やっぱり朝ジョギングしないと肌がガサガサになるし、どういう原理なんだこれ。

『第三の脳』で、ストレス性の物質を皮下注射したラットがアトピーになった、っていう実験結果があるけど、ストレスが原因だとして、対処の仕方はストレスを感じないようにするか、ストレス解消するか、なんだろうけど、たぶん、いちにち朝走らないだけで肌が元に戻るって、たぶん走ってストレスを解消してるんじゃなくて、ストレス汁みたいなのを汗として流してるだけっぽい。
汗が流れればいいだけなら、熱い風呂とかサウナでも問題ないのかな。どうなんだろう。
ユキが最近、朝アラームを20分毎にかけて、「夢うつつを繰り返せる。しかも違う夢で何度も!!」と言って、先に目が覚めてしまう僕は、彼女が起きたりまた眠ったりする様子を眺めている。

りんごジュース・トースト・サラダ、彼女と向きあって朝食。彼女はしゃべり続ける。よく喋るし、僕は彼女の森の二人の木こりが大木を二人挽きのノコギリで歌うような調子のお喋りを聴くのが好きだ。
「カポーティは『お山の大将』のなかでマーロン・ブランドを描いているんだけど、そうそう、ブランドが『欲望という名の電車』で身につけていたT字の肌着が流行って、それで世間に浸透してTシャツになったの。元々Tシャツは肌着だったわけ。で、そのエッセイのなかで私が気に入ったのは、俗にスターって言われる人達が大衆を惹きつけるしかけで、ひとつはミステリアスであること。もうひとつはエキセントリックであること。その二つをブランドは意識的に振る舞っていたわけじゃなくて、結果的にそうであっただけ。それでその二つ、というかブランドのそういった点を真似た俳優が同じように人気を出したことがあって、でも、そういうのって馬鹿げてない?泉の美しさは、それがただ光を反射する大きな水たまりだからってわけじゃないでしょ。それと他に気に入ったところは、カポーティが、その観察記録を描いたやり方。そもそもカポーティは、ブランドと知り合いだったんだけど、特別仲が良いってわけじゃなくて、カポーティはブランドが出演する日本映画の京都に出向いて、ホテルでプライベートな会話を始める。酒がすすんで、カポーティは自分の今までの人生や、内面的な、デリケートな話、心理学でいうところの自己開示をするの。で、何が起こるかっていうと、ブランドも同じように自分の人生や葛藤や半生や、とにかく心の奥深い部分を打ち明け始める。そして、ブランドのエッセイが完成したとき、そこに残っているのはブランドの長い独白だけ。もちろんブランドをそれを読んだ時、激怒するわけだけど、カポーティはむしろそれが当然だっていうみたいな態度。それで、私は思ったんだけど、そういう風に彼、カポーティが、小説家としてベストであろうとすることは、彼にとっての表の動機、彼自身が思っている彼の動機、周りからは反感を買ってでも良い物を書こうとする姿勢が理由としてそうしていると思ってると思うの。周りもそういう理由でそういう他人の内面の暴露をしていると思ってるんだろうけど、でも私の見方は違うの。」
彼女は食パンを1/4にちぎってイチゴジャムを乗せながら言う。
「それはカポーティにとって、甘える行為だと思うの。しかも破滅的な。相手が怒ることは最初からカポーティにも分かりきっていて、それでも、彼は彼が彼らしく振る舞うことを許してほしいと思ってる。最初からそれが許されないことだって分かっていながらそれを求めたの。そういうのって破滅的だし、」
彼女はパンを頬張って、リンゴジュースで流しこんで続ける。
「そういうのって破滅的だけど、でも、私はそういうのが凄く可愛いと思えるの。」
何もかもが同じ方向に同じ速度で動くとき、止まっているように見えるだろうか。もしくは片方がより速く、もしくは遅く、それとも止まっていれば、何もかもの速度を見つけることができるだろうか。
すでに高い場所にありながら上昇するAに手を伸ばそうとするとき、同じ速度でBが上昇するなら、それには届かない。
Aが遅くなるか、もしくは、Bが速く上昇しないとといけない。
それとも、上昇は幻覚だろうか。何もかも、味気ない事実の羅列にたいする、感情を通した錯覚の連続なんだろうか。

どこでもポア

2010年3月9日 日常
読書も作文も若干飽きてきたので、曲でも作ろうと思って作ってます。

肌ボロボロかゆいかゆい病なので、朝ジョギングすると、代謝されるのが理由なのか、その日は肌がリフレッシュされて痒くないし、バリバリにならないので、そういうやむを得ず的理由で朝走ってます。けれど、雨降ったり、友達が家に遊びに来たりで、なかなか走れないですね。
(対応策が三日三晩女性とやりまくる以外に見つかってよかった)

小説も佳境のはずなんですけど、何も考えずに作ってきたんで、整合性をとりつつ、謎を解消するクライマックスを考えるのにかれこれ2ヶ月くらいかかってます。いや、あとで書き直すから、無理やり書いちゃえばいいんだけど、整合性なんて考えないで済むような内容で書いておけばよかった。

曲は、歌える曲、っていうのを最初の目標にしようかな、と。

つか、早いとここ、物書いて飯食ったり、音楽でもいいけど、何か特技で、遊ぶみたいに暮らしたい。
HMDをかぶってユキは息をひそめる。試験中の第4世代のTRはキーボードやグローブの入力装置のない仕組みになっていて、彼女の意識がテストモードなし、いきなりログインされた。風が吹きすさぶ音だけが耳元を突き抜けて、重力に引き寄せられて地上を見下ろす。
数千のガラスのコップを一斉に地面に叩きつけた音がして、ログインしようとした二人は振り返るとゲームセンターの空の光を際限なく取り入れるはずのガラスの天井が、ぶちまけられて、辺りはパニックになっている。さっきまで楽しそうに話をしていた7才くらいの二人の男の子は真っ赤なハリネズミみたいに、背中や頭を大小のガラスが突き刺さって、一人はうつ伏せに倒れたまま、もうひとりは泣きわめいていた。「早く!」と彼女は叫ぶ。慌ててHMDをはめ直して、僕は気持ちを落ち着けようとするが、一瞬の映像が頭から離れない。これは現実か?
ユキはすぐに違和感に気づいた。これが本当に仮想現実なんだろうか。現実感。血まみれの子ども、割れたガラスの破片、場違いのように娯楽施設の沈黙を埋めようとする館内放送のBGM。
0時回って帰ろうとして、電車のホームで電光掲示板に映った時刻を眺めると、僕の家まで間に合わなくて「間に合わない」って獣医に伝えたら「うちくれば?」って、これが女の子だったらあれだろ、って獣医の一人暮らしの家に行くの初めてだし「お言葉に甘えて」ってことで、電車のなかは週末の下り電車にふさわしい散らかっているけど賑やかな雰囲気で、席が空いて二人で座った。
座ると男女男の順で座った向いに座った人達と男二人が女に頭を持たれていて、犬の乳を並んで吸う生まれたての子犬みたいで可愛かった。可愛かったけど、3人の雰囲気、雰囲気というより、洋服の雰囲気、人間性とか生活っぽさの似た雰囲気が違っていて、その違和感を「どういう関係だと思う?」と獣医に伝えた。「同じ大学とか?」「高校が同じで仲よくてって感じじゃないかな。左のお洒落なほうが真ん中の女の子と付き合ってるっぽい。」「右のやつの足の組み方かっこいい」とか話をしていた。それとは別に、右斜め前の優先席の手すりに寄っかかっている立って寝ている女も凄かった。手すりに寄っかかって寝てるんだけど、酔っぱらってるっぽくて、10秒に1回くらいの頻度で、がくっっと倒れかけるんだけど、そのたびに姿勢を正すんだけど、でも立ち寝を継続。倒れかけても起きない。足元のナイロン製の袋からスポーツ新聞の束とか、見た目や行動からその人の人となりや生活を推測しようとしたけど、全く見当がつかなかった。最終電車でスポーツ新聞の束を持ち歩く20代半ばの、けれど身なりは割と清潔なんだけど酔っ払って手すりに持たれて立ち寝できる女の正体なんて分かるはずない。ささやかで驚異的なバランス感覚はともかく、男女男の順列に目を戻して「左のやつは真ん中の女と付き合ってるんだけど、右のやつはそれを知らない。で、今日は久しぶりに右のやつを交えて飲んだりしてたんだけど、もちろん、こういうとき右のやつも真ん中のやつを好きなわけ。で、実は真ん中は右のやつのことが好き。っていう設定(背徳感!!!)。真ん中のが左のにわけわからん理由をでっち上げて左にやつに付き合ってることを言わせないようにした。」と僕は即席のストーリー(完璧に推測なしの妄想ベース)を獣医に言った。「実は3人とも他人だったら?」と獣医は言って「だったら面白い」と僕は応えた。
電車が止まって、バランス女が、ホームから乗り込んできた女性に優先席を勧められていて(僕達が乗り込んだタイミングですでに優先席は空いていたけど、バランス女は寝ていたから気付かなかったのだ。)、僕はそれを眺めていた。で、乗り込んできた女も座ったたとしても、バランス女の分の空席はあるのに「あ、大丈夫ですぅ。」って断ってて、なんで断るの!?ってなって面白かった。で、そのあとも引き続き手すりに持たれて寝始めた。すると、獣医が「あいつら他人だった」と振り返ると、男女男が男空男になってて、女がいなくなってた。「あれ?女の子は帰ったの?」「みてた?」「みてない。」「駅ついて、女の子が起きて、うわぁ、って顔して両サイドみて急いで降りてった。」「まじで?」「まじで。」「まさかの。」
そんなこんなで獣医の家に行って、獣医の今や元が付いてしまった元彼女(僕は獣医に彼女ができたとき嬉しかった。こいつが幸せだと僕も幸せなのだ。彼女は大型の動物の獣医になりたいらしくて九州の大学院に行くことになって、方向性(物理的な)の違いで別れることになったらしい。とはいえ、元彼女に元が付く前にはすでに今彼がいたらしくて、今彼と同じ九州の大学院に行くらしい。備えあれば憂いなしってわけだ。僕はそこに女の狡猾さを見た気がする。)と最後の思い出の北京旅行の写真を見た。やたら寒そうだと思った。最近、近代中国史をWikipediaで眺めて学んでいた僕としては、こんなシケてる雰囲気の場所で沢山(千万単位)の人間が虐殺されたり虐殺したりってのは(しかも無能なやつが間違った思想の上で、間違った行動をさせたこととか原因で)、酷いことだと思った。久しぶりにテレビを見て(notテレビ番組)(僕の部屋にはテレビがない)、深夜のテレビ番組では芸人が、ダメな子どもが最後に「俺、やるよ。」って言うのに感動するって話をしていた。眠くなってたぶん3時頃に適当に寝た。
すこし前に行ったクラブイベントで「映画行って、アバター観て、凄くて、後ろを振り返ったらみんな同じ映像を観ていた。」という話をDJがしていて、なんか落ち込んだことがある。別にそれがなんだっていう話なんだけど。
思ったことを伝えられないこととか、思ったように行動できないこととか、それに似た欲求不満からくるフラストレーションがたくさん積もって倦怠に変わって、その倦怠が時間をかけて腐ると嫌悪になる。少なくとも僕の場合は。
どういうふうに女の子と接していくか、の話になったとき、まずAとBとCと僕、というのを獣医のカッコいいシマシマっぽいケースに保護されたiPhone(A)と、Sサイズのファンタ(B)と、アップルパイ(C)と、僕のボロボロになった財布(僕)として例えて、説明を始めた。
財布をiPhoneのほうに寄せて「まずAを好き好き言う。そうすると、びっくりしてAは逃げて行く。で、僕は離れる。」財布をiPhoneから離す。「次にBに好き好きいう」同じように財布をファンタにぶつける。ファンタがその内部で泡を発生させている。「そうすると、やっぱりBは逃げるよね。」それで財布をファンタから離す。「あと、ちゃんと、好き好き言って断られた時は傷ついたようなフリをする。軽い気持ちで口説いたわけじゃないんだ、っていうアピール。」僕は嘘をつく。傷ついているのはフリではない。ひとは自分自身にすら嘘をつくことができる。真意というものは、その本人のものですらないのだ。予想通り僕は「で、Cにアプローチする。」と言って、財布をアップルパイに近づける。「好き好き」と言って、「それでどうなるのかっていうと、Aは僕のことを良いな良いな、って思うようになるってわけ。時間差で。時間が気持ちを育てるといいますか。で、Aに再度アプローチ。捕獲。」折財布を開いて、iPhoneを挟む。「で、次にBを捕獲。」ファンタを挟む。「で、Cも捕獲。」財布がパンのアップルパイのハンバーガーみたいだ。
「Aだけでいいじゃん」と獣医は言ったけど、僕は不機嫌に「だって、AもBもCも、他に男いるし!」と宣言する。獣医は何か言いたげな顔をする。僕は、こんなことを好きでしてるんじゃない、というような顔をする。別に、相手にほかに男がいなくて、最初に好き好き言ったタイミングで反応してくれれば何も不満はない。
下巻未読。
専門用語多すぎ文章クドい。だけど、話に熱意(チャンドラー『むだのない殺しの美学』で書いていたように)があるし、ぐいぐい読み進めさせる力のある文章を書いてる。

略歴面白い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA
文章がうまいんだけど、娯楽としてはいまいち。
男女関係がだらだら続く小説ってあれなんだけど終わり方はけっこうよかった。

つか、表紙かっこいい。
『コトラーのマーケティング・マネジメント』を借りようとして、館内専用になってて代わりに借りたのがこれ。
『ローマ人の物語』でお世話になった塩野七生。

調査に時間かけないと分からないような細かい部分が文章に活きてるっていうのと、時間かけてもわからないところを想像で補ってて、その両輪で作られている。
明け方、YouTubeでBasement Jaxxの『Where’s your head at』(この映像はSquarepusherの『Come on My Selector』を思い出させた。SquarepusherのこのPVの女の子はユキのイメージにぴったりだ。もちろん見た目の話じゃない。見た目こそ想像の幅を効かせる必要がある。)のPVを眺めながら(特に意味なんてない。なんとなくそうしていただけだ。そのPVの前にはPlus-Tech Squeeze Boxの『early RISER』のPVを観ていた)、ユキとソファに寄り添って座っていると(彼女は『ティッピングポイント』という本を読んでいて、音楽が気にならないほど読書に没頭していた。)、ふと、ずいぶん前のことを思い出した。それは僕の23才の誕生日の少し前のことだった。僕は獣医の医大に通っていた友達と久しぶり(2年ぶりくらいかもしれない)に会うことになった。気の合う、心底から大事に思える友人はそれほど沢山見つかるものじゃない。お互いの家の中間地点にある駅、府中で待ち合わせた(どちらかの家の近くに行くことに違和感があってそう提案した)。何か食べに行こうということになって「あの女子高生のあとをつけていけばマックにたどり着く」と瞬発的に思いついてそのままを僕は遊び半分に(わざとその女子高生に聞こえる声の大きさで)言った。そこでその案を「馬鹿げてるし相手に迷惑になる」と分別のついたつまらないことを言わずに乗ってくるのが彼だった。獣医の卵のその友達(以下「獣医」(まだ獣医じゃないのに獣医と呼ぶのはおかしいと言うだろうけど、僕は整体師の息子のサラリーマンを「先生」と呼ぶ女の子を知っている。そういう類の名前感覚に近いかもしれない))と、女の子のあとをつけた。僕と獣医はクールなスパイみたいに、女の子から3メートルくらい離れて歩いていた。彼女は後ろを振り返らず、髪を撫でる仕草が僕たちを意識したものだと僕には思えた。彼女はいったい何を考えていたんだろう。その女子高生の私生活を二人で推測しながら(獣医は「父子家庭」じゃないかな、と言った。「家をマクドナルドにしたせいで離婚した」と僕は応えた)、駅構内を抜けていった。僕たちはもしかしたら府中から彼女の家までついていったかもしれない。僕たち二人を止めるものは何もなかったし、楽しんでいた。それでも一瞬、もしかしたら本当に彼女が自分の家までついてくると思い込んでいたら(それを怖がっていたら)、と思った瞬間に僕は獣医に「もっと近くのマックに行かない?早くなんか食べたい」と言った。いまでも本当にあのままついていったらと思うことはある。通報とかされたりしたら冗談にならない感じが笑える。
日本語の話せないひとのフリをして(これは僕が会社の連中に見た目がイラン人っぽいと言われていることに由来していた)英語っぽい発音で、府中駅前のマクドナル(ムァク(↓)ドゥオーネル(↑))注文をしようとした。舌打ちをするのに近い要領の、おっさんがよく喋り始めるときに出す、例のヌチャという音をまず発してから「Ah---・・・,トゥーヘンバァガァ?」と注文しようとして、途中で獣医に止められた。それはさすがに彼も恥ずかしかったみたいだし、ともかく店員の女の子が可愛かった。ヌチャというあれは外人はやるのかやらないのか(それはステレオタイプなのか否か)を討論しながら、僕たちはマクドナルドの二階に登っていった。店に入るまえに、店の看板と2階が見えるのに、店の入り口が見つからない、という状態だったので、「あのマクドナルドにはレジもキッチンも2階にあって階段とかエレベーターはなくて、あそこに行くには壁をよじ登らないと行けない。」と確信を持って獣医に説明したけど、ちゃんと1階があった。世界は広いんだし、もしかしたら、社会的に入店が難しいんじゃなくて、店に入る難易度が物理的に難しい飲食店もあるんじゃないかと思う。安く売ることの強みにしていた、リゾート地の金持ち向けの宝石店がまったく宝石が売れなくて、試しにまったく同じ宝石を何桁か高い値段(普通の宝石店よりさらに高い値段)で店に出したら飛ぶように売れた、という話みたいに、やたらと敷居を高くすれば客が錯覚するんじゃないかと思ったのだ。入り口のない飲食店とか流行るのは当然だと思う。
沢山のことを話して、僕が覚えているのは、女の子におしっこを飲ませた話くらいだった。女の子におしっこを飲ませた話以外で僕が覚えているのは、こういう話だ。
「会社のひとで好きなひとがいたんだけど、彼女が今日会社を辞めた。会社を辞めることになったのは今日知った。
凄く安心した気持ちが半分と、凄く残念で寂しい気持ちが半分。
最初、彼女にアプローチ(会社の飲み会の帰りにアドレスを聞いた。一次会が終わったあとで完璧に無視されて、二次会が終わったあとに「アドレスとかないもん」って断られた)(なんで会社の飲み会でいきなりアドレスを聞いたかっていうと、彼女が部署替えで翌月には別の部署でもうチャンスがないと思ったから。でも結局部署替えはなくて彼女はそれから六ヶ月ずっと同じ部署にいた。)して、拒絶されたのがトラウマになってずっと彼女にうまく話しかけることができなくて、けれど、彼女はそれからまもなく間違いなく僕のことを好きになって(女の子が自分のことを好きかどうかを感じ取ることは僕にとっては簡単なことだった)、ずっと僕と仲よくなりたかったんだと思う。それでも彼女にはほかに男がいて、そういうなかで僕は拒絶されたトラウマを引きずりながら前にも後ろにも身動きがとれないまま、距離が埋まらないまま、タイムアップ。」
という話だ。
それから、どう女の子に対していくか、の話になって、最終的に女の子におしっこを飲ませる飲ませないの話になったのだ。

よりよい

2010年2月27日 日常
あいつのここがイヤとか、これがしんどいとか、そんなことをずっと考えたり感じたりしながら生きるより、これが綺麗とか、あれが旨いとか、それが楽しいとか、そういうことを感じたり考えながら生活するほうがいいよなぁ。
別に、ネガティブなことを無視できるわけじゃないけど、それでも、まぁ別にどうでもいいや、くらいの態度でいれればいいんじゃないかと。
ユキが書いた『Modern Bohemian』という短編小説のなかでこういったくだりがある。
男は「僕が望むことはこういうことなんだ。」と喋り始める。
男と女は完全防音を施した10畳の千駄ヶ谷のマンションの一室で、何種類もの香を焚いて、真っ暗(香の赤い点だけが都会の星空のように照らす)な部屋で、自作した歪みきったギターの音やベースの音が入り交じったホワイトノイズの豪雨のなかで(むせるほど濃い匂いのなかで)、深海への素潜りみたいなセックスをしたあと、男は音楽を消して、部屋を換気して、あぐらを組んで女と向きあう。リラックスと興奮の境目の感覚で女に言う。女のアフリカンとフィリピン人とスウェーデン人と中国人のそれぞれの血が混ざった、野生の動物のような優雅さ、既製の審美眼では判断しえないこれを表現できないものかと思った。
「たとえば、社会に出るまでに人はあらゆる環境に影響されてなし崩し的に生活圏を作り上げて、多少の誤差はあっても、暗黙のうちに種族を作り上げて、そして、その種族で群れて生活することになる。そのなかで僕たちは、半径2メートルの範囲にいる人のなかで伴侶を選び、友人を選び、その2メートルのなかで完結する。マーケティングの本に書いてあったよ。たとえば、シリアル。シリアルのなかで細分化されていく。チョコ味のシリアル、低カロリーのシリアル。朝向けのシリアル。子供向けのシリアル。それに、チョコ味の低カロリーのシリアル。チョコ味の朝向けのシリアル。チョコ味の子供向けのシリアル。そんなふうにして、あらゆる商品はそれ以上細分化できないくらいターゲッティングがされている。僕たちだってシリアルと同じなんだ。細分化されていくうち、種族という檻のなかで飼い慣らされている。僕が僕だって言う意味も、君が君だっていう意味も、どこかで誰かが細分化して作り出したものの組み合わせかもしれない。僕はチョコ味の低カロリーのシリアルかもしれない。」
男はしばらく頬をさすりながら、斜め右下に視線を落として思考の糸を紡ぐ。
「文化圏をジャンプしたいんだ。」
「跳ぶの?」
「何者でもなくなることができるかもしれないんだ。どんなマーケティングもされていない新しい種族を創造したいと思ってる。創造だなんて大げさかもしれないけど、それでもまだ作られていない何者かになることができるかもしれない。」
「孤独かもね。」
「君がいれば平気だ。」
そして男は心のなかでそっと言葉にする。「会いたいひとがいる。跳ばなきゃ結ばれない。」

はっけん

2010年2月20日 日常
凄いものを発見してしまったが、凄過ぎて共有できない。
これは・・・。
つか、可愛い。

理性的に

2010年2月20日 日常
さまざまな人々がネガティブな暗いイメージと結びついていくなかで、ともかく、僕は前に進みたいんですが、イヤな人間とも付き合っていかなきゃいけないし、面倒だと思うことも、許せないような無神経さとかも許さないと、処理していくことができない。

嫌いだ。
嫌いだし、うんざりだ。
それでも、やっていかないといけない。傷つけられても、それを伝えようとしたって無駄で、費用や投資と同じように、いま自分自身の気持ちを犠牲にして、未来の自分に与える必要がある。
腹では泣いて顔は笑ってなきゃいけない。軽蔑を隠して「大切に思ってる」と言わなきゃいけない。それが上手くやっていく方法だし、そうすることを求められている。しょうがない。そうなってるんだ。そうするしかない。
ユキは「羊と狼はどうなるの?」と訊いた。「羊は狼と仲よくなって末永く暮らしました。っていうのは?」「話考えるの面倒になったんでしょ。」「そういうわけじゃないよ。ハッピーエンドにしたかったんだ。」「そう。」「そう。」
「やがて羊の吐息は聞こえなくなり、しばらくすると狼と呼ばれる生き物は食べれそうな部分をあらかた食べ切って、サナギが脱皮したように、抜け殻になった身体の内側をなくした羊を残して去っていった。3匹の狼のうち2匹が暗闇に溶け込むようにいなくなると、残りの狼が黒い羊を見つめた。じっと見つめて、黒い羊は足にくさびを打ち込まれたように動けなくなった。恐れからではない。月のことだ。いつもあの感情とすらいえない何かを呼び出す、その何かが二つの心を結びつけていた。それは、開拓者に「もっと遠くだ」と呼ぶあの声に似ている。そしていなくなった。黒い羊は、幾層にも重なる葉と草木をくぐると、夢中で、羊にわずかに残った血と肉を食った。骨にこびりつくひと切れさえ、舐めとった。供された果実を夜中に延々と食べるように、その所作は優雅とさえ言えた。動作を制御する意識が純粋な欲望と交換されて、満たすという欲求に頭まで浸かっていた。
そして夜更け過ぎに、気がつくと、丸めて畳んで搾り取った歯磨き粉のチューブみたいに皮と骨と頭(どうしてもそれに目を向けることができなかった)だけが残って、その羊の顔を見て、やっと気づいたのだ。それはいつもそばにいて自分を守ったあの小さな身体の羊だった。
黒い羊はその場を立ち去った。その黒い羊がその時感じた感情の名前はまだ発明されていない。」

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