コレット

2008年9月5日 日常
『シェリ』読んでる。

ゴージャスな文章。
夜が明ける頃、何を思ったか、フルカワは僕とムラハシを誘って自分の家に朝飯を食いに来いと行った。断る理由もなかったし興味をそそられて階段で降りて、指紋と番号と鍵の3重の玄関のドアを開けて僕らは彼の家に入った。広い家だった。部屋がいくつかあるかは忘れたが、とにかく、トイレに行きたくなって指示通りに家を進んでドアを開くと、自分が住む家全体より広い部屋の真ん中の便器が置いてあった。僕は間違ったドアを開いてしまったと思った。やたらと広い部屋に何かの事情があって便器が置いてあるのだ。もう一度フルカワに部屋の場所を聞いたが、笑われて、結局僕はその便器が置いてある部屋で用を済ませた。
酔いが醒めた僕とムラハシはその家に何があったかはよく覚えていない。とにかくやたら広い家で、絵画や掛け軸や壷なんかが無いことに交換を持った。僕たちは無言でリビングでサンドイッチを食べながら何を話そうか考えていたが、その時、フルカワが僕にした話をよく覚えている。知人から潰れかけた小さなレコード会社を彼が買い取る前、弁護士の仕事をしていて、ある新興宗教の大物の資産管理をしていたとき、その教祖に「あなたは何を信じているんですか?」と尋ねたときのことを話した。なかなか聞けるようなエピソードではない。フルカワは僕たちにまず訊いた?「おい、お前ら考えてみろよ。そいつは愛人を100人囲って、警察に金握らせてまで人を"消す"ような化け物だ。」僕は「かね。」と言った。ムラハシは「思いつかない。」と言った。「信じられるか?そいつは真顔で『愛です。』って言ったんだ。あれは神に誓っていうけど、本心だったな。気が狂ってたんだ。完璧にな。」僕たちはなんて言えばいいのか思いつかなかった。「その男にとっては誰かの思想や意識や決断を全部肩代わりしてやることが絶対的な愛だったんだ。『人は迷いを消し去ることで安寧を得るのです。』とかなんとか言ってたな。思考のアウトソーシング。それと同じ
ようなことをマスコミで力持ってたお偉いさんも言ってたな。言葉も言い方も表面的な部分じゃまるっきり違うけど、根は一緒だな。」ムラハシは首をぐるぐる回して、グレープフルーツジュースをストローでちゅーちゅー吸いながら「そいつらって共通点とか、特徴ってあるんですか?素質みたいな。」と言った。フルカワは鼻を鳴らして「お前、なりたいのか?」と訊くとムラハシは首をすくめた。「ひとつは子供をそのまま大人にしたようなところがある。アニメとかが好きだ。それと、コンプレックスが異常に強い。それと性欲が強いな。種をまき散らすのが趣味みたいなもんだ。」僕は笑ってムラハシを見たが、別に彼は気にした様子もなかった。僕たちが上品な小さなエレベータに乗って降りていくあいだ、ムラハシは「夢みたいだ。」と呟いて、僕は無言で同意した。
横浜駅西口シアルスターバックス2階、capsuleの『happy life genrerator』を聞きながらこの文章を書いている。昨日から一睡もしてないおかげで、身体が自分のものじゃないような感覚になっている。誰かの身体に乗り込んだはいいけど、どうにも納まりが悪い。昨日から僕はピアノを弾きはじめた。文章のタイピングと鍵盤を打鍵は似ているだろうか。文章は記録されるものだが、音はそれを記憶しようとしなければ消えてしまう。音の出るほうのキーボードは触れていて楽しい。文章はタイピングの音しか鳴らない(カチカチカチカチ)。音符はしかるべきようにすれば鳴る。文章は意味を司る。楽譜は音を司る。関連付けること。僕は小説を4ヶ月も前から書いている。これは、いささか、時間がかかり過ぎじゃないかと思っている。僕は小説をずっと前に置いて変化し過ぎたように思える。完成した頃には、それは似た別人が作り上げた形をしていると思う。誰かは、その小説の序盤を気に入り、別の誰かは、その小説の終盤を気に入る。彼らは似ていない。誰かが言った言葉だ。成功とは意欲を失わず失敗を繰り返すことだ。意欲。情熱や、走り始めたばかりの頃の衝動を失ったときに、減速のペースが加速して、やがて止まる。停止。ストップ。終わり。僕は初期衝動に任せて書き上げてしまうべきだったのかもしれない。ある小説家は、小説家になることは易しいといった。そして、小説家でい続けることは難しいといった。もっともっと書くことを楽しむべきなのかもしれない。楽しいと感じないときは書かなければいいのかもしれない。それに文章を書く以外のことは沢山ある。怖れていることは、小説を置いたままにして、そこに戻ることなくなってしまうことだ。新しい出来事が必要なんだろうか。書きたいと心底から求める対象の蓄積が無くなってしまった(もしくは記憶のそこで結びつく新たな刺激をそれが見つけることができないせいで、ポタージュスープの溶けたポテトのように沈殿してしまっているのかもしれない。)
四足で走る男だか女だかがやって来て、膝の関節が逆に檻曲がった後ろ足を蹴りそして蹴り、股がった僕を共々、矢のように走り抜けると、沢山の建築を擦り抜けて、ぶつからず、酔っ払いの精神科の家のつくと、四足は走り去って消えた。ともかくドアをノックして、酔っ払いの精神科医がゲロゲロ吐く寸前のあっぷあっぷして僕を出迎えた。外から見れば3階建ての立派&豪華な家の中に入ると、部屋は真っ白で、1階から3階まで吹き抜けで、家具は一つもない、土足可能のシンプルを目的にして直線に真っ直ぐ達成したような内装だった。吐けば楽になるのに、と、僕は思ったけれど、何せ僕は客人、患者であって、癒される立場、癒す立場、の対立構造が前提だった。ともかく僕は様々な葛藤や迷いや悩みや苦しみとか希望や欲望などなど胃と腸が口から流れ出るようにしてひたすら喋り続けた。喋り続けて、絞り出されて、湿りどころか逆に乾燥してカピカピになるほど絞り吐き出して、僕は何も言わず立ち上がり、その医者を後にして、家を出ると四足が僕を迎えて、永遠に驚きと嘲笑の中間の表情をしながら、僕を乗せて走り始めて僕は目覚めた。
僕は隣りで寝ている女を揺り動かしたい気持ちを抑えきれなくなりそうになった。こう告げるのだ。「言葉にならないものが存在しないっていうなら、あんたは地表に染み付く模様に過ぎないよ。」と。彼女が寝る前に、例の電話での話を持ち出されて、僕は出口の無い文脈を無理矢理伝えなければいけなくなった。それに嘘を含めるくらいなら沈黙していたほうがいいと思えた。沈黙か、もしくは言葉にならない何か。けれど、僕は彼女を起こそうとはしなかった。「ねぇ、ほんとあの電話、最悪だった。」と彼女は言ったけれど、僕は何も言わなかった。彼女は溜め息をついて眠った。そして例えようのない孤独に足の先から頭のてっぺんまで浸かることになった。真夜中の海のなかに沈められていくような気分だった。分かり合えないことに対して、諦めを付けている、というのは、それはもちろん、最初はそれを諦めていなかった、訴求があって、そして、やがて失望に屈する。誰もが。
なんかおかしなかんじだけど、
自分と他人を比べてじゃない、っていうの前置きしつつの文章だけど、
自分はけっこうがんばってるな、と思った。
我ながらよくやってると思う。
うんざりするような環境でもよくやってきた、ってさっきふと思った。

2008-09-02

2008年9月2日 日常
『冷血』読んだ流れで村上春樹の『アンダーグラウンド』読んで、その流れでwikipediaでオウム真理教のこととか読んでて、松本智津夫の罪状読んでて、うわー宗教は洒落にならんとか、怖いとか恐ろしいとか、もう本当に宗教とカルトは勘弁だな!と思った。まじで怖い。批判しただけで殺されちゃうとか!
(いや、カルトじゃなくても、メジャーなイスラム教でも一緒か。実際、殺し屋が日本まで来て殺された人いるし。※追記。この事件ね。(http://tinyurl.com/bf2ya))
で、それを読んでく途中で、警察も本当は全然信用できないし、法律を楯に取ってる分、カルトなんかより比べ物にならないくらい凶悪になりうるんじゃないかと思った。

あとあと、
戦時下じゃない今の状態で、戦争中に平気でざくざく虐殺してた連中と、自分は違う、そんなことしない、っていうのは全然役に立たないと思う。
周りが人を平気で殺してたら、人は普通に人を殺すし強姦もするし略奪もするし拷問もする。
性善説とか性悪説とかじゃなくて、人間も十分に動物で、支配されやすい生き物で、異常な状態が異常と感じない状態に置かれたら、異常なことを平然とする。

追記
このブログのタイトルとサブタイトル思いっきりgodって入ってるやんけ、っていうつっこみは、いつだかここで書いた記事参照して。思いっきり無神論的なやつ。

あと、自分がこうやって俯瞰して、努めて醒めた目で(熱中している最中であっても)見ようとする背景は、たぶん、自分の父親がバブルの熱狂に乗って会社倒産させたからだと思う。

2008-09-01

2008年9月1日 日常
「なんか、好きな人を無条件でdisりたくなるよう。そういうのって、んー、甘え、っていうのかな。わかんないけど」

ソフト>ハード

2008年8月31日 読書
カポーティの『冷血』読んでる。
ハードカバーで読みはじめて挫折(1ページ目)して、ソフトカバーで読んだら、すらすら読み進め易い、っていう、謎。半分くらい読んだ。

同じ理由で、『夜はやさし』もソフトカバーで発売されたら幾分読み易くなるかな、と。

浅野いにおのスピリッツの読み切りの『東京』読んだけど面白かった。
酒を持って振り返るとムラハシはテーブルに置かれた灰皿を凝視していた。10時間ぶっ続けでそれを眺めているが、まだ見飽きない、といった風だった。隣りに座っている女の子は落ち着かないようだった。僕がテーブルに近づくとムラハシは"どこ行ってたんだ。このくそたれが。"と言わんばかりの非難の目で僕を見た。完璧に濡れ衣だ。「君が今日招待してくれた女の子?」と僕はムラハシが好きな女の子に尋ねると、彼女はこくりと頷いた。もみしだかれたような顔をして微笑んだ。彼女のことなら誰だって好きになってしまうんじゃないかと思った。僕は首をくすめて二人に酒を渡して、バーカウンターにもう一度向かった。「今日は召使いの役なんだ。」と言うとバーテンダーは「そう?」とだけ言った。「そう。ビールひとつ。」と注文すると、音楽が変わった。DJの機材が店の奥のほうに置かれていて、そこに立っていた濃い髭を蓄えた(絞るように撫でるような形)40才後半くらいの男と、髪を左右対称に切った黄色い髪の洒落た 30くらい男(黒く大きいサングラスを付けていた。有名なんだろうか。)が二人にしか分からない冗談を交わすようにして喋っていた。ヘッドフォンを髭の男が黄色い髪に渡して、こっちに歩いてきた。世の中に怖いものが無い、というような歩き方だった。何人かが男に声をかけて、そのたびにどちらかと言えば緊張した様子で受け答えをしていた。頼んだ酒がカウンターの前に置かれると、髭の男が隣りに立って、バーテンダーの女の子を口説こうとしていたが、その様子がひどくぎこちなくて、僕は様子を見ていた。「いやいや疲れちゃったな。」と男が頭を描きながら言ったが、バーテンダーは無言で注文されるのを待った。「何にしようかな。」と髭に触れながら辺りを見回すけれどメニューは無い。「赤ワインある?」と聞くと「はい。」と答えた。緊張からか、さっき音楽をかけていたときのような無言の優雅さ(真っ黒なレコードに古い思い出を見い出すような眼差しと)を無くしていた。いずれにしろ、僕は酒を席に持ち寄ったところで、ムラハシとムラハシが好きな女の子とのやっと始まった小雨のようなささやかな会話を中断したくはなかった。それでそこで僕は間が抜けた様子でただ立っていた。「ここに来るのは初めて?」と高く少し掠れた独特の声(上等のエレキギターをアンプで歪ませて思い切り鳴らすと、こういう心地いい伸びる音が出る。) で、隣りの髭の男に尋ねられた。「ええ。友達に誘われて来たんです。向こうの。」と顎で示した。「ここ良い場所ですね。楽しい。」と僕はできる限り愛想のある表情(僕は無表情だと怒っているように見える)で答えると、男は嬉しそうに頷いた。ワインが出されて、男はそれに口を付けて「そうか。良かった。」と言ってワインを一気に飲み干した。きっとバーテンダーの女の子と会話するチャンスを引き延ばしたかったんだと思う。その場所の雰囲気にも馴染んできて、酒がいくらでも飲めることに気付いた僕も同じように、飼い葉桶に頭を突っ込む牛のように酒を飲んだ。酔いが回った僕たち(髭の男とバーテンダーと僕)がそのときに話したことはあまり覚えていないが、どうにか思い出せる限りのこと。バーテンダーはモデルと兼業で、今年34才(とてもそうは見えない)で、今年の春、結婚したばかりだと言った。それを聞いて男が取り乱した姿を僕はよく覚えている。ワインのグラスをこぼして、急に何も喋らなくなって(そのうえ涙目にすらなっていた。そのときから僕はこの男に好意を持ちはじめた。)、なんとも言えない雰囲気になって、おかげで僕は30分近く株式投資の収益性と株価の相関についてひたすら語ることになり、それはこの髭の男の興味を呼び起こした。金持ちで恐ろしく傲慢で、大手のレコード会社の社主、このバーが入っている階 (最上階)の一つしたの階に住んでいて、このパーティーを主催した、年はバーテンダーと同い年で(彼女とは反対に老けていた。)男はフルカワという名前だった。

不完全な

2008年8月29日 日常
欠けている部分が多いほど、非の打ちようがない完成されたものに憧れるんだと思う。

憧れるっていうのは、そこから遠く感じるほど強く必要になるものだから。
夜中の2時に探している物が見つからない。自分が長い間ガラクタ集めばかりしていたんじゃないかと愕然とする。これは天啓に近いと思ったが、よくよく考えてみれば、誰だって同じだ。パルコの地下のレコード屋は移転した。それから僕はその店に行っていない。午前3時にいったい何を手に入れてきたのかを通して自分と向き合うことは疲れる。ひどく疲れる。もし本当に何かを手に入れたいと望むとき、冷静になる必要があって、冷静になるためには、その対象の価値を見据える必要があるけれど、冷静に捉えた対象に価値を感じるんだろうか。夕方に近づいて、僕たちは立ち上がって、ユキを起こして、海岸をあとにした。駅までの道のりを歩きながらのどかは僕にたずねた。「ヒットラーおじさんってどういう話なの?」「ヒットラーのそっくりのおじさんが近所に越してきて、近所の人をファシストに変えてく話。オチの無い話だったな。」「ふーん。」ユキは僕の背中でおぶわれて眠っている。電車に乗ると、のどかは僕の肩に頭をのせて、どこでもない中空を眺めていた。やがて彼女が眠ると、代わりのようにユキの目が醒めた。「こんにちは。」とユキは僕に挨拶をした。割と礼儀を重んじるタイプなのだ。「こんにちは。」と僕が彼女に言うと、大きな目を細めて僕の顔を覗いた。その目に無限の好奇心を隠していた。「お腹すいた。」僕は自分のポケットの中から食べかけで溶けかけの板チョコレートを取り出して彼女の小さな(やがて無限に大きくなるであろう)手に載せた。それをむしゃむしゃと頬張っている彼女は、前に会ったときよりずっと実年齢に近く見えた。そのチョコレートを僕に"食べる?"といった風に僕に差し出したけれど僕は首を降って断るとまた夢中になってかじり始めた。口の横に付いているチョコレートを指で取ろうとすると、彼女は一瞬身体を緊張させて、そして嬉しそうな顔で笑った。夕暮れの太陽が沈むように落ちていく様を眺めていると、ユキはチョコレートの付いた手で、膝の上に置いた小指を握った。17才か18才の頃、夕方のこの時間に理由もなく涙が出たことを思い出した。悲しいという気持ちは無かったが不思議と涙を流していた。いつからか、その症状は消えた。人の行動とか習慣が無意識に移るのは好意にどれくらい影響されるんだろう。そういうわけで僕は小説を書きはじめ、夜の2時過ぎの酒を飲むようになった。本当のことをいえば、僕に必要だったのは、夢の実現じゃなくて、夢そのものだった。やけに綺麗な格好をしたムラハシが駅の前で僕を待っていた。その姿がやたらと頼りなく見えた。まわりから姿が見えてしまっているかどうかを気にする透明人間のように思えた。六本木に9時に付くと、目についた飲み屋に入って気付けのためにいつものようにビールを飲みはじめた。「どんなイベント?」と僕が訊くと、「え?」と僕に聞き返した。「緊張し過ぎだよ。」とムラハシに言うと「そうかな?」と言って異常なペースでグラスに残った半分のビールを一気に飲み干した。「ちゃんとした格好してこいって言っただろ。どんなイベントなんだよ?」「成金が住むビルの上のほうでやるイベント。バーを貸し切ってやるパーティーなんだって。」「金持ちが来るのかい?」「さぁ。でも金を持っているように見えるやつは来るだろうな。」「くそったれ。」ムラハシはぼんやりした顔で頷いた。
大きなビルの上品なエレベータ。いや、下品なビルの小さなエレベータ。と言うべきだろうか。それに乗って二人して一種の加速装置のような箱に乗り合わせると、緊張まで加速するように思えた。エレベータに乗っている最中僕はムラハシに告白した。「このビルの住人になりたい、って俺が言ったら軽蔑する?」ムラハシは答えなかった。聞いていなかったのかもしれない。扉が開くと、僕達が(いや、僕が)予想していたよりずっと友好的な雰囲気のある場所だった。全身ブランドの服で固めた女もいなかったし、眩しくて秒針が確認できないような腕輪を付けた人もいなかったし、金歯を詰めた男もいなかったし、明らかに高級売春婦と見える女の子を連れた腹の出た男もいなかったし、身振り手振りの激しい必要以上に声の大きい人もいなかった。
入り口では訓練された犬のような物腰の男が招待券を受け取って、粛々とその物腰で人を通していた。二枚の招待券は何か珍しい紙を使っていたようだった。バーカウンター、ソファー、テーブル、床、客、そのどれもが、それぞれ調和していたせいで、僕達がそこで場違いにならないように、できる限りの丁寧に身を潜めようとしたが、ソファに座った途端隣りの女性にムラハシは声をかけられたが、吃りもせず平然と答えたので違うように思えた。どの人もお互いの端だけが触れるようにして会話する人達を眺めていた。ずいぶん長い間求めていた、そしていまも求めている空間や人々が目の前にあって、それに触れることだってできたのに、本当のことのように思えなくてそれが可笑しかった。バーカウンターの向かいに立つバーテンダーの女の子に目が止まった。短い黒髪と高い背と広い肩幅、時間が止まりそうな冷たい目元をしていた。5秒間目が合って向こうが目を逸らしたの確認してから、ムラハシに酒を取ってくると言って席を立った。人を何人もくぐり抜けて、カウンターに手をかけて経過の手触りを楽しんだ。「どんなお酒があるの?」と訊くと「なんでも。」「メニューが無い。」「今日はタダなの。」僕は弁解したくなった。こういう場所に来てお酒を飲むのは初めてなんだ、とか、とにかく。「ビール二つ。いや、ジントニックとディタオレンジ。」彼女の細い指や首、顎の線なんかを眺めていた。「いつもここで働いているの?」と彼女にきくとかなり控えめな態度で「ええ。」と、だけ答えた。けれど、彼女のような態度をする女の子はみんな脆い。強い人間は強いフリをしない。タフに見せようとするのは、そうではない証拠だった。

あれの件 2

2008年8月28日 日常
2です。
どうぞ

孤独な夜は

2008年8月28日 日常
孤独と夜というありきたりな双子にはさまれた夜は、誰かの声をききたくなる。

砂浜に描いた絵が消えてしまって悲しいというのに似ている。

特に理由は無いんだけど、宇多田ヒカルの日記をかなり昔までさかのぼって読んだり曲聴いたりしてる。
あれの件について色々

そういや、俺の小説の幼い女の子とちゅーちゅーしちゃうシーンについて今さら自分で考えてたけど、『夜はやさし』だと(ここからネタバレね)ヒロインと父親がファックしてヒロイン病む。どうなんだろう。実際にそういう家族間の性行為って沢山あると思う。あくまで根拠のない考えだけど。

ある人の小説の感想を借りるなら、小説で描く対象が狂っているというより小説自体が狂っている、っていうのは受け入れ難いんだろうか。リアルに近づかないや。
(極限的な)

落ち込んでる

2008年8月26日 日常
落ち込んでる
落ち込みまくってmegaroticで3Dアニメーションのポルノを見ている。
いま読んでいる『夜はやさし』を読み終えたら、
つぎはコレット、もしくはプルーストを読もうと思っている。
なんでかっていうと、カポーティがその二人を『叶えられた祈り』のなかで賛意を表してて、ひさしぶり遡って作品を掘り下げてる。
それか、ヴァージニア・ウルフかな。

そういや『夜はやさし』の翻訳は諦めた。
たぶん翻訳一冊仕上げる前に小説一冊書き上がるし、それぞれ一冊だったら小説のほうが重要だから。

2008-08-25

2008年8月25日 日常
自分で書いた文章が他人が書いた文章のように思えることがある。

あとで編集しまくるから別にいいんだけど。
僕がこの男について考えるときに、なぜか関係なく思えるけれど、いつも連想させられることについて書きたい。
自分の自我、不自由から解放されて自由になりたいと思うときに、感じるほど、自分が自分のためのものではない、という意識だ。
僕は宗教を信じていない。戒律を信じていない。けれど、神を信じている。矛盾してるように見えるだろうか。信仰とは無縁だが、同時に祈りについて信じている。祈るとき、使命なんて生易しいものではなく、僕は生まれたときから自由であろうとしていたことを思い出す。
たしか3才のころ、保育園の運動会で、よーいどんで周りの連中が一斉に同じ方向に走っていったとき、僕はただひとり地面の砂に絵を描いていたという。これは母親が言っていたことだ。その絵は彼女には何の絵か判別がつかなかったそうだ。

**************この男(仮にMとする)がが初めて恋した女の子については散々聞かされたので、僕は今で女の子が実際に会ったように錯覚してしまうほど、身近に感じられる。彼女は横浜駅の近くのビルにある靴屋の店員で、彼が12才の時に恋したというその人は既婚者で(左手薬指に指輪をはめていた)、
それで彼女との何も起こらない関係について聞かされたとき、僕はMの臆病さに少しだけ嫌気がさしていた。それと同時に、彼が彼を好くその髪の長い女の子に対する見当違いでありつつも、ほかの人には到底できないような配慮や優しさに感動した。僕はその瞬間にMの失恋が決定したのことが分かっていた。Mはそのことに未だに気付いていないだろうけれど、そういった種類の優しさをとても大切に思えた。いつも僕をうんざりさせたのは、我が物顔で邪魔な物を押しのけて恥知らずに周り人を壊してそれに気付かない鈍い人達だった。僕はずっと前にそういうナイーブなやり方に見切りをつけたし、ほとんどの人達は、そういった異常とも言えるくらいの他人への共感や繊細な心遣いや公平さに対する姿勢というものの存在にすら気付かなかったし、そういったことが僕の他者への軽蔑に直結していることも分かっていた。ただ、彼は最後の最後までその姿勢を捨てはしないだろうということが僕には分かった。僕が見切りをつけたものを彼は大切にしていた。
いつか、僕とMがひどく酔ったときに、モラルに関する話をしたとき、利己か利他かどちらかしか選べないとき、どちらを選ぶか、という話になったとき、彼は真っ直ぐに僕の目を射抜いて「そんなこと訊かなくなっていいだろ。君がどういう風に言うかなんて僕には分かってる。」

窓の外では大量仕入の中学生向けの洋服屋のネオンと、全国チェーンの飲み屋の看板、あと、美容院、古びた靴屋が見える。僕が小説を書き始めた理由は、僕の話を聞いてみたいと言った人がいたからだ。その人はもう見えなくなってしまった。実をいえば、そうなってしまっては僕に物語を語らせる動機は何も無くなってしまった。それだけが僕を動かしていたものだった。あなたが何かを伝えようとするとき、それに耳をすませる人がいなければ、真夜中に真っ暗な部屋でする独白になってしまう。恐ろしいことでもあるけれど、それはぼくにとって真実だ。もしかしたら、僕もほかの小説家がするように娯楽を提供し、そしてその対価としての金銭を稼ぐことを目指すべきなのかもしれない。いずれにしろ、いつか僕は僕を強く必要とする人がいないと理由から何も唱えなくなってしまうように思える。何人かの多くの人に囲まれながらも、孤独でいる人達を知っている。僕には感じ取ることができる。彼らが抱える、彼らが物語ることでもしかしたら解消することのできた、わだかまりや、孤独や、言葉を吐き出すことができないまま閉塞のままいることも。知らないわけではない。それどころか、僕はそれに触れることさえできそうになることだってある。"シロ"がしたような、人生に打ちのめされただけの男の話や、それ以外に僕が浴びるように眺めて、そして通り過ぎた人達が物語ることができなかった彼らの物語を僕が代わりに話、そして彼らを解放することだってもしかしたら僕にはできるかもしれない。僕の母親は人の話をしていると、それに対して必ず否定的でネガティブなコメントをする人だ。そしてそのうえ話をしている途中で遮るようにして、だ。彼女のことを軽蔑すればいいのか、憐れむべきか、ともかく、僕は様々な話をすること試み、そして、やめて、やがて諦めることになった。(うんざりするような人間は沢山いるし、彼らがうんざりするような人間になった根拠になるような育ち方や、それを形作る理由の過去もあったんだろう。ともかく、それについてはここでは書かない)多くのことを喋らないまま、沢山のことを抱えて生活することは、容易に慣れてしまえるぶん厄介で、頭の内側で渦巻く思考や感想を重荷として背負っているのは、いつかあなたをそこに埋めて動かないようにしてしまう。ただ、僕が切実に必要としていたのは、話を聞いてくれる寛大な母親なのかもしれない。それとも、共通の趣味を持った親しい仲間だったのか。シンプルな実例がある。精神障害を負った少女はとても上手にピアノを弾いた。彼女はどんな曲でも一度聴くと、つぎの瞬間には全く同じようにそれを弾けた。彼女はある日を境にピアノを一度も弾かなくなった。介助人の女性が交通事故で死んだ日からだ。表現すること自体は僕にとって何の意味もないことだ。僕がどれほど上手に象徴を操ることがあったとしても僕はそれを自慢に思えたことなんてない。ただ僕はそこにいた。そこはひどく暗くて寒くて空気が薄い。そういった場所には長くいることはできない。誰にもできない。誰も彼も自分の悩みや葛藤やトラウマ(この単語を持ち出す度に大げさだと思うがそれに代わる言葉が見当たらない)を誰もが抱えていて、それに付きっきりになって、誰も自分以外の誰かも同じようにそういったものに足を引っ張られていることにすら気付かない。もし、あなたが仮に1日だけそういった種類の大げさなトラウマから解放されたと同時に、他人の足にまとわりつくそれらを見透かす洞察を得ることができたら、と僕はときどき考える。
「たとえばこういうことだよ。」と僕はのどかに向かってはっきり言った。「僕は恋をする。パルコの地下のレコー屋の店員の女の子にね。恋をした理由は彼女が僕に対して大きな、そしてすこし離れた両目を濡らして僕を見つめたからで、それだけで僕には十分だった。むかしから、他人の気持ちを自分に伝染させるのが得意で、とにかくそれが綺麗な女の子だったらなおさら。僕が彼女に会えたのは二度だけだった。それから彼女には会えなくなった。何度か(7回目くらいだったと思う)のとき、僕は思い切ってメガネをかけた男の店員に彼女のことを尋ねてみたんだ。ロシュフォールの恋人たちのサウンドトラックを聴いて、自然を装って(もちろん全然自然ではなかったけど)、『このくらいの背の女の子、最近見ませんね。』って。そうしたらメガネは僕に『ああ、あの子はときどきしか来ないんだ。』って。僕はその帰り、どうしていつもこうなっちゃうんだろうな、って思いながら帰りながら、二度目に彼女に会ったとき、店先で後ろを少し向いたとき彼女の手の中に携帯電話を握りしめていたことを思い出した。僕はいつもどうしようもなく鈍くなるし、タイミングをうまく掴むことがまったくできない。そのことで何度も何度も何度も損をしたし、それで彼女との恋を失ったんだ。」僕は息をゆっくり吐き出して続けた。「とにかく、もう過ぎたことだけれどね。考えたって仕方がない。」
横浜みなとみらい、横浜美術館の近くのスターバックスでこの文章を書いている。8月の下旬の秋が差し迫った頃に降る雨で、外は少し寒い。さっき僕は『夜と霧』を読み終えた。内容は、第二次戦争下のドイツの強制収容所での体験を、心理学の医師がその体験の記述と分析をするというものだった。その本のなかで彼は極限状態においての考えの持ち方で非収容者の健康状態が変わることについて言及していた。一つの例では夢のなかである日自分が解放される日を告げられた男が、実際にその期日になっても解放されなかった。そうすると、病気にかかりすぐに死んでしまった。もう一つの例は、クリスマスの頃には戦争が終わるという噂が広がっていた病棟で、年が明けても戦争が終わらなかったために、その病棟では大量の死者を出した、というものだった。生きることに対して期待をする者と、生きることから期待される者との違い、について書かれた文章では、前者は目標を持たず、現在の悲惨な状態が続き、そしてそれがいつ終わるか分からない状態で、自暴自棄になりやすい、そして後者は、生きることから期待される(例えば、帰りを待つ家族がいる、やり残した仕事。)そういったことを持っていて、将来に対する目標を持つということで、苦痛や現状へ立ち向かう、と、書かれていた。もう一点、慣れてしまう、ということについてだった。多くの暴力、絶え間ない空腹、睡眠不足に置かれると、人間は感じることをやめてしまう、ということだった。死人にも殴られることにあざけられることにも、パン一切れで重労働に就くことにも、寒さに凍えながら狭苦しいベッドを仲間達と分け合うこと。いま自分が置かれた状態をもう一度眺めたい。いま、何か、未来に対する希望を持っているのか?ノー。自暴自棄になっているか?イエス。「人生に何か期待できるか?」ともかくこうやって僕は文章を書いている。僕は他人や人生への期待を無くしてしまった。人生から僕への期待について考えていた。僕は僕を必要とする何かを必要としている。そうだろうか?
「他人に対する失望?」とのどかに僕に問いただした。「そう。」僕は彼女と彼女の娘を連れて海に来ていた。日が照りつける砂浜で僕たちは座ってビールを飲んでいた。ユキはあぐらをかいた両足の上で優美な猫のように眠いっていた。僕はビールを飲み干して新しい缶を開けて一口飲んでから眠たげに言った。「ほら、僕がいつだか書いた友人の失恋の話。本屋で恋していた女の子が男にケツ撫でられてたっていう。」僕は遠くで浮かぶウィンドサーファーの陰に目を凝らしてた。「なんていうんだったかしら。えーと、ゲシュタルト崩壊。凄い語感よね。ゲシュタルト崩壊。」僕は影が一つ強い風をうまくいなすことができなくて倒れた。「何それ?」「その人が信じて、その人の性格とか生き方を支えていた世界観とか価値観が崩れてしまうことよ。」「うーむ。」と言って僕はビールを飲んで、ゲシュタルトという人物を考えていた。人物の名前かどうかは知らなかったけれど。僕の考えではその男はドイツ人で、いかめしい顔をして、些細な習慣を狂信的に毎日繰り返す人物だった。「それで?」と彼女が僕に続きを促すとすこし考えて(僕は酒を飲むと思考が輪を走るネズミのように高速で動く)「そいつが、それまでに大切にしていた他人のロマンチックな成り立ち、いや、はっきり言って現実離れした妄想だと思うけどね。とにかく、好きになった人たちが美しくて勇敢で強い人間であってほしいと思ってた。でも、現実はそいつとそいつのような人にあつらえて作られたわけじゃなくて、もっと醜悪で混乱したものなんだ。」ユキの頭を撫でると、ユキは彼女の大きくはないけれどひどく上品な胸に頬を擦り付けて、心地よさそうな声色で唸った。「ねぇ、私はいつも思うんだけど、そういった現実を見据えることができない、そういった人って私好きよ。いつも傷ついている人達。」とのどかは言って500mlのビール缶を空けた。「僕はいつも思うんですけど、もし誰かが良い人、とにかく他の人達よりずっと大きくなりたいって思うなら、その人はその人と同じように良くなろうとしない人達とはできる限り関わらないようにするべきだと思うんです。そういったやり方を後ろ指さす連中もいるかもしれないけど、でも僕は知ってるんです。本当にうんざりするようなことがどういうことか分かるんです。僕が言いたいのは、ドアをノックするまえに、その中にいる人がドアを開くような人間かどうかを考えなきゃいけないっていうことです。もしその中にいる人間がドアを開く勇気が無いように見えるなら、さっさと次のドアに行くべきだってことなんです。」僕は頭をかいた。「僕は昔、ノックの音が聞こえるたびに部屋の電気を暗くして隅で膝を抱えて震えてた。だから僕にはそれがどういうことか分かる。それでも、もし向こうの人間がいることも、なんで怯えているのか痛いほど分かっていても、それを過ぎ去らなきゃいけないと思うようになったんです。」僕は日差しがこれ以上ないほど、穏やかに自分を包むのに気持ちを任せた。ふと、いつだかセックスした女の子とその日の朝、渋谷のVironというフランスパン屋の二階で朝食を食べながら、茶目っ気のある目で僕をみて「いっつも一人で行っちゃうんだから。」と言ったことを思い出した。その時僕は彼女になんて言ったんだっけ。「その友達、なんていう名前だったかしら?」とのどかは言った。僕はTシャツに砂がつくのもためらわずに寝そべりながら言った「ゲシュタルト。」太陽が目にしみる。太陽が溶けてこぼれ落ちてきて、それを舐めることができればいいのにと思う。それを舐めると、幸福な気持ちで全身が満たされて永遠の眠りにつくのだ。「ゲシュタルト・ムラハシ。」と彼女の背中に向かって言った。彼女は笑わなかった。「そのムラハシ君のこと教えてよ。」「マンガを沢山読む。あと沢山寝る。好きな作家は藤子A不二夫の『ヒットラーおじさん』。読んだことありますか?」「無い。」と言った。それが、ナイン、というドイツ語の平凡な単語にも聞こえた。「その彼ってやっぱりその日からずっと崩壊しちゃったままなのかしら?」僕はしばらく考えて(もしくは何も考えていなかった)、それから「もしあれが、ああいった出来事を崩壊だっていうなら、世の中のほとんどの人達は建設すらされていないことになると思う。」
働こうかな

サガン漬け

2008年8月22日 読書
サガン漬け
サガンは読んでるうちに、5冊目くらいで、サガン的執着やサガン的見栄やサガン的みじめさやサガン的女の意地とか、そういうサガン的味わいに食傷して、8冊すべて図書館に返した。

ところで、モンキービジネス読んでて思ったけど、岸本佐知子は面白い。でも、岸本佐知子の文章(翻訳ではなく)ばっかり読みまくってたらやっぱり飽き飽きするんだろうか。

「○○は優れてる!」なんて声高に言うときは、それを言う人も聞く人も、その発言に好みが織り込まれてることを意識する必要がある。

読書期

2008年8月21日 読書
カポーティ『叶えられた祈り』
アーヴィング『ホテル・ニューハンプシャー』
読了

ちなみにサガンの8冊の小説は草を食むようにゆっくりと読んでいます。もう半分くらい読んだかな。

物語への最良の書評は対話するような別の物語を書き上げることだと思う。
*******************これは小説や物語の基本的なやり方だ(と思う。)。まずできる限り読み手からかけ離れた背景やプロフィールではなくて、飲みくだしやすいように人物を作る。他人に関しては魅力的でありながら、主人公に好意的な人物と、読み手が現実で自分を攻撃したり虐げたり妬みを感じるような人物を悪人として描く。そうすると読む人間は段々と自分と主人公へ"乗り込む"ように馴染んでいく。あくまでも読む人が自分の罪を意識させたり加害者と感じるような描写や、実際にそうであっても、あくまでそれを客観視させないようにする。失敗や挫折を乗り越えて最後は読む人間を安心させるようにする。僕はいつも思うんだけど、もし作者が本当に誠実で公平な人であれば、そういったことが嫌になってしまうんじゃないかと思った。性善や性悪やそういったことではなくて、もし現実を曇り無く書いたら現実離れしてしまうようにいつも思える。ただ、もしかしたら、僕が求める物語というものは、そういうものかもしれない。よくいる人間が平然とやってのける奇妙(そしてそれはほとんどの人間が正常だと判断する)な行為や出来事。そもそも小説の中で書こうとしていたのは認識する現実と事実としての現実の差異で、その差異を展開して読み手(そして僕自身)に突きつける(啓蒙ではない。突きつけるだけだ。モラルもジャッジもなし。)というのが僕の望みだった。けれど、その動機から僕自身が離れてしまったように思えた。その差異に醜さや違和感を感じなくなってきてしまったように思えた。困難に満ちた恋愛について伝えようとしても、恋が醒めてしまえば伝えたいと思えるものではなくなる。起きた出来事が変わらないとしても。達観や許しや諦めか、とにかく。オーケー。僕は嘘をついた。本当は僕はただ単に物語を書くこと、書き続けることに興味を無くしているからだ。またそのうち戻ってくるだろうと思う。興味を無くした原因は色々ある。単調な動きを延々と繰り替えすことはある一定のラインを超える必要がある。水泳で平泳ぎを3時間ぶっ通しで泳ぐことはできる。それは最初の30分を超えたあたりからだと思う。5分しか泳いでいない人にとって1時間泳ぐことと、1時間泳いでからの1時間泳ぐことはまったく別物で、つまり、"慣れ"というものはそういうものだ。試しに3時間くらいムリヤリ物書きし続けたら10時間くらいぶっ通しで書けるんじゃないかと思っている。本当に。慣性が退屈を追い越すとき。そしてもう一つが、僕が飽きやすい人間だからだと思う。僕の行動を端から見てればそれはきっと出鱈目に動き回る蠅のように見えるだろうと思う。僕もそう思う。僕は風向きひとつで動きを変える蠅である。そう、多くの人と同じように。イタリア人のマラソンランナーは団体で走る連中が多い。それは団体行動が好きだからではなくて、走りながら話す連中が必要だからだ。これは持論で、なおかつ経験則でもある。共同で何かを作り上げたり、共感があるとき、作り上げようとする欲求は、頭のなかのどこかの神経と協調して、跳ね回る。慣性が作用するようにすること、協調すること。誰かに対する憧れがないとは言えない。それが前より少なくなったように思える。これが興味と同じように生理と同じように周期的(もしくは環境によって)に減退するものなのかは分からない。地位と名声(手あかにまみれた常套句だ。)。これを餌にして走り続けることは難しい。いままで何かを餌にして行動を続けられたことはない。未来にたいする想像力がかけているのか、刹那的なのか、その両方なのか。けれど、それでも、僕は有名で優れた人達の仲間でありたいと思う。(僕は率直すぎるだろうか。)これは自分が有名で優れた人になりたい、と宣言することと同じことだ。いつからかは分からないし、もしくは最初の最初からそうだったのかもしれないけれど、僕は自分が他の人より色々な面(全てとは言わない)で優位で当然だとみなすようになった。現在の自分は、そうであっての当然の姿、そこから割り引かれた状態なのだ、と。めちゃくちゃだけど。僕は未来に生きている。小説や何かしらの作品にとっては、それら自体がそれらの全てだ。けれど、僕にとっては作品が全てではない。作れば瞬時に後方に遠のいていく景色のように、本当に僕にとって大切なのは、こういう風に何かを作っている、いまこの時だけだ。*****************ここまで書いて僕はこの文章をどうやってムラハシにつなげていくのかを見失ってしまった。

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