テネシー・ウィリアムズの3部作を読破。欲望という名の電車読んだのいつだっけ。とにかくこのひとの話は面白い。

日よー日に靴屋行ったら、あの子はいなくて、僕の後ろを一瞬よぎったシフト製を追いかけて、ボコボコに殴りつけて、原型が無くなるまで痛めつけたあと、葉巻に火を付けながら、動かなくなったシフト製を見下ろして、明日も靴屋に来ようと決めた。

ゾーイーの出てこない「フラニーとゾーイー」みたいなこの世界で、僕は酒を選ぶほど失望していないし、死ぬことを選ぶほど想像力が無い(もしくはある)わけでもなかった。選べたのは、満足するまで試すことだけ。

ハードボイルドを勉強しようと決めて、webを跳ねてたらこんな文章に会った。

で、最近知ったんですが、なんとチャンドラーの「長いお別れ」が村上春樹訳で出るんですと。(今年中かな?)

 これはなー、ハードカバーでも買わずばなるまい。なにしろ、「羊を巡る冒険」の原型になったと言ってもいい小説です。(作者本人もどこかでそんなことを言ってました)。これを村上訳で読めるなんて、なんというか、山下達郎のカバーしたビーチボーイズの曲を聴くようなもんですよ、みなさん。


なんて文章読みながら、山下達郎は神がかり的に歌うまいよな。なんて、それは関係なくて、乳離れする前に、内臓までしゃぶり尽くすまで学ぶことがある。(母乳が恋しくならないためにも)ガイドが必要な場所まで行く必要がある。

そこまで行ったら、まったく違う種類の胸に飛び込もう。
たとえば、部族の肉を喰うことでその力を得ようとするように。

メモ35

2007年6月25日 メモ
種が明かされない限り魔法

2007-06-25

2007年6月25日 日常
1
その人たち(僕は『一派』と表現したことがある)は女だけが残ったな。
と、ふと、気付いた。

2
誤解されるのを避けたいから、書いとくけど、右翼も左翼もアナーキズムも宗教も、無意識に差別や暴力を振るうための口実とか、不満の捌け口にするために、そういったことのために、思想もどきに埋もれる連中は死んだほうがいいと思う。
はっきり書いとく。
俺は日本人なんて糞喰らえだ。
国民的な意識が無い国がどこかにもしあるなら、僕はぜひそこに住みたい。
その意識を共同している抽象的な共同体のなかだと、愛国心は電柱にペニスを擦りつけることと同列に扱われる。
システムはシステムとして、ただの便利な道具としてある。そういった認識の内側。

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