんか文学っぽい感じにする。人生は虚無だ、とか、そんな感じで。そういうセリフのあとに、どれだけ人生が虚無かっていうのを表現するための文章が並ぶ。最愛の妻が死んだとか、飼い犬が死んだとか、冷蔵庫に入れてたケーキが腐ってたとか、そういう文章が並ぶ。絶望。
茶化してるわけじゃない。それはそれでけっこうかっこいいと思う。ある種の文章の97%はファッションと同じように雰囲気がそれを左右する。
けれど、僕が書く登場人物は虚無とは言わない。孤独、絶望。言わない。たぶんそういう語彙を作者から与えてもらえなかったんだろう。代わりに、恋人がほしい、と言う。可愛い恋人が欲しい。これは文学ではない。たぶん、いや、間違いなく。
登場人物は「虚無」を不快と感じる。友人に相談する。問題点を洗いあげる。解決策を考える。そして実行する。これはたぶん、いや、間違いなく文学的にはならないだろう。
現実認識か選択か結論か、という世界では文学を息をすることができない。
文学を書けない。
自分が書く物語のなかで孤独がどうとかそういう表現はしない。寂しくなったら恋人を作ろうとするような登場人物が出てくる話は文学にならない。
では、文学では。
文学(もしくは文学的なもの、文学のようなもの、そういう沢山のもの)のなかで、人は悲観に暮れる。問題を明確にしない。欲求を言葉に換えない。孤独だ、と書かれる。文学ではそれが不快かどうか、嫌かどうかは考えない。もしくはそれを文学的に表現する。なんか文学っぽい感じにする。人生は虚無だ、とか、そんな感じで。そういうセリフのあとに、どれだけ人生が虚無かっていうのを表現するための文章が並ぶ。最愛の妻が死んだとか、飼い犬が死んだとか、冷蔵庫に入れてたケーキが腐ってたとか、そういう文章が並ぶ。絶望。
茶化してるわけじゃない。それはそれでけっこうかっこいいと思う。ある種の文章の97%はファッションと同じように雰囲気がそれを左右する。
けれど、僕が書く登場人物は虚無とは言わない。孤独、絶望。言わない。たぶんそういう語彙を作者から与えてもらえなかったんだろう。代わりに、恋人がほしい、と言う。可愛い恋人が欲しい。これは文学ではない。たぶん、いや、間違いなく。
登場人物は「虚無」を不快と感じる。友人に相談する。問題点を洗いあげる。解決策を考える。そして実行する。これはたぶん、いや、間違いなく文学的にはならないだろう。
現実認識か選択か結論か、という世界では文学を息をすることができない。
弓矢の上達より場所を探すこと
気の強いひとと知り合って、そのひとから学ぶことは多かったし、いまでも自分のなかの良い部分として根差してるし成長もしていると思う
そのひとにはできなかったことが自分にはできるんじゃないかって考えてる
ほんの少しだけ無理を自分に強いてみてもいいんじゃないかと思う
妥協の繰り返しをやめる
本当に欲しいものを自覚する
気の強いひとと知り合って、そのひとから学ぶことは多かったし、いまでも自分のなかの良い部分として根差してるし成長もしていると思う
そのひとにはできなかったことが自分にはできるんじゃないかって考えてる
ほんの少しだけ無理を自分に強いてみてもいいんじゃないかと思う
妥協の繰り返しをやめる
本当に欲しいものを自覚する
最近、帽子を集めようかなって思ってて、とは言ってもまだ持ってる帽子5つだけなんだけど、そのなかでも特に冴えてる帽子をかぶって帽子屋に行くんだけど、帽子屋で売ってるほとんどどの帽子よりも自分のかぶってるもののほうが冴えてて、それで店員もやっぱり帽子をかぶってるんだけど、店員が俺とその帽子を見るときに「お主なかなかやるな......!」ってなるのが楽しい。
がしかしジャガイモが溶けてシチューのようになっていた
2011年11月12日 日常 コメント (2)夢の中でおでん食ってたからおでんを食べたい
おでん美味しかった
夢に見るほど〇〇がしたいってよくきくけど、どうなの
ともかく欲求と行動は手を結び末永く幸せに暮らしましたとさ
おでん美味しかった
夢に見るほど〇〇がしたいってよくきくけど、どうなの
ともかく欲求と行動は手を結び末永く幸せに暮らしましたとさ
最近観た映画で面白かったのをピックアップしようと思ったけど、X-menファーストジェネレーションもジュノもベストキッドも実際ぱっとしなかったし、最近あんまり面白い映画観てない。そもそも映画って面白いのか、みたいな疑問さえ浮かんできてる
アサヒスーパードライを飲みながらひとり夜の原宿を歩いていた
2011年11月9日 日常最近遊んでて「わたしと遊んでて楽しい?」って訊かれて、正直に、「面白いとかじゃないかなー」って答えちゃったんだけど、どうなんだろう。遊んでて楽しいとのは男と遊んでたほうが楽しいし、女の子は女の子で楽しいんだけど、それ言ったら終わりだろ的なこと書きそうだから、これ以上は書かないけど、うーん。でも、女の子でもすげー面白い女の子いるよね。なんか話しててゲラゲラ笑えるうえにしかも容姿がけっこう冴えてたりすんのな。世の中ってまじ不公平。
実際、手間かかる女の子って、あんまり面白くないうえにやたらと「わたし、安い女じゃないから」って雰囲気全開だったりして、うーん、ってなる。面白くしようと思えばいくらでも面白くできるんだけ、「わたし、安い女じゃないから」って女のひとあんまり面白くないこと多いよな。たぶん、それってそういう女を追いかける男がたいがい退屈な男だったりするのに適応した結果なんじゃないかなーって思ったりするんだけど、どうだろうか。
ところで、最近面白いことと言えば......秘密にて!
久々に使うぜ!!
実際、手間かかる女の子って、あんまり面白くないうえにやたらと「わたし、安い女じゃないから」って雰囲気全開だったりして、うーん、ってなる。面白くしようと思えばいくらでも面白くできるんだけ、「わたし、安い女じゃないから」って女のひとあんまり面白くないこと多いよな。たぶん、それってそういう女を追いかける男がたいがい退屈な男だったりするのに適応した結果なんじゃないかなーって思ったりするんだけど、どうだろうか。
ところで、最近面白いことと言えば......秘密にて!
久々に使うぜ!!
「このダミエアズールを誰もが持っていたら私は欲しがるだろうか」から始まる小説
孤独を物で埋める話書こうと思ったけど、それも作為的な感じがして嫌だと思った
孤独を物で埋めようとしてそれが埋まらない、みたいな安っぽい話じゃなくて、いかに稼ぎ、その業を深めながら強く洗練されていくか、みたいな
とりあえず原案として持っておく
孤独を物で埋める話書こうと思ったけど、それも作為的な感じがして嫌だと思った
孤独を物で埋めようとしてそれが埋まらない、みたいな安っぽい話じゃなくて、いかに稼ぎ、その業を深めながら強く洗練されていくか、みたいな
とりあえず原案として持っておく
T-95はジャベリンの夢を見るか?
2011年11月3日 日常道玄坂のホテル街にハイネスっていう凄い外観、内観のラブホがある
特にこだわりがないっていうならおすすめ。気に入るかどうかは保証できないし、10人行ったら8人は気に入らない。残りひとりはやれればどこでも同じって言って、最後のひとりだけが毎回使うようになる。そういうラブホだ
外観は和風の城っぽい。部屋を選ぶ場所には鯉(本物の生きてるやつが泳いでる)がいる
部屋自体は昭和50年代って感じの和室で、旅館を改造したような感じで全体的にボロい
ボロいんだけど、例えば洗面台が濃い山吹色一色だったりして妙なセンスの良さがあったりする
それで、そこはラブホテルだから、ラブホテルで大概のカップルがするようなことをしたんだけど、帰り、二階の廊下にポール・ギアマンって作家の版画が貼ってあって目を奪われた
綺麗な絵だった
でも、そこで立ち止まって絵の鑑賞をするわけにはいかなかったし(そんなところでつったっていて、ほかのカップルと顔が合うのは気まずい。そういう一般的な羞恥心は俺だって持っているのだ)ホテルを出て終電前に帰った
さっき、渋谷の本屋で芸術書のコーナーでいくつか絵を眺めてたら、ふとポール・ギアマンの絵のことを思い出してネットで検索した
それから、そのホテルでしたセックスのことを思い出そうとしたけど、セックスのことは全然思い出せなかった。まぁ、それなりに楽しいセックスだったっていう印象はある。でもそれだけだ
それで今考えてたんだけど、人が身体の芯から求めて、無ければ生きてけないってのは、三大欲求。でも、そもそも性欲がなかったらあんなこのラブホに行くこともなかった
それでも鮮明に思い出すことのできるものは、芸術で、無くても生きてけるけど、消えない。沙漠で埋まることのない建造物に似ている。沙漠の真ん中で人が必要とするのはイオ・ミン・ペイのピラミッドより水だけど、それがそこにあったら忘れることは難しい
追記
セックスも場合によっては(それが凄まじく良いセックスだったりすると)忘れることができない
そういうセックスは存在する。セックスより楽しいことなら沢山あるって言葉を目にしたけど、それはどうかなって思った
特にこだわりがないっていうならおすすめ。気に入るかどうかは保証できないし、10人行ったら8人は気に入らない。残りひとりはやれればどこでも同じって言って、最後のひとりだけが毎回使うようになる。そういうラブホだ
外観は和風の城っぽい。部屋を選ぶ場所には鯉(本物の生きてるやつが泳いでる)がいる
部屋自体は昭和50年代って感じの和室で、旅館を改造したような感じで全体的にボロい
ボロいんだけど、例えば洗面台が濃い山吹色一色だったりして妙なセンスの良さがあったりする
それで、そこはラブホテルだから、ラブホテルで大概のカップルがするようなことをしたんだけど、帰り、二階の廊下にポール・ギアマンって作家の版画が貼ってあって目を奪われた
綺麗な絵だった
でも、そこで立ち止まって絵の鑑賞をするわけにはいかなかったし(そんなところでつったっていて、ほかのカップルと顔が合うのは気まずい。そういう一般的な羞恥心は俺だって持っているのだ)ホテルを出て終電前に帰った
さっき、渋谷の本屋で芸術書のコーナーでいくつか絵を眺めてたら、ふとポール・ギアマンの絵のことを思い出してネットで検索した
それから、そのホテルでしたセックスのことを思い出そうとしたけど、セックスのことは全然思い出せなかった。まぁ、それなりに楽しいセックスだったっていう印象はある。でもそれだけだ
それで今考えてたんだけど、人が身体の芯から求めて、無ければ生きてけないってのは、三大欲求。でも、そもそも性欲がなかったらあんなこのラブホに行くこともなかった
それでも鮮明に思い出すことのできるものは、芸術で、無くても生きてけるけど、消えない。沙漠で埋まることのない建造物に似ている。沙漠の真ん中で人が必要とするのはイオ・ミン・ペイのピラミッドより水だけど、それがそこにあったら忘れることは難しい
追記
セックスも場合によっては(それが凄まじく良いセックスだったりすると)忘れることができない
そういうセックスは存在する。セックスより楽しいことなら沢山あるって言葉を目にしたけど、それはどうかなって思った
最近面白かったこと書こうとしたんだけど、名前出してるとろくなこと書けないしつまんないな
つまんないなー
あと最近sam amidon好きで聴いてる
いい
みんな人の揚げ足取るようなこと言って、みんなでお互いに鎖を付けて誰も得しないのに、そういうのってなんかあれだなーって感じ
つまんないなー
あと最近sam amidon好きで聴いてる
いい
みんな人の揚げ足取るようなこと言って、みんなでお互いに鎖を付けて誰も得しないのに、そういうのってなんかあれだなーって感じ
部屋を真っ暗にする。イヤフォンを二股にするジャックをiPodに差し込んで、音楽のボリュームを全開にして耳に二人とも両耳にそれらをはめる。それから女の子と裸で抱き合う。できる限り触れ合う肌の面積を広くして。セックスをする。けれど身体は動かさない。奥まで入れて抱き合う。それからキスをする。音は音楽以外何も聞こえないし、二人とも目隠しをしているから何も見えない。存在するのは肌の温度と舌と唾液が作る興奮と音楽とそれがもたらす感情だけ。
昨日、真夜中、クラブで人が沢山、大きなスピーカーが振動して鳴らす音、真っ暗で、誰かが作った環境で、初めて知り合う女の子と会話した
今日、真夜中、部屋で一人きり、イヤフォンから聞こえる音楽だけ、真っ暗にして、自分の作った世界で、仮想の人物と理想の人物が会話している
今日、真夜中、部屋で一人きり、イヤフォンから聞こえる音楽だけ、真っ暗にして、自分の作った世界で、仮想の人物と理想の人物が会話している