True Religion 15
2010年2月16日 コミューンと記録メモと書くこと「狼は羊の群れのなかで生まれて、羊に育てられた。周りは羊だらけだったけれど、どの羊も『お前は狼だ』なんてことを言わなかった。そのせいで狼はずっと自分も羊だって思っていた。まるで、みにくいアヒルの子みたいな話だけど、その話の違う点は、羊達も最初は、それが黒い毛並みの羊程度にしか思わなかったし、大きくなってからも、その狼をいじめたりはしなかった。いつもそばにいる一緒に育った小さな身体の羊が、狼を守ってくれたからだ。牧草ばかり食べて、彼らと過ごしていた。けれど、その狼はほかの羊達を眺めるたびに、強烈な衝動を感じた。形容のできない欲求を抱えていた。それを羊達に話すたびに彼らは『そんなことは君くらいの年の羊にはよくあることだ』って言って誤魔化した。
ある日、狼は、移動する羊の群れから、森で迷ってしまう。森は暗く、夜になると、満月の夜には、頭のどこかに埋め込まれた何かが狼を呼び続ける。羊達が眠る満月の夜には、泣き叫びたくなった。いつもそうだった。そして、彼は狼は自分と同じ叫び声を聴く。そして鳴き声のほうに近寄るにつれて、血の匂いがした。その匂いを嗅ぐ度に、狼はいつも仲間の羊たちが何か違うものに見えた。
草木をかきわけて、森を深くへと進むごとに、その音は強くなり、血の匂いは濃くなった。
そこで狼は、羊を見つける。その羊の身体は四方に裂け、一面は水たまりのように、真っ赤な色のペンキの入ったバケツをこぼしたようになっていた。腸はただれ、それなのに羊はまだ逆流する風呂の栓のようなごぽごぽと成る息の音は聞こえた。そして、その腹ワタに鼻を突っ込む黒い3匹の羊。彼らは、その黒い羊に気づかないほど、肉を引き千切るように飲み干すのに没頭していた。
まず、全身が沸騰するような抑えきれない怒りと、そして恐怖に似た何かを黒い羊は感じた。仲間が食われている。自分によく似た黒い羊達から、その白い羊を助けなくてはいけない。それらの感情を朝霧のように覆う、止めようのない飢えを感じた。いくら草を平らげても、癒えることのなかったその苦しみに似た何か。
黒い羊は、もう自分が何者なのかも分からなくなっていた。」
ある日、狼は、移動する羊の群れから、森で迷ってしまう。森は暗く、夜になると、満月の夜には、頭のどこかに埋め込まれた何かが狼を呼び続ける。羊達が眠る満月の夜には、泣き叫びたくなった。いつもそうだった。そして、彼は狼は自分と同じ叫び声を聴く。そして鳴き声のほうに近寄るにつれて、血の匂いがした。その匂いを嗅ぐ度に、狼はいつも仲間の羊たちが何か違うものに見えた。
草木をかきわけて、森を深くへと進むごとに、その音は強くなり、血の匂いは濃くなった。
そこで狼は、羊を見つける。その羊の身体は四方に裂け、一面は水たまりのように、真っ赤な色のペンキの入ったバケツをこぼしたようになっていた。腸はただれ、それなのに羊はまだ逆流する風呂の栓のようなごぽごぽと成る息の音は聞こえた。そして、その腹ワタに鼻を突っ込む黒い3匹の羊。彼らは、その黒い羊に気づかないほど、肉を引き千切るように飲み干すのに没頭していた。
まず、全身が沸騰するような抑えきれない怒りと、そして恐怖に似た何かを黒い羊は感じた。仲間が食われている。自分によく似た黒い羊達から、その白い羊を助けなくてはいけない。それらの感情を朝霧のように覆う、止めようのない飢えを感じた。いくら草を平らげても、癒えることのなかったその苦しみに似た何か。
黒い羊は、もう自分が何者なのかも分からなくなっていた。」
True Religion 14
2010年2月15日 コミューンと記録メモと書くこと本当の世界には現実だけがあって、その場所では、何かを主張することは、同じものの別の見方でしかない、という話を僕とユキはしていた。
行ったことの無い場所に行きたいと、彼女は僕に言ったので、僕はウェブの乗り換え案内の予測変換への指の適当な動作にまかせて、最初に表示された、行きやすい場所を選んだ。
葛西。
「たとえば、なぜ音楽を聴くと心地いいのか、とか。」とユキは言った。基本的なことに限ってひとは何も知らなかったりするという話をしていた。「それとか、差別感情はなぜ起こるのか。っていうのも科学的にはまだちゃんと解明されたわけじゃないの。」彼女は続ける。「言葉って何のためにあるんだろう。」と彼女は僕に訊いた。訊いたというより、自問自答に近かった。「伝えるためじゃないかな。」と僕は言った。「なんで伝えることが必要なの?」「伝わることで得るものがあるからじゃないかな。」「何を得るの?」「向こうから狼の群れが来るぞ。とか、うまい林檎が木に成ってるぞ。とかさ。情報を。」「情報を得るのが大事なの?」「ひとりよりふたりのほうが上手くいくこともある。」「ひとりで上手くいくこともある?」「どうだろう。」
団地の合間にあるベンチで僕たちは二人座っていた。この蜂の巣みたいなバカでかい住処のそれぞれでは、画一化されていない人々の欲望や感情や記憶が、お互いが結ばれないまま壁一枚を隔てて隣り合っている。
「情報が全部共有されたら私たちはもっと良くなるのかな。」「知りたいっていつも思ってるんだろ?」「何もかも知ってたら、どうなるんだろう。」と言って彼女は付け足す。「もしも全てを知っていたら。」と、もしもゲームを始める。「病的なお喋りになって一日中喋りまくる。言葉は決壊したダムみたいに流れ続けて、それをとめることは誰にもできない。ユキは?」「病的なほど文章を書く。」僕は笑った、それから訊いた。「もしも病的なほど文章を沢山書くことになったら?」追いかけると逃げていく猫を追いかけるのをやめて、こっちを振り返って、ハシバミ色の目つきとその豊かな口元で、わずかに首を斜めに傾けて僕に「病的な小説を書く。」と言った。それから、夢うつつな表情でまた猫を追いかけまわしはじめながら「それで、何かを伝えることができなかった羊は狼が来たときどうしたのかな。」と言った。「狼に作り話をするんだ。」「おとぎ話?」「んー、そうとも言えるかもしれない。けれど、それは狡猾な狼のための物語なんだ。」「狼のための話?」「うん。一匹狼なんだ」
行ったことの無い場所に行きたいと、彼女は僕に言ったので、僕はウェブの乗り換え案内の予測変換への指の適当な動作にまかせて、最初に表示された、行きやすい場所を選んだ。
葛西。
「たとえば、なぜ音楽を聴くと心地いいのか、とか。」とユキは言った。基本的なことに限ってひとは何も知らなかったりするという話をしていた。「それとか、差別感情はなぜ起こるのか。っていうのも科学的にはまだちゃんと解明されたわけじゃないの。」彼女は続ける。「言葉って何のためにあるんだろう。」と彼女は僕に訊いた。訊いたというより、自問自答に近かった。「伝えるためじゃないかな。」と僕は言った。「なんで伝えることが必要なの?」「伝わることで得るものがあるからじゃないかな。」「何を得るの?」「向こうから狼の群れが来るぞ。とか、うまい林檎が木に成ってるぞ。とかさ。情報を。」「情報を得るのが大事なの?」「ひとりよりふたりのほうが上手くいくこともある。」「ひとりで上手くいくこともある?」「どうだろう。」
団地の合間にあるベンチで僕たちは二人座っていた。この蜂の巣みたいなバカでかい住処のそれぞれでは、画一化されていない人々の欲望や感情や記憶が、お互いが結ばれないまま壁一枚を隔てて隣り合っている。
「情報が全部共有されたら私たちはもっと良くなるのかな。」「知りたいっていつも思ってるんだろ?」「何もかも知ってたら、どうなるんだろう。」と言って彼女は付け足す。「もしも全てを知っていたら。」と、もしもゲームを始める。「病的なお喋りになって一日中喋りまくる。言葉は決壊したダムみたいに流れ続けて、それをとめることは誰にもできない。ユキは?」「病的なほど文章を書く。」僕は笑った、それから訊いた。「もしも病的なほど文章を沢山書くことになったら?」追いかけると逃げていく猫を追いかけるのをやめて、こっちを振り返って、ハシバミ色の目つきとその豊かな口元で、わずかに首を斜めに傾けて僕に「病的な小説を書く。」と言った。それから、夢うつつな表情でまた猫を追いかけまわしはじめながら「それで、何かを伝えることができなかった羊は狼が来たときどうしたのかな。」と言った。「狼に作り話をするんだ。」「おとぎ話?」「んー、そうとも言えるかもしれない。けれど、それは狡猾な狼のための物語なんだ。」「狼のための話?」「うん。一匹狼なんだ」
True Religion 13
2010年2月12日 コミューンと記録メモと書くこと---------------------------"ユキ"のブログ。4。---------------------------
貴族階級に属する男たちは、ヴェネツィア共和国の市民の娘ならば、ムラーノのガラス工であろうと国営造船所の職工の娘であろうと、誰とでも結婚することができた。貴族の血は、父方のそれだけが問題にされたからである。正式の結婚から生まれた男子であれば、その母が平民の出であろうと、二十歳に達すれば、刑事問題でも起こさないかぎり、自動的に共和国国会の議席を持てる、つまり、ヴェネツィアの貴族になることができた。元首の中にも、平民の娘と結婚した人は何人もいる。
貴族出の娘も、貴族とだけ結婚するよう決められていたわけではない。だが、実際問題として、女が自分よりも下の階級に嫁ぐことはむずかしい。そのために一層、結婚への門は狭くなるのであった。
文化が爛熟した十五、六世紀を境にして、結婚できた女たちの生活が華やかさを増すのに正比例して、尼僧院内の醜聞も増大したようである。それに、世は、法王まで子をもうけ、これらの法王や枢機卿たちの甥や姪が、ローマで華麗な生活を楽しんでいた時代でもある。だが、一五五一年に明るみに出た事実は、厳格なキリスト教信者とは決して言えなかった多くのヴェネツィア人をも、唖然とさせたスキャンダルであった。
ジュデッカの島にいくつもある尼僧院の一つは、四百人の尼僧をかかえ、とくに上流階級の娘たちの入る尼僧院として有名で、それゆえに豊かでもあった。その尼僧院に、いつ頃からか、一人の司祭が毎日のように出入りするようになる。尼僧たちの懺悔を聴くための司祭であった。尼たちの懺悔を聴く役は、男の司祭でなければならないということになっていたので、尼僧院に男の僧が出入りしても、その役目を持つ司祭であれば、誰からも咎め立てはされない。尼僧院内の醜聞を嫌ったヴェネツィア政府は、若くて美男の司祭はその役につけないと法で決めたほど眼を光らせていたが、ジュデッカの尼僧院に通いはじめた司祭は、若くもなく美男でもなかったので、風紀係の委員会も注意を払わなかったのである。
少しずつ、司祭は、懺悔をしにくる尼たちの心と肉体を乱すのに成功していった。はじめの数人が思いのままになれば、女だけの集団ではあとは簡単だ。女たちは、先を争うように、自分のほうから身を投げだすものである。こうして、聖なる処女であるべき尼僧たちは、尼僧院長もふくめて、男の思うままに動くただの女になってしまった。
尼たちは、それまでは時間つぶしでしかなかったレース編みや刺繍を、喜んでするようになる。それらを売った金で買い求めた品で、食卓をより豪華にととのえれば、男が満足するからであった。高価なキプロス産の葡萄酒が毎夕の食卓に供され、きじの肉やかきやえびのも、惜し気もなく皿にのった。
尼たちは、司祭に奴隷のようにつくした。いや、奴隷ならば命ぜられたことだけをやるだけだが、先を争って奉仕にはげむのだから奴隷以下である。一人の尼が裸になれと言われれば、その尼は誇らし気に自ら僧衣をはぎ取り、それを見ていた他の尼たちまでが、命ぜられもしないのに次々と裸体になった。そのまま踊れと言われれば、誰もが酔ったように踊りだす。中には抵抗する尼もいたが、司祭は、その尼を裸にして縛りつけ、苦行に用いる荒なわの鞭で打ちすえた。
しばらくして、この尼僧院には、司祭一人でなく、数人の男たちも出入りするようになった。司祭が手引きした男たちであった。尼僧院の内部の狂乱は、ますますひどくなる。妊娠した尼がいれば、司祭の指導で堕胎がほどこされ、死児は、僧院の庭の奥に埋められた。この状態に耐えられなくなった何人かの尼たちは、僧院を抜け出し、親元に逃げ帰った。だが、その中の誰一人、訴え出た者はいなかった。また、尼たちは、外部の者に対しては、実に慎重に振るまっていたらしい。しばしば尼僧院を訪問する尼たちの近親者も、尼僧院の異常に気づいた者はいなかった。こうして、実に十九年間もの長い間、尼たちの愉しみは続けられたのである。
どのようにしてそれが警察の気づくところとなったのかは、裁判記録でもはっきりしない。密告を受けた警察が、調査にのりだしてわかったのか、または、出入りしていた男たちの誰か一人の口から、秘密がもれたのかもしれない。いずれにしても、明るみに出た内情は、政府が緊急閣議を招集するほどショッキングなものであった。
ただちに司祭は逮捕され、尼僧院長も何人かの年長の尼たちも牢獄に連行され、厳重な取り調べが行われた。そして、裁判の結果、司祭には、絞首刑の後さらに火あぶりに処す刑が決まった。聖マルコ小広場の二本の間で処刑された司祭は、最後まで、尼僧院長の無実を叫んで死ぬ。しかし、名門の家の出であった尼僧院長は、その後の生涯を、牢の中で過ごさねばならなかった。尼たちはヴェネツィアから離され、本土のあちこちの尼僧院に、一人ずつ分れて送りこまれて一生を終る。以後、ヴェネツィア警察の監視の眼が、一段と厳しくなったのも当然であった。しかし、尼僧院内の醜聞は、ずっと控え目になったにしても、根絶されたわけではなかったのである。
(『海の都の物語』)
それは、ひどく不気味な光景だった。
アメリカという国は、ベトナムの泥沼を這いずり回って暮らす数十万の我々全員よりも、月面にいるたった二人の男のことのほうをずっと心配していたのだ。
得体の知れない感情がこみ上げてきた。
(ベトナム前線の米兵の手記)
-----------------------------------------------------------------------------
貴族階級に属する男たちは、ヴェネツィア共和国の市民の娘ならば、ムラーノのガラス工であろうと国営造船所の職工の娘であろうと、誰とでも結婚することができた。貴族の血は、父方のそれだけが問題にされたからである。正式の結婚から生まれた男子であれば、その母が平民の出であろうと、二十歳に達すれば、刑事問題でも起こさないかぎり、自動的に共和国国会の議席を持てる、つまり、ヴェネツィアの貴族になることができた。元首の中にも、平民の娘と結婚した人は何人もいる。
貴族出の娘も、貴族とだけ結婚するよう決められていたわけではない。だが、実際問題として、女が自分よりも下の階級に嫁ぐことはむずかしい。そのために一層、結婚への門は狭くなるのであった。
文化が爛熟した十五、六世紀を境にして、結婚できた女たちの生活が華やかさを増すのに正比例して、尼僧院内の醜聞も増大したようである。それに、世は、法王まで子をもうけ、これらの法王や枢機卿たちの甥や姪が、ローマで華麗な生活を楽しんでいた時代でもある。だが、一五五一年に明るみに出た事実は、厳格なキリスト教信者とは決して言えなかった多くのヴェネツィア人をも、唖然とさせたスキャンダルであった。
ジュデッカの島にいくつもある尼僧院の一つは、四百人の尼僧をかかえ、とくに上流階級の娘たちの入る尼僧院として有名で、それゆえに豊かでもあった。その尼僧院に、いつ頃からか、一人の司祭が毎日のように出入りするようになる。尼僧たちの懺悔を聴くための司祭であった。尼たちの懺悔を聴く役は、男の司祭でなければならないということになっていたので、尼僧院に男の僧が出入りしても、その役目を持つ司祭であれば、誰からも咎め立てはされない。尼僧院内の醜聞を嫌ったヴェネツィア政府は、若くて美男の司祭はその役につけないと法で決めたほど眼を光らせていたが、ジュデッカの尼僧院に通いはじめた司祭は、若くもなく美男でもなかったので、風紀係の委員会も注意を払わなかったのである。
少しずつ、司祭は、懺悔をしにくる尼たちの心と肉体を乱すのに成功していった。はじめの数人が思いのままになれば、女だけの集団ではあとは簡単だ。女たちは、先を争うように、自分のほうから身を投げだすものである。こうして、聖なる処女であるべき尼僧たちは、尼僧院長もふくめて、男の思うままに動くただの女になってしまった。
尼たちは、それまでは時間つぶしでしかなかったレース編みや刺繍を、喜んでするようになる。それらを売った金で買い求めた品で、食卓をより豪華にととのえれば、男が満足するからであった。高価なキプロス産の葡萄酒が毎夕の食卓に供され、きじの肉やかきやえびのも、惜し気もなく皿にのった。
尼たちは、司祭に奴隷のようにつくした。いや、奴隷ならば命ぜられたことだけをやるだけだが、先を争って奉仕にはげむのだから奴隷以下である。一人の尼が裸になれと言われれば、その尼は誇らし気に自ら僧衣をはぎ取り、それを見ていた他の尼たちまでが、命ぜられもしないのに次々と裸体になった。そのまま踊れと言われれば、誰もが酔ったように踊りだす。中には抵抗する尼もいたが、司祭は、その尼を裸にして縛りつけ、苦行に用いる荒なわの鞭で打ちすえた。
しばらくして、この尼僧院には、司祭一人でなく、数人の男たちも出入りするようになった。司祭が手引きした男たちであった。尼僧院の内部の狂乱は、ますますひどくなる。妊娠した尼がいれば、司祭の指導で堕胎がほどこされ、死児は、僧院の庭の奥に埋められた。この状態に耐えられなくなった何人かの尼たちは、僧院を抜け出し、親元に逃げ帰った。だが、その中の誰一人、訴え出た者はいなかった。また、尼たちは、外部の者に対しては、実に慎重に振るまっていたらしい。しばしば尼僧院を訪問する尼たちの近親者も、尼僧院の異常に気づいた者はいなかった。こうして、実に十九年間もの長い間、尼たちの愉しみは続けられたのである。
どのようにしてそれが警察の気づくところとなったのかは、裁判記録でもはっきりしない。密告を受けた警察が、調査にのりだしてわかったのか、または、出入りしていた男たちの誰か一人の口から、秘密がもれたのかもしれない。いずれにしても、明るみに出た内情は、政府が緊急閣議を招集するほどショッキングなものであった。
ただちに司祭は逮捕され、尼僧院長も何人かの年長の尼たちも牢獄に連行され、厳重な取り調べが行われた。そして、裁判の結果、司祭には、絞首刑の後さらに火あぶりに処す刑が決まった。聖マルコ小広場の二本の間で処刑された司祭は、最後まで、尼僧院長の無実を叫んで死ぬ。しかし、名門の家の出であった尼僧院長は、その後の生涯を、牢の中で過ごさねばならなかった。尼たちはヴェネツィアから離され、本土のあちこちの尼僧院に、一人ずつ分れて送りこまれて一生を終る。以後、ヴェネツィア警察の監視の眼が、一段と厳しくなったのも当然であった。しかし、尼僧院内の醜聞は、ずっと控え目になったにしても、根絶されたわけではなかったのである。
(『海の都の物語』)
それは、ひどく不気味な光景だった。
アメリカという国は、ベトナムの泥沼を這いずり回って暮らす数十万の我々全員よりも、月面にいるたった二人の男のことのほうをずっと心配していたのだ。
得体の知れない感情がこみ上げてきた。
(ベトナム前線の米兵の手記)
-----------------------------------------------------------------------------
なぜミステリを使うのか
2010年2月11日 コミューンと記録メモと書くこと謎があると、それを解き明かしたい欲求が生まれるから、その欲求を利用して話を読ませる。
っていう仮説
最初に立ち戻るけど、自分の小説のリアリティに対する考え方を改めないといけない気がしてきた。
そのうちお金をとって文章を売るなら、その読者に文章のなかで与えるものがないといけない。その文章が含むものに、娯楽としてのフィクションを入れるのか(売れる)、現実の模倣としてフィクションを入れるのか(売れない)。
もしくは、折半案として、その中間の、現実の模倣という娯楽(実在の有名人を沢山登場させるとかそういう意味ではない)としてフィクションにするか。これがいまのところいちばん良い考えのように思える。現実の模倣度(人物像しかり細部しかり)を高めれば、僕が小説を書く動機のひとつを達成できるかもしれない。
っていう仮説
最初に立ち戻るけど、自分の小説のリアリティに対する考え方を改めないといけない気がしてきた。
そのうちお金をとって文章を売るなら、その読者に文章のなかで与えるものがないといけない。その文章が含むものに、娯楽としてのフィクションを入れるのか(売れる)、現実の模倣としてフィクションを入れるのか(売れない)。
もしくは、折半案として、その中間の、現実の模倣という娯楽(実在の有名人を沢山登場させるとかそういう意味ではない)としてフィクションにするか。これがいまのところいちばん良い考えのように思える。現実の模倣度(人物像しかり細部しかり)を高めれば、僕が小説を書く動機のひとつを達成できるかもしれない。
ラッシュライフ (新潮文庫)
2010年2月11日 読書
友達と『1Q84』上巻と交換して読了
自分が本を読み直さない人間なので、ミステリが繋がってるのは分かるんだけど、具体的にどう繋がってるのかを頭で中で再構築するのができない。で、読み直したりはしない。
それと、最近レイモンド・チャンドラーの作品を短編3冊と『プレイバック』を読んだんだけど、繋がってるのは分かるんだけど、あれ?どうだったっけ?まぁいいや。みたいな感じになるので、あまり好みじゃないんですねー。(チャンドラーも含めた推理小説が。だいたい『プレイバック』のトリックは無理がありすぎる。っていうか、推理小説のトリックってみんなあんなもんなのか。)
もっと直線的な物語のほうがいいんだろうなー、っていう。
で、伊坂幸太郎をいまいち好きになれない理由なんだけど、たぶん(その芸術がなぜ良いのかを特定するのは難しい。料理を食べるだけで調理方法や材料を推定するようなことだ。)、まず、登場人物の単純過ぎるからだと思った。
強い立場の悪いやつが悪いことをして、善良(と登場本人と読者は思い込んでいる)だけど弱い正義の立ち位置にいる人間が苦難のすえに悪いやつに勝つ。そんな小説は犬にでも食わせておけばいいと思う。
いや、そんな小説を読んで満たされる人間が犬に食われればいいのだ。別に小説家に罪はない。ミステリ小説を書いた小説家が、僕みたいなミステリが苦手な(小説を読むのに頭を使うのが苦手な)読者に責任を持たないでいいのと同じだ。彼は喉の乾いた人達に水を売っただけだ。
自分が本を読み直さない人間なので、ミステリが繋がってるのは分かるんだけど、具体的にどう繋がってるのかを頭で中で再構築するのができない。で、読み直したりはしない。
それと、最近レイモンド・チャンドラーの作品を短編3冊と『プレイバック』を読んだんだけど、繋がってるのは分かるんだけど、あれ?どうだったっけ?まぁいいや。みたいな感じになるので、あまり好みじゃないんですねー。(チャンドラーも含めた推理小説が。だいたい『プレイバック』のトリックは無理がありすぎる。っていうか、推理小説のトリックってみんなあんなもんなのか。)
もっと直線的な物語のほうがいいんだろうなー、っていう。
で、伊坂幸太郎をいまいち好きになれない理由なんだけど、たぶん(その芸術がなぜ良いのかを特定するのは難しい。料理を食べるだけで調理方法や材料を推定するようなことだ。)、まず、登場人物の単純過ぎるからだと思った。
強い立場の悪いやつが悪いことをして、善良(と登場本人と読者は思い込んでいる)だけど弱い正義の立ち位置にいる人間が苦難のすえに悪いやつに勝つ。そんな小説は犬にでも食わせておけばいいと思う。
いや、そんな小説を読んで満たされる人間が犬に食われればいいのだ。別に小説家に罪はない。ミステリ小説を書いた小説家が、僕みたいなミステリが苦手な(小説を読むのに頭を使うのが苦手な)読者に責任を持たないでいいのと同じだ。彼は喉の乾いた人達に水を売っただけだ。
コトラーのマーケティング思考法
2010年2月11日 読書
"コトラー"っていうブランドがなければ、手に取らなかったんだけど、
『コトラーのマーケティング・マネジメント』が館内専用で図書館で借りられないから、代わりに借りてきた。
8/10章まで読み終えた。
新商品(サービス含め)の具体的な開発方法の本。
ポーターの『競争の戦略』といい、文章の書き方がきちんと箇条書きされて整理されて、なおかつ要約と具体的な例があって良い。読みやすい。読者に優しい(これは最近小説を格上での指標にすることにした)。
商品開発の本なんだけど、元々探していたのは、この本に書かれてる水平の商品開発じゃなくて、垂直の商品開発だったから、次はそっちを学ぶ。
で、読者に優しい。の件は、
・引っ張り込むストーリー展開(これを推敲のときに力入れようと思ってるけどいちばん悩む(楽しいから良い意味で))
・読者に頭を使わせない(表面的には)
・難しい言葉遣いをなくす
・分かるひとにしか分からない内容をなくす
・情景描写より人物描写
・技巧のための技巧ではなく効果のために技巧を使う
・共感と感情を引き出す
が思い浮かんだ。
・こまめな段落
はどうするか検討中。読書にのめり込むのに段落つけすぎると読み辛い。引き込むだけのストーリー展開と練りこまれた文章がかければ、小説をまったく手にとる習慣がないひとでも引っ張っていけると思うんだけど。
あと
・本を作る段階で別の物語として分割する
っていうのも検討してる
このさい優しさを極限まで発揮して、絵とか図を挿入しまくって、登場人物の絵とか書いて、キャラクタに吹き出しをつけて、マンガっぽい小説、っていうかマンガにすればいいのか!!!!
『コトラーのマーケティング・マネジメント』が館内専用で図書館で借りられないから、代わりに借りてきた。
8/10章まで読み終えた。
新商品(サービス含め)の具体的な開発方法の本。
ポーターの『競争の戦略』といい、文章の書き方がきちんと箇条書きされて整理されて、なおかつ要約と具体的な例があって良い。読みやすい。読者に優しい(これは最近小説を格上での指標にすることにした)。
商品開発の本なんだけど、元々探していたのは、この本に書かれてる水平の商品開発じゃなくて、垂直の商品開発だったから、次はそっちを学ぶ。
で、読者に優しい。の件は、
・引っ張り込むストーリー展開(これを推敲のときに力入れようと思ってるけどいちばん悩む(楽しいから良い意味で))
・読者に頭を使わせない(表面的には)
・難しい言葉遣いをなくす
・分かるひとにしか分からない内容をなくす
・情景描写より人物描写
・技巧のための技巧ではなく効果のために技巧を使う
・共感と感情を引き出す
が思い浮かんだ。
・こまめな段落
はどうするか検討中。読書にのめり込むのに段落つけすぎると読み辛い。引き込むだけのストーリー展開と練りこまれた文章がかければ、小説をまったく手にとる習慣がないひとでも引っ張っていけると思うんだけど。
あと
・本を作る段階で別の物語として分割する
っていうのも検討してる
このさい優しさを極限まで発揮して、絵とか図を挿入しまくって、登場人物の絵とか書いて、キャラクタに吹き出しをつけて、マンガっぽい小説、っていうかマンガにすればいいのか!!!!
ナツノクモ 1 (IKKI COMICS)
2010年2月4日 読書あとは距離を埋めるだけ
2010年1月31日 愛だの恋だの男だの女だのと翻訳恋愛のことで悩むのはナンセンスだと思ってるんだけど、でもいま本気悩んでることを書いて、とりあえず、方向性を決めときたい。
たとえば
1.両思い
2.お互いの関係の距離がそれほど近くない(メールアドレスを知ってるくらい)
3.お互いにお互いのことが好きだって分かってる
っていう状態だとして、これって、女の子にいきなりメールしていいものなんだろうか?
あとは、お互いに距離を埋めるだけ、みたいな状況で、じれったい。
オーケー、たぶん、読んでるひとは、まずいきなりメールしてデートに誘うなんてことはしないで、ちょっとづつ仲良くなるべし。みたいなことを思うと思う。
でも、その環境が特殊で、例えば月に一度くらいしか会えないし、会ったとしても、それほど急激に仲良くなることが難しい。しかも、押しすぎたら押しすぎたで、例のごとく引かれてしまう。引かれてしまうし、引かれてしまうのはけっこう傷つくのだ。いや、この際、僕が傷つくとか、それは別にいいとして、押すタイミングがよくわからんし、押し過ぎてもうまくいかないし、引きすぎてもうまくいかないって、なんだよそれ!名人芸かよ!
で、さくっと仲良くなるのが難しいから、それで、時間をかけたせいで、僕の気持ちはともかく(このブログの熱心な読者なんてものが存在するとしたら、よく分かってくれるだろうけど、僕はけっこう一途なほうなのだ。)、彼女の気持ちがブレるのは避けたい。
どうすればいいんだろう。
もっと正直に書いとくと、こういう状態の関係がいくつかあって、メールアドレスを知ってる知ってない、とか、大っぴらに仲良くするのを見せるのに問題があるとか、細かい違いがあるくらいなんだけど、どうすればいいの。もう、ほんと面倒。あとはどっか二人で行って、時間を重ねるだけいいのに!って思う。
で、具体的にどうすればいいのか考えた(真剣に)んだけど、
1.2,3週間に一度のタイミングでメールで「お茶しようよー」って誘ってみる
2.会えたときに「お茶しようよー」って誘ってみる
3.今すぐメールで「お茶しようよー」って誘ってみる
4.会えたときに距離感を出来る限り詰めて日常的に普通のコミュニケーション目的のメールを交換するようにしていく
5.拉致ってホテルで強姦する
まじどうすればいいんだろう。その好きな女の子に、どれを選べばいいのか訊いてみればいいかな。
そもそも手間暇かけて恋愛するの好きじゃなくて、面倒だからっていうより、手間暇かけて、全然うまくいかなくてクラッシュ(クラブ出入禁止)したことがあるからで、もうどうすればいいんだ、俺。さっさとクロージング(仕事で使ってる用語)かけたいし、失注覚悟でダメなら次行く感じで数打てばいいか。
たとえば
1.両思い
2.お互いの関係の距離がそれほど近くない(メールアドレスを知ってるくらい)
3.お互いにお互いのことが好きだって分かってる
っていう状態だとして、これって、女の子にいきなりメールしていいものなんだろうか?
あとは、お互いに距離を埋めるだけ、みたいな状況で、じれったい。
オーケー、たぶん、読んでるひとは、まずいきなりメールしてデートに誘うなんてことはしないで、ちょっとづつ仲良くなるべし。みたいなことを思うと思う。
でも、その環境が特殊で、例えば月に一度くらいしか会えないし、会ったとしても、それほど急激に仲良くなることが難しい。しかも、押しすぎたら押しすぎたで、例のごとく引かれてしまう。引かれてしまうし、引かれてしまうのはけっこう傷つくのだ。いや、この際、僕が傷つくとか、それは別にいいとして、押すタイミングがよくわからんし、押し過ぎてもうまくいかないし、引きすぎてもうまくいかないって、なんだよそれ!名人芸かよ!
で、さくっと仲良くなるのが難しいから、それで、時間をかけたせいで、僕の気持ちはともかく(このブログの熱心な読者なんてものが存在するとしたら、よく分かってくれるだろうけど、僕はけっこう一途なほうなのだ。)、彼女の気持ちがブレるのは避けたい。
どうすればいいんだろう。
もっと正直に書いとくと、こういう状態の関係がいくつかあって、メールアドレスを知ってる知ってない、とか、大っぴらに仲良くするのを見せるのに問題があるとか、細かい違いがあるくらいなんだけど、どうすればいいの。もう、ほんと面倒。あとはどっか二人で行って、時間を重ねるだけいいのに!って思う。
で、具体的にどうすればいいのか考えた(真剣に)んだけど、
1.2,3週間に一度のタイミングでメールで「お茶しようよー」って誘ってみる
2.会えたときに「お茶しようよー」って誘ってみる
3.今すぐメールで「お茶しようよー」って誘ってみる
4.会えたときに距離感を出来る限り詰めて日常的に普通のコミュニケーション目的のメールを交換するようにしていく
5.拉致ってホテルで強姦する
まじどうすればいいんだろう。その好きな女の子に、どれを選べばいいのか訊いてみればいいかな。
そもそも手間暇かけて恋愛するの好きじゃなくて、面倒だからっていうより、手間暇かけて、全然うまくいかなくてクラッシュ(クラブ出入禁止)したことがあるからで、もうどうすればいいんだ、俺。さっさとクロージング(仕事で使ってる用語)かけたいし、失注覚悟でダメなら次行く感じで数打てばいいか。
つまらないことに小突き回されて、進みたいんだけど、全然進まない。
あれもしたい、これもしたい、ってなってるんだけど、疲れきってすぐに倒れる。
問題が沢山残ってて、とりあえず、ケアしてくれる女の子が必要っていうのと、仕事の環境で時間と金がいまいち足りないってことか。
なんかすげーむかつくし、女の子なんて、ちゃちゃっと飯に誘ってセックスはともかく、心の繋がりが必要で、抱きしめて!!って、もう、寂しいのはもう嫌だしうんざりしてる。
仕事に関しては、今やれるなかでベストにして、ある程度金貯まったらもっと条件良いところに移る。
あーーもーーーー。
あれもしたい、これもしたい、ってなってるんだけど、疲れきってすぐに倒れる。
問題が沢山残ってて、とりあえず、ケアしてくれる女の子が必要っていうのと、仕事の環境で時間と金がいまいち足りないってことか。
なんかすげーむかつくし、女の子なんて、ちゃちゃっと飯に誘ってセックスはともかく、心の繋がりが必要で、抱きしめて!!って、もう、寂しいのはもう嫌だしうんざりしてる。
仕事に関しては、今やれるなかでベストにして、ある程度金貯まったらもっと条件良いところに移る。
あーーもーーーー。
ィェーィ
2010年1月29日 愛だの恋だの男だの女だのと翻訳 コメント (2)自分は記憶力(興味のあること限定)があり過ぎて、ダメなのかもしれないと思った。
嫌なことを忘れないのは、同じ失敗を繰り返さないためだと思うんだけど、過剰に反応してるっていうか、頭で考えて分かってても心が拒否するし、その時の痛みが焼き付いてて、どうしようもない。それを乗り越えないといけないんだろうけど。大げさだって思うだろうけど、アプローチして散々な結果になった女の子が、あとで寄ってきても恐怖心でパニックになってになって、造作なくその女の子が僕を拒否したときの思い出がよみがえって悲しくて、その子のことが嫌になる。その子の存在が酷いネガティブなイメージと直結するっていったら分りやすいかもしれない。
それでも、なんとかしなきゃいけない。これじゃいけない。しんどいんだけど。
だいいち、僕が傷つこうが傷つくまいが、その子達には他に男がいるんだし(きっとその女の子達は、ぼくがこうやって同じところで悲しい気持ちで物事を考えてるあいだ、誰か違う男に股がってるんだろうし)、怯えるなんて馬鹿げてて、シリアスになるのは滑稽だし、そういう意味で、相手を尊重せずに適当なノリで、紳士ぶった態度でカジュアルに接すればいいだけなんだけど。
嫌なことを忘れないのは、同じ失敗を繰り返さないためだと思うんだけど、過剰に反応してるっていうか、頭で考えて分かってても心が拒否するし、その時の痛みが焼き付いてて、どうしようもない。それを乗り越えないといけないんだろうけど。大げさだって思うだろうけど、アプローチして散々な結果になった女の子が、あとで寄ってきても恐怖心でパニックになってになって、造作なくその女の子が僕を拒否したときの思い出がよみがえって悲しくて、その子のことが嫌になる。その子の存在が酷いネガティブなイメージと直結するっていったら分りやすいかもしれない。
それでも、なんとかしなきゃいけない。これじゃいけない。しんどいんだけど。
だいいち、僕が傷つこうが傷つくまいが、その子達には他に男がいるんだし(きっとその女の子達は、ぼくがこうやって同じところで悲しい気持ちで物事を考えてるあいだ、誰か違う男に股がってるんだろうし)、怯えるなんて馬鹿げてて、シリアスになるのは滑稽だし、そういう意味で、相手を尊重せずに適当なノリで、紳士ぶった態度でカジュアルに接すればいいだけなんだけど。
月刊 !スピリッツ 2010年 3/1号 [雑誌]
2010年1月29日 読書
『ピペドン』面白い&一緒に読んだイブニングの『モテキ』と『オールラウンダー廻』で、会社帰りの立ち読みを充足させた。
羽生生純は凄いよなー。絵上手いし、マンガとして破綻してるけど成立してる、的な。
『モテキ』は言うこと無し。面白い。『337ビョーシ』微妙に読んでたけど、同じマンガ家が書いてるとは思えない。
あと、『オールラウンダー廻』の作中のプロやめようかと思った発言は、遠藤浩輝自身の言葉じゃないかと思った。つか、なんで、才能の塊みたいな作家(彼と並べて遜色ない青年誌のマンガ家はほとんどいない)が格闘技っていう限定され過ぎた枠の中だけでマンガを書くのか気になってたんだけど、好きだからって、まぁそういうもんか。 http://www.x-shooto.jp/past/topics/031208/endoh.html
宇仁田ゆみ『青みゆく雪』は、あー、えー、あぁ、うん、あぁ、とか、なるほど。とか、そんな感じで読んでた。
羽生生純は凄いよなー。絵上手いし、マンガとして破綻してるけど成立してる、的な。
『モテキ』は言うこと無し。面白い。『337ビョーシ』微妙に読んでたけど、同じマンガ家が書いてるとは思えない。
あと、『オールラウンダー廻』の作中のプロやめようかと思った発言は、遠藤浩輝自身の言葉じゃないかと思った。つか、なんで、才能の塊みたいな作家(彼と並べて遜色ない青年誌のマンガ家はほとんどいない)が格闘技っていう限定され過ぎた枠の中だけでマンガを書くのか気になってたんだけど、好きだからって、まぁそういうもんか。 http://www.x-shooto.jp/past/topics/031208/endoh.html
宇仁田ゆみ『青みゆく雪』は、あー、えー、あぁ、うん、あぁ、とか、なるほど。とか、そんな感じで読んでた。